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ショートショート サバンナで殺人事件?【D坂の殺人事件・江戸川乱歩】/【ショートショート100|No.05「探偵」|3,989文字】

 それは9月初旬のある蒸し暑い日のことであった。私はナルル湖のほとりで湖の水を飲んでいた。私たちガゼルは群れで暮らす。私もご多分に漏れず、それなりのコロニーに席をおかせてもらっていたが、まだ若かった私は、特に地位も役割も与えられておらず、集団生活特有の、あの息苦しさにたまに嫌気がさした。そうした時に、こうしてこっそり群れから離れ、フラミンゴたちの噂話や、バッファローたちの鼻息や、インパラたちのはしゃぎ声に耳を傾けて過ごしていた。

 湖に来るのは、たいてい気分転換だったが、その時私は湖の向こう側に生えたサクサウールの木を眺めていた。別段眺めるほどの木でもないのだが、私には一寸ちょっと特別の興味があった。というのは、この少し前、やっぱり水を飲みに来た時、知り合いになった一匹のシマウマがいて、これが話してみると如何にも変わり者で、それで頭が良さそうで、私の惚れ込んだことには、ニンゲンというあの変わり者の生き物が好きだった。そのシマウマが、あの木の下に、時折ニンゲンが来ると言っていたのだ。

 広いサバンナには、勿論ニンゲンの群れの巣もある。けれどもシマウマ氏の言う所によると、そのニンゲンは、ここらのニンゲンとは少し見呉みてくれが違うのだという。

 ここ数日、毎日見に来ていたが、やって来ない。いずれそのうちに出て来るのだろうけど、私はじっと見つめて待っていた。

 サクサウールの木の近くには、濃い緑色の草が生い茂っている。風が吹くといっせいになびく。草と草の隙間で何かが光ったように見えた。

 なんだか、落ち着かなくなった。虫が知らせるというか、私は、その奇妙な光から目を逸らすことができなくなった。
 そのとき、先ほど一寸お話したあのシマウマが、いつものとおりシマシマしながら、変に肩を降る歩き方で、私のそばを歩きかかった。彼は私に気がつくと、軽く会釈をして、私のすぐ隣で湖の水を一口二口飲み込んだ。そして、私が一つの所を見詰めているのに気づくと、彼は私の視線をたどって、同じく向こうのサクサウールの木を眺めた。しかも、不思議なことには、彼もまた、如何にも興味ありげに、少しも目をそらさないで、その方を凝視し出したのである。

 私たちは、そうして、申し合わせた様に同じ場所を眺めながら、色々の無駄話を取り交わした。

「君は、怪人、というニンゲンを知っているかい?」
「怪人?」
「いろいろなものを、盗みとるのさ。お宝だよ。ロマノフ王朝の王冠についた六つのダイヤモンドだとか、美術館に納められた宝物だとかを。」
「そんなことをして、罰を受けないのかい。」
「捕まえられないのさ、神出鬼没で、あそこにいたかと思うと、いつの間にか消えている。なんでも、20もの顔を持つんだとか。」
「顔が20個もあったら、大変だろう。」
「そうとも。それが怪人の、ひいてはニンゲンの面白いところなのさ。」

 ざっとこういった風なのだ。だが、ある瞬間、二人は言いあわせた様に、黙り込んでしまった。さっきから話しながらも目を逸らさないでいたサクサウールの下にある何かの光、それがちっとも動こうとしないことに、お互いが気づいたからだ。

「あれ、ちょっとおかしいくないかい。」
私が言った。
「君もそう思うかい。見にいこうか。」
シマウマ氏が答えた。
 二人して木の下に向かった。私はこれがニンゲンの仕業ででもあってくれれば面白いと思った。シマウマ氏とても同じ思いに違いなかった。彼も少なからず興奮していた。

 かさかさと音を立てながら草原を駆ける。
 サクサウールの木の下。近づいて、草原をのぞいた。私たちは同時に「アッ」と声を立てた。

 それはニンゲンだった。

 サクサウールの下で、黒い機械を手に持った人間が、横たわっていた。少しも動いていなかった。 

「これは、ニンゲンだね。」やっと私が言った。「動かなくなっている。」
 シマウマ氏はニンゲンの体を調べている。

 私たちの様子に気がついたフラミンゴが一匹、こちらにやってきた。そして草むらのなかに横たわっているものを見ると、やはり「アッ」と声を上げて慌てて逃げていった。それに驚いた群れ全体が大慌てで飛び立って、空がピンク色に染まった。

 「騒ぎは困るよ。みんなの水場なんだから。」
 どこからやってきたのか、突然、ふさふさの毛をした大きなケニアモンキーが、大声で怒鳴りながら私たちの前に踊りこんできた。これは、後になってわかったことだが、このケニアモンキーはいわばこの湖の番人で、彼はその明晰な頭脳をもって、湖の揉め事を次々と解決に導き、この湖の平和と、皆の尊敬を勝ち得ていた。

 彼の大声に、好奇心から近寄ってきていたいたずら者のダチョウや、素知らぬふりの水牛などが驚いて退散していった。彼はこうして野次馬を撃退して置いて、さて調査にとりかかった。彼のやり方は如何にも傍若無人で、私たち二人などはまるで眼中にない様子だった。彼は初めから終わりまで一人で活動した。私たちはただ、彼の敏捷な行動を傍観するためにやってきた見物人にすぎないように見えた。

「傷はないな。」
ニンゲンの体を調べたケニアモンキーが言った。
「血が出ていれば、とっくにハイエナどもが嗅ぎつけている。」
彼はまるで私たちに自分の頭脳の明晰さを示すかの様に、独り言を続けた。
「乾いて死んだとも考えにくい。」
横たわったニンゲンの体をくんくんと嗅いだ。
「目の前に、これだけの水があるのだから。」

「しかし、どうしてこんな所にニンゲンがいるんでしょうね。」
シマウマ氏が、気のせいか、いつもより殊更爽やかに言った。ケニアモンキーの目がぎらりと光った。
「『どうして』? 君は知っているんじゃないのかね。」
意外な一言だった。私はシマウマ氏の顔を見た。顔色ひとつ変えず、にこにこと笑っている。シマウマ氏の解答を待たずにケニアモンキーが続けた。
「ここに来る前に、事前にあたりの動物に聞き込みを行ったんだ。バッファローの親子とキリンの若造が、ウマのようなものが、このニンゲンといるのを目撃している。ちょうど、君くらいの大きさのね。」

「ちょっとおかしな言い方ですね。」
シマウマ氏は笑顔を崩さなかった。私は、なんだかそれを恐ろしいと思った。
「『ウマのようなもの』とは。」
「そうだな。」
ケニアモンキーがにやりと笑った。彼らはお互い何かをわかっているようだった。わかっていて、それを楽しんでいるのだ。
「ウマなんて、この辺じゃ珍しい。ニンゲンの集落にしかいないでしょう。」
「その通り。」
「見間違えたりしますかね? 目立つのでは?」
「その通り。バッファローの親子ははっきり覚えていた。証言もしてくれた。目撃したのは『白いウマ』だと。そして、キリンの兄ちゃんも証言した。見たのは『黒いウマ』だってな。」
「つまり、別々のウマを見たと?」
「そうだ。」
「そんな珍しい動物がたまたま二匹?」
「そうだな。」
「奇妙な話ですね。」
「その通り。」

 一瞬、稲妻の様な光が私の頭を走った。思わず「アッ」と声を上げた。二人が驚いてこちらを見た。
「君、どうした。」
 シマウマ氏が驚いて私に言った。
「何かあるのか?」
 ケニアモンキーの鋭い視線が私に注がれる。私は迷った。言うべきではないかもしれない。けれど、私の中の正義の心と、謎への好奇心を抑えることができなかった。気がつくとせきを切ったように喋りだしていた。
「バッファローの親子も、キリンの若者も、この、草原ごしにここを見ていたんですよね? つまり、その、目撃したという『ウマのようなもの』は、部分的に草に隠れていたわけです。その、草の生える、縦の方向に。草ごしに見て、ある部分は白く、ある部分は黒い、そのように見える可能性のある色、いえ、模様がありますよね、つまりーー。」
「縦縞だ。白黒の。」
ケニアモンキーが私の言葉を続けた。きっぱりと。

 今度は、シマウマ氏が私とケニアモンキーの視線を一身に浴びることになった。一瞬の沈黙の後、シマウマ氏が愉快そうな笑い声をあげた。
「お見事だ。正解だよ。ふたりとも。」
そういうと、首を曲げて、ニンゲンの頭の毛をほんの少しだけ口にふくみ、引っ張って、抜いた。

「いってぇ!」
 ニンゲンが大声を出した。
「逃げるぞ!」
 シマウマ氏が愉快そうに言った。二人で走り出した。
「でも、いい写真とれたぁ!」
 背後でまだニンゲンが叫んでいるのが聞こえた。

「結局、あのニンゲンは生きていたのかい?」
湖の反対側まで走りついて、疲労した体を水で癒しながら、私はシマウマ氏に尋ねた。
「そうだよ? 初めから死んでるなんて言ってないだろ?」
「じゃあ、どうしてあんなに動かなかったんだい?」
「黒い機械を持っていたろう?」
「うん。」
「あれ、先に小さいガラスみたいなものがはめてあるんだ。あれで、僕たちをとるらしいよ?」
「『取る』? どうやって?」
「さあね。そうニンゲンが言っていたんだ。さっきも聞こえただろう? 『いい写真とれた』って。」
「『写真』って、なんだい?」
 私が聞くと、シマウマ氏は、また、愉快そうに顔をほころばせた。
「さあ? 見たことがないから僕も知らないよ。」
「でも、君は知ってたんだ。あのニンゲンが、あそこに生きてるけど、ぴくりともしないで横たわっているって。」
「うん。昨日、見たんだ。まさか、他の動物に見られてるなんて思わなかったね。」
「どうして知らんぷりなんかしたんだ。」
「君にも、見せてあげようと思って。できるだけ面白い方法で。」
それにしても、人騒がせだ。わたしは怒りで頬を膨らませた。
「そう怒るなよ。それに、僕の考えではね、あれがきっと『怪人』なんだ。」
「あれが?」
 私は好奇心で怒ったのも忘れて聞いた。
「そう。『とって』たろ? 『写真』てものをさ。しかも、あんな、少しも動かないなんて、大変なことをして、僕らを呼びよせてさ。きっと、ニンゲンにとっては僕らも貴重なお宝なのさ。」
「僕らが? 変わってるな。」
「そう。変わってる。」
シマウマ氏がまた笑った。
「いつか、20個も顔がある所を見てみたいね。本当に面白いね。ニンゲンてやつは。」

ショートショート No.365

不定期で青空文庫作品のパスティーシュを書いています。
本作は、江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」のパスティーシュです。


 パスティーシュを書く目的の1つとして、出来上がった作品がもとの作品を読むきっかけになればいい、ということがあり、パスティーシュとはいうものの、ミステリである「D坂の殺人事件」に関しては、オリジナルの犯人までわかってしまわないよう、工夫を施しました。どちらかというと、もとの作品にしかけられたフェイクに加担するような工夫ですので、オリジナルをご存知の方にも、くすりと笑っていただけたらな、と思います。

 次の青空文庫のパスティーシュは夏目漱石の「倫敦塔」を予定しています。明治時代の文章は、口調を真似るか優しくするかも考え所です(楽しい)。


NNさんの企画「100のシリーズ」に参加しています。
今回のお題はNo.05「探偵」です。
前回のお題 No.63「俳句」

残りのお題
20歌/34くじら/45愛/66ポップコーン/72ミッションインポッシブル/75裏切り/77的中/80まちぶせ/81ゆうびんやさん/84天気予報/85湖底/876億年後/88ペンギン/91体重/92ダリア/94はらごしらえ/95ロングヘア/96遅配/99船/100カブト