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エンディングノートを書く時に ~介護と癒し~

こんな当たり前のことなのに…

「いや、当たり前すぎて分かんないのか・・・。」

「後見制度講座」の修了課題に取り組む時期となりました。(2月が提出期限です)

いくつか選択肢があったのですが、以前断念した「エンディングノート作成」を課題に選びました。(遺言書作成も課題に付随してきます)

なぜ、以前中断してしまったのか?
というと、IDやパスワードやら、銀行の口座番号やら・・整理して入力するのが面倒になってしまったからです。

いや、そうだと思っていました。

ただ、今回は提出用なので、そこは個人情報のため入力する必要がありません。

ところが、なぜか進まない・・。

「なぜ??」

●好きなもの
●嫌いなもの
●これからの暮らし方、どんな人生を送りたいか
などなど

改めて問われると、簡単なように思えるのに「???」。

しかも、「何等かの理由により、意思疎通ができなくなった時(亡くなった時)に備えて、必要な情報を書き残しておく」というのがエンディングノートの趣旨。

口頭で誰かに説明したくとも、それすらできない状況かもしれない。

では、表面上ではなく、どう自分の「素」を書き記せばいいのか?

厚労省「意思決定支援」からの気づき

厚生労働省から出されている「認知症の人の日常生活・社会生活における 意思決定支援ガイドライン」。

意思決定支援(本人がどうしたいかを決めることの支援)のプロセスは3段階あるそうです。

①意思形成支援(本人が意思を形成することの支援)

②意思表明支援(本人が意思を表明することの支援)

③意思実現支援(本人が意思を表明することの支援)

③の「意志実現支援」というのは、「自発的に形成され、表明された本人の意思を、本人の能力を最大限活用した上で、日常 生活・社会生活に反映させる」ことが一つの要素。

しかし、介護制度上、ややもすれば③はそうなるかもしれないし、ならないかもしれない。

しかし、たとえそうならなくとも、意思の①形成②表明を支援することが大切なのだと学びました。

そう言えば、母がまだもう少し元気で、「こうしてほしい」「ああしてほしい」が旺盛だったころ、こんな風に言っていたのを思い出します。

「〇〇については、ケアマネージャーさんに伝えておいて」(そうならなくとも、自分がそう思っているということを)

エンディングノートの「行間」

もしかしたら、エンディングノートに書くことは、そういったところなのかもしれません。

「情緒的」なところ?というか、自分らしさの「らしさ」のところ?

●好きなもの
・香りのする花
・オーガニックスイーツ(柔らかく食べやすいものをお願いします)
・オーガニックティー(生姜紅茶・レモン&ジンジャーなど)
・アロマ(ローズ・ネロリ・ジャスミンなど)
・リラックスミュージック
・肌触りのよい布団・タオル

と母の様子や発言を参考にしながら、自分自身のことを書いてみると、「私って”ナチュラル”なものが好きなんだな~」と、改めて感じます。

(なぜか、すでに施設に入所した時を前提に書いている・・)

そして、その「行間」とも言うようなところは、「言葉」というツールでは物足りなさを感じます。

そうすると、「そういった"行間"を感じ取れる人と出逢えればいいんじゃない?」とか。

「そういう人と引き合う自分であればいいんじゃない?」とか(笑)。

と同時に、その「行間」こそが「私」なのかもしれないとも感じます。

そうすると、エンディングノートもツールだから、「ま、適度(適当に?)に書いてればいいか?」という「いい加減な自分」も出てきます。

いずれにしても、エンディングノートは、「私」を見つめ直す"良き時間"を提供してくれているように感じます。

#介護 #介助 #家族 #感情 #コミュニケーション #母  #後見制度


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