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【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・15

2.カンボジアー2017年

 シェムリアップの街に“負けた”夜 

 そんなこんなで漕ぎつけた家族旅行。
 メルボルンから当時“何かと話題”のマレーシア航空でクアラルンプール経由、カンボジアのシェムリアップへ。ほかの航空会社のオプションももちろんあったが、大幅予算オーバーかLCCなので(機内サービスがなく遅延の可能性大のため、乗り継ぎや国際線でのLCCは絶対に乗らないことにしている)、失踪して未だ行方不明中のML370便、ウクライナ上空で撃墜されたML17便を大いに気にしながら、「少し前に国有化されたから大丈夫じゃない?」と、なんの根拠にもならない理由で自分たちを安心させての搭乗となった。
 無事にクアラルンプールからプノンペンに到着して入国ビザを購入し、更に国内線アンコール航空に乗り換えて、いよいよ最終目的のシェムリアップへ。
 空港の到着ロビーで最初に出迎えてくれたのは、現地ガイドではなく、“カンボジアの子どもたちを助ける団体(チャイルド・セーフ “カンボジアの子どもたちは観光用見せものじゃない” の各国語リーフレットで、思わず私より背の高い息子の手を握りしめる。
 「こんにちは」
 英語で迎えてくれた、純朴で真面目そうなツアーガイド、ピーに連れられてバンに乗り、市内のホテル、プリンス・ダコールにチェックイン。ホテルはカンボジア情緒たっぷりで、スパ、サウナ、マッサージ、プールもあるうえ、繁華街までも徒歩圏内にある。
 「じゃ、明るいうちに散策に行って来るね」
 スーツケースの荷ほどきもそこそこに、サンダルに履き替えて逃げるように出掛けようとすると、
 「どこ行くの? 一緒に行く!」
 夫には息子ももれなく付いてくる。ああ、一人でぶらぶら行きたかったのに。日常は置いて行きたかったのに。まあ、ボディガードと思うとするか。
 地方の観光地なので、お土産屋の間にレストラン、カフェ、バーが並んでいて、ときどきスーパーマーケットがある。道路は舗装されておらず、車やバイクの多さに夫も息子も固まっていたが、テヘランの比ではない。あてにならない地図を頼りにナイトマーケットを目指す。歩き回っているうちにBOD値マックスの川にかかる橋の向こうに“ここにも”ハードロックカフェを見た瞬間、どういうわけか“負けた”と思った。正確には、カフェの前のラウンドアバウトを見た瞬間だ。
 若かったころに目にした東南アジアの街はまさにこんな感じで、街は汚く異様な匂いが漂っていた。黒い煙と轟音を吐き出す車やバイクが交通ルールも無視して走り回り、通行人も裸足・裸に近い恰好で誰もが強盗犯に見える。若かったころは、そんな光景を好奇心にまかせてすべて受け入れることができた。異様な匂いの、壊れそうなバイクの、みすぼらしい人々の向こう側にある、目には見えない本質、背景を見つけたいと思った。自分には気が付かなかったが、それはその国の文化や歴史、社会や政治への好奇心だったのだと思う。そんな動機が次の旅行へつながっていったのだと今なら説明がつく。
 しかし今、同じ光景を目の当たりにした微魔女の私が感じたことは「わーっ、無理だわ」。目の前の壊れそうなバイクが行き交うラウンドアバウトだけでも、もう受け入れる気力も体力もないと悟ったものの、さらにその向こうに不釣り合いな外国資本のカフェが燦然と建つのを見るにつけても、USドルやユーロの札束に頬を叩かれるカンボジアの姿がまざまざと浮かんできてしまう。それにもまして、露骨なまでの中国マネーの侵略に対して、ただ甘んじるしかない東南アジアの最貧国。アメリカの経済制裁を受けながらも耐え、反撃の機会さえ狙っている誇り高いイランとは違う気がする。
 まだまだ知らないことの方が多い私でも、50歳ならば50歳なりの見聞や教養がある。何も知らなかったころは素直に受け止められたことも、この年齢になるといろんなフィルターが邪魔をして、額面通りに受け止められなくなるのだな、それがトシを取るということなのだ、と思い知らされた夜だった。

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