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エルスケンの写真集を肴に飲める

エルスケンの写真集をはじめて目にしたのは、小さな古書店だった。


パリ、というワード以上に、「セーヌ川」というワードにめっぽうヨワい私は、偶然目についた「セーヌ左岸の恋」というタイトルの写真集をめくった。


女のひとが鏡越しでぼんやりと宙をみている、モノクロの表紙。


中身もモノクロで、目のふちを強く囲ったアイラインの女性がいた。あるページにはニットを着て、あるページには裸で。

表紙の女のひとだった。


エキゾチックな美人だ、と思った。鼻は高く、細長で、レディーガガみたい。タバコをふかし、パリジャンにもたれたり、もたれかかられたりしている。


写真集は物語的な文章でまとめられていて、写真だけではないそのストーリー性にも惹かれた。表紙の女と、それを取り巻く男たちのはなしだった。


わたしはいそいそとその写真集のタイトルと写真家をメモり、後日、べつの古書店で「巴里時代」という写真集を手にした。ぱららと捲り、そのままレジへ持っていった。フリーター生活10日目のことだった。


エルスケン「巴里時代」

1950年から1954年のパリの様子を撮っている。やはりモノクロ写真で、後半のページには「セーヌ左岸の恋」で見かけたような写真がちらほらあった。


序文はなんと、あの篠山紀信が書いている。

「最初から私事で恐縮だが、一応自分の写真が世に認められたのは、第一回A・P・A賞ミステリーのための試作という作品だった。1961年、21才の時のことだった。」


から始まったたった1ページ、彼は


「荒んだ貧しい暮らし、それでもものを創るエネルギーだけは体じゅうに溢れかえっていた。その頃、ぼくに決定的に突き刺さっていた写真集が二冊あった」


とあり、そのなかの1つが「セーヌ左岸の恋」だったという。



エルスケンはアムステルダム出身のオランダ人。24歳の夏、ヒッチハイクでパリに来た。


溝の中に死んでいるネズミや、セーヌ左岸でキスをしている恋人たち、浮浪者や道端で寝ている酔っ払いなどを撮る。


写真現像所で暗室助手の仕事を手にし、ハンガリア生まれの写真家と恋人に。


ロートレックの雰囲気が残る地帯に部屋を借り、放浪の写真家として街中にカメラを構えていく。


なんとあのブリジットバルドーがバレリーナ時代の写真もあった。若い!

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街の少女はポージングもキュート。ぱっと見でも素敵なのに、よく見ても素敵。

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50年代のパリなんて、どこを切り取っても魅力的なんじゃないの、と思う。

それはその時代がそうさせたんだと思う。60年代にはゴダールがいて映画を撮っていたし、まさしく時代はパリだった。モノクロが、色つきよりも鮮やかに感じるほどのパリ。


「セーヌ左岸の恋」の主人公ともいえる、表紙となった女の名前は、アン。

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コケティッシュで、堂々とした目で射るような視線を投げかける、50年代のミューズ。「巴里時代」後半は、彼女を映したページがいくつもあり、それがやっぱり「セーヌ左岸の恋」への繋ぎとなる。


一度も目にしたことがない時代の、だけどもう二度と見られないであろうパリの風景を、眺めることができてよかった。パリには行ったことがあるけれど、こんな感じではなかった。わたしが行ったのは、モノクロの世界とはほど遠い、新しいパリの世界だった。それはそれで楽しかったんだけれどね。

嬉しい!楽しい!だいすき!