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本読みー福田花


最近の私はめっぽう読書にハマっている。
小さい頃はよく本を読んでいた気がする。図書室にもよく行っていた。中学生になり、本から離れてしまい、高校は映画を見るために図書室に行くだけで本を借りたことはないのではないか。
しかし、本を読み出すと、そういえば読書って楽しいんだったと思い出す。

店番をしながら、いそいそと本を読む。
この店は図書館みたいな色だと思う。
静かで薄暗い。植物はあるけれど生き生きした爽やかさがもたらされている気はしない。おそらくここにいる植物がどれも深い緑色をした葉っぱたちだからだと思う。

本はどこへでも連れてってくれる。素晴らしい本は色や光、湿度や温度まで感じられる。知っている景色はなく、字を追って創りあげていく私の頭の中の世界に私は登場人物と共に立つ。

以前も書いたが私は本を読むのが早くはない。その上飽きっぽい。持っている本の半分が読み終えてないものだ。いわゆる積読である。
欲しくなって買うのに、「買った」ということで一旦満足してしまい、一応カバンには入れるのだが、読まないな…と気づくと本棚に仕舞われ埃をかぶっていく本もなかなかにある。

一方で最近は1冊だけを読み終えてから次の本に進むのではなく、気分によって読む本を変えたりする「同時読み」(命名:私)ができるようになった。これまでは多くはない空き時間(私が捻出できていないだけだが)に本を読んでいたので、なんとなく制限時間があるように思っていたが、情けないことに店が暇なので無制限に本が読めるようになった。そうなると「同時読み」がしやすい。

最近は『アヒルと鴨のコインロッカー』(伊坂幸太郎)、『ここは退屈迎えに来て』(山内マリコ)、『sunny』(松本大洋)、『言葉とは何か』(丸山圭三郎)、『かけがえのないもの』(養老孟司)、『モモ』(ミヒャエル・エンデ)、を同時読みしていた。

友人が貸してくれた『アヒルと鴨のコインロッカー』とついこの間買った『ここは退屈迎えに来て』は一足先に読み終えた。

『アヒルと〜』は体感的に初めてのミステリー作品だった。ファンタジーにばかり興味があったので、ミステリーを避けていたわけではないがなんとなく読んでいなかった。読後に感じた気持ちこそが人がミステリーに夢中になる所以かと思った。気持ちがよかった。

以前『ここは退屈〜』を本屋に買いに行ったが売っていなかった。田舎のしがない本屋には著書は1冊しかなく、目当ての本はなかったが山内の作品を読みたかったので購入。それが『あたしたちよくやってる」だった。読めば読むほど「私の話⁉︎」となった。そして『ここは退屈〜』もまた「私の話だ…」となった。山内が感じる東京と田舎への気持ちを私は知っている。本作は映画にもなっていて、先日それを観たのだが、好きか嫌いかは抜きにしてこれは原作を読まなければと思い、今回はブックオフへ。あの本屋にはなかったのに近所のブックオフにあったのだ。満を持して読むことができた。

『sunny』は漫画なのであっという間に読み終えてしまった。ブックオフでケチって1巻だけ買ったのだが、あの時まとめて買えば良かったと後悔している。友達に話したら、彼はその漫画を友達に貸したまま返ってきていないようで2、4、5、6巻を探しているようなので次回行った時にその巻はなくなっているかもしれない。

『言葉とは何か』は大学のゼミで使った。当時、「『言葉とは何か』、答えが出るものか!!」と思ったのを鮮明に覚えている。読み返しているところである。答えは出なくとも考えることが大切で…と今なら思う。

『かけがえのないもの』は直感的に私は養老孟司が好きなのではないかと思い買った。結果としては好きだと思う。“お話”ではないことが面白い。半分しか読めてないので偉そうなことは書かないでおく。

『モモ』は児童文学的なポジションでおそらく幼い頃に読んだことがある人が多いのではないだろうか。当の私は全く読んだことがなかった。私はダレンシャンとロアルドダールの本をひたすら読んでいたから…。
そういえば、ブックオフに行った理由もお店にロアルドダールの本を置きたいからだった。が、結局なかった。私はクエンティンブレイクが挿絵を担当しているロアルドダールの作品が欲しいのでそれ以外は興味がない。

『モモ』を読み始め、1/3くらいを読み終えようとしている。
現代の風刺が50年前に児童文学として書かれていることに、本書きの豊かさをおもう。
私は店に立つ私をモモと重ねてみたりする。そして時間どろぼうが格好のターゲットにしそうなこの店の時間を守らなくてはな、と思う。
どのような展開になっていくのか、これを書きながらもう本に戻りたいとそわそわしている。

本を読むこと、実に能動的な行為だ。今日はどの本にしようかと選ぶところから始まり、それを手に取り、ページをめくって字を追う。頭の中に映像を映して、内容を理解しようとしながら自分の感情にも寄り添う。私の想像力の基盤は幼少期の読書によって築かれていることは間違いない。

豊かさはコスパやタイパと呼ばれる効率重視の世界とは対極にあると思う。

喫茶店で本を読む。なんて豊かな時間だろう。

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