見出し画像

可愛い子には旅をさせよ

自分が初めて海外旅行をしたのは就職も決めた大学4年の夏頃で行先は香港でした。
その後もお金を貯めて12月のホノルルマラソン(これは大学生協ツアー)、大学の卒業旅行(ゼミで香港&マカオ)、大学最後の冬休みにバックパッカー定番小説の深夜特急を読んでそのルートを辿るようなやつ(タイ~シンガポールを鉄道で)みたいな感じでした。

バンコク&アユタヤ→ラオス国境→チェンマイ→バンコク→クアラルンプール→シンガポール

印象に残っているのはバンコクでチェンマイ行の普通電車に乗ったつもりがなぜか東のラオス国境付近行きの電車で朝になって車掌に言われて気が付いたことです。現地は英語も通じないのですが唯一英語が話せる車掌さんがなぜか丸1日付き合ってくれてラオス国境付近を案内してくれたり(観光?)、現地の謎の川魚を食べさせてくれました。スマホもない時代だったので自分がどこにいるのかもよくわかっていませんでした。
その後無事にバスに乗ることができてチェンマイに到達できましたが、このまま日本にも帰れないかもしれないと一瞬だけ思いましたし、最悪の場合は内定先の外資系企業に連絡を取ろうかと本気で考えたものです。
その後は鉄道で南下してマレーシア経由でシンガポールに入り、なぜかシンガポールの金持ち?に気に入られて高層ビルのBARで飲みながら会話したのですが、今でもあれが何だったのかわかりません。馴染みのホテルに泊めてくれるとか言われましたが得体のしれない親切が気味が悪かったのでそこは固辞しました。本当に純然たる親切なのかわかりかねるというか。まあ海外の一人旅というのはいろいろなことがあるものだと思います。
なお、当時はまだ日本は世界2位の経済大国であり、東南アジア諸国の物価は日本の数分の1でしたので今とはだいぶ違うかもしれません。
 
 
前置きが長くなりましたが、長女も大学4年で就職も決めて体育会も引退し、アルバイトでお金を貯めていたようで卒業旅行に行っていました。

 
異国での一人旅については自身の経験からも一期一会の出会いや特にトラブル対応で親切にされたことは何年経っても良い思い出になるのですが、自分のことではない子供のこととなるとやはり心配が先行するところはあります。特に女子が一人でよくわからない所に泊まるというのはなかなか許容できませんでした。確率は低かったのでしょうが取り返しのつかないことも起きる可能性を排除することはできなかった。これが複数人だったらまだ良かったのですが。
そんなわけでおそらくは余計なお世話で最後の最後で親がおせっかいをしてしまいましたが、旅行自体は無事に終わったようなのとやはり得るものはあったようです。(不要だったとしても)ちゃんとサポートしてくれる人の想いを受け取ってくれる子供に育って本当に良かったと思います。 

今でもその気になれば数週間程度の時間を確保することもできるとは思うのですがそれでも学生の時のような(貧乏)旅行をしたいか?と言われるとおそらくやらないと思います。単純にお金で解決できることならお金で解決したほうが早いからかもしれないのと、今の自分は失うものが増えすぎて安全を気にしてしまうからかもしれない。いずれにせよ20代の前半?くらいでしかやらない実績解除だったのかもしれない。

可愛い子には旅をさせよというのは子供が旅をする経験を経て成長するという意味だと思いますが、外国の生活に触れることで多少でも広がった見識や、一人で何とかしなければいけない環境でそれなりにやり切れたことからくる自信のようなものを持ち帰ってくれたと思います。また親にとっても子供が自力で何かをやろうとすることを辛抱強く見守るという意味で良い経験であったと思います。

この記事が参加している募集

みんなでつくる春アルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?