誤嚥性肺炎、2度目 〜介護と癒し〜
先週金曜日の午前中、母が今年1月入所した施設からの電話着信。
朝方4時頃から、たん吸引が頻繁に必要になり、37℃前後の微熱、酸素飽和度は吸引をして89~95。
昨日の夕食は完食だったものの、しっかり覚醒できておらず、誤嚥した可能性があるということでした。
午後、往診をしていただいた医師より電話があり、誤嚥性肺炎だろうと。
抗生剤・点滴で1週間様子を見て、酸素飽和度が90以下になった場合、酸素供給の対応をするとのことでした。
最後には、「何かあった場合は、施設で看取りをされますか?」という質問もありました。
年末、誤嚥による入院があったものの、こんなに短い期間で、また再発する予測はしていませんでした。
2月の3連休に、また関西に戻る予定はしていましたが、1週間予定を早め、仕事終了とともに、夕方新幹線に乗りました。
週末の母の様子
【土曜日】面会時
◆熱は下がって、吸引のみ/酸素飽和度 何とか回復
呼吸をする時に、「あ”~」という声を出し、「しんどいんじゃ!(怒)」と言われ、、「こんな時までガラ悪!」(私、心の内で)。
咳こみも頻繁にあるので、胸のあたりをなでていたら、「いらん(怒)」と言われ、「ごめん・・」(私つぶやく)。
しまいには、「ばかばかばか」と言われ、「これも後になれば、よき思い出?」と。(私、心の内で(笑))
◆両手の拘縮強め
ずっとぎゅ~と手を握りしめていて、開こうにも開けない・・・。
熱がこもって、湿気た状態が続くと、水虫になる可能性があるので、保湿とマッサージを続けても、なかなか・・・。
◆坐薬の投与
ずっと声にならない声を出していたのに、「う〇こ、出た」素晴らしい発声で感動!
【日曜日】面会時
・微熱はあるものの、酸素飽和度OK
・吸引 1時間半に1回
・両手の拘縮少しゆるむ
前日の「あ”~」という声もなく、傾眠状態で、ほぼ発話もありませんでした。
金曜日・土曜日、戦って疲れたのでしょう。
手やら足やらマッサージをしているだけで、約4時間すぐ経ってしまいました。
【火曜日】施設からの電話
・前日3時のおやつ、しっかり覚醒していたので看護師さんが介助下さったものの、5口目からむせが始まり、ストップ。
・夜12時 酸素マスクをつけることに
・痰をひけば、翌日朝6時半からは酸素マスクなしでOK
・発熱 37.8℃
再び、食べられるのか?
月曜日の様子を聞き、水曜日に半休をとり急遽面会へ。
点滴はしていただいているものの、それだけで生命が維持できるわけでもなく・・・私の内で、覚悟が高まっていくのを感じました。
施設にパソコンを持ち込み、どう仕事と両立するか・・。
(母の部屋で、マッサージをしたり、パソコンに向かったりしていると、「マッサージするんやったら、アチコチいかんと、マッサージし!」と言われてしまい、「あ~やっぱりお母さんだな・・」と感慨深く思いました)
【水曜日】面会時
到着するや否や、母は私のことを認識し、話かけてくれました。
蚊の鳴くような声で、8割はもう理解できないけれど、、、でも一生けん命伝えようとしてくれます。
よく聞こうとして、母の口のあたりに、私の耳を近づけると「くさっ!」
(私、心の内で「どういうこと?!(笑)」)
母「なんで来たん?」
私「なんで来たんって、土曜日も日曜日も来てたよ。”ばかばかばか”って言われたんやけど、おぼえてる??」
母「そんなこと言うわけないやん(怒)」
私「”ばかばかの代わりに、〇〇さん(私の名前)、いつもかわいいですね”って言うてくれとったらええよ」
母「死んでも言わへん!」
(私、心の内で「どういうこと?!(笑)」)
私は、母の耳元で、しっかり伝えました。
「いつもありがとう。産んでくれてありがとう。大好きやで。」
母「そんなんいらんねん(怒)」
(私、心の内で「どういうこと?!(笑)」)
でも、何度でも伝えます。いつ最後になっても大丈夫なように。
よく一緒に話ができた一日でしたが、この日も絶食。
部屋を出る時、この日一番の発声で、母は私にこう言いました。
「ぱか(バカ)!」。
私が顔を近づけると、点滴の針がついた右手で、私のおでこを叩きましたが、それはもう叩く強さではなく、そう、「愛」そのものでした。
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