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猫にカツブシじゃないけれど、思春期まで食べてきた食体系というものは、井の中の蛙大海を知らずというか、現在に至るまでほとんど変わることなく累々と同じものを食べ続け、ときどき定常とは違うものを喰っても「世の中にこんなにうまいもんがあったのか」と感嘆、興奮、感動したとしても日常生活においてはやはりいつものように同じ食体系の枠を出ることはない。というようなことを司馬遼太郎さんが書いていた様な記憶がある。
子供の頃によく食わされていたのがクジラの肉だ。どうも私の食体系の中に組み込まれていながら、店頭でときどき見かけるクジラ肉に一種の懐かしさはあるけれども、「我慢して食べたっけな」という懐かしさであり、進んで購入して食べようという気持ちには全くならない。あの海獣独特のといったらいいのだろうか。咀嚼中に鼻にまとわりつく匂いがいまだに苦手である。私のこれまでの食体系からは、できれば外したい。
「我慢して食べたっけな」という、ちょっと侘しさのある懐かしさ。
何年前だったか忘れたが、知人が土産にクジラ肉を持ってきた。その前はいつ食ったのか憶えていないが20年ぶりとか30年ぶりになるだろう。「刺身で喰えるから」と、いただいた肉を晩御飯で食べたがやっぱり「臭いな、クジラは」と侘びの含まれた懐かしい思いで、我慢して食べたが匂いが鼻について食べきらないうちに残してしまった。どうしようもないなと、翌日は炒めて何とか我慢して食べきったが、食事をした満足感はまったく得られず、今後も絶対に自分でクジラ肉を購入して食べることは一生ないだろうなと思う。しかし、もし誰かが土産かなにかで持って来たら「臭いな」と呟きながら懐かしい思いで我慢して食べるだろう。
今は世界で犬の肉を喰う国はなくなってしまった。同じ哺乳類なのに牛や豚は食っても何も言われないが、犬は食っちゃいけないと、いったい誰が決めたのか。
ひとたび戦争、飢餓にでもなれば人の肉だって食うのに。
犬は人間の友達だから、イルカは人間の友達がから、とか言っちゃって。

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