教育実習記(10)
第4日目の黒長の発言について、俺はけっこうショックを受けて、色々考えていた。
教育実習に来た俺は、高校生のときの自分を追体験しているような気分で、目の前の生徒を救うことで、なんだか過去の自分も救われるような気がしていた。
そんな彼らが吐露した息苦しさに対して(そして他にも似たような思いを抱いているかも知れない生徒たちに対して)、教育実習生として何かできないだろうかとずっと考えていた。
彼ら全体と接する時間として残されたのは、残りの授業2時間分。最後の授業は研究授業に使われるから、残りの1時間で、彼らに話をしたいと思った。
***
5限はA組での授業実習(2回目)だった。
まず、冒頭は、前回の授業の反省を踏まえた話をした。授業のペースが速すぎること、「塾に来たみたいな授業だ」という評価があったこと、「何が芯であるのか分からない」「説明をするだけで一方的だ」との批判があったことに加えて、「型に嵌まったような授業だった」という意見があったこと。
この「型に嵌まったような授業」といわれる原因が何かを考えると、1つは学習指導案どおりに授業をしないといけないことがある。
『実は、教育実習生はこんなものを書いてるんですよ』と言って、俺は学習指導案を配布した。「こんなの配って良いの?」と生徒が聞いたが、俺は『配ってはいけない決まりはない』と返した。
本来なら、指導教員のM先生が俺の実習を後ろで見ているはずだが、どういうわけかこのときは教室に現れなかった。M先生に止められたら配るのをやめようかと思ったが、現れないのを良いことに俺はそのまま話を進めた。
『俺は俺らしい授業って言うのをしたいんだけどさ、教育実習は回数が限られているし、しないといけない授業も決まっているし、自分で作った指導案にもしばられてるし、高い技能があるわけでもないから、型に嵌まったような授業になってしまって申し訳ないと思います』
『先週、俺がたまたまこの教室を覗いたときに、生徒たちに混じって話を聞いていたら、「素の自分を出したままでは、この学校に入れなかった」とか「本当の自分を知られるって恐い」とかっていう話をしていて、すごく悲しかったんだけど、それって俺自身が型に嵌まったような授業をしているのと同じような話なのかな、と思った』
『良い生徒でいよう、良い子供でいよう、良い教師でいよう、高く評価されよう、という志は悪いものではないけど、それに圧迫されすぎると自分らしさが無くなってしまうし、息苦しくなる。賢く生きるのも一つの手だと思うけど、あまり他人からの評価を気にしすぎずにして欲しいんですよ』
『2週間しか一緒にいられない教育実習生だけど、いつかどこかのタイミングで、「そんなこと言ってた人がいたな~」って思い出してくれればうれしいです』
という話を10分ぐらいかけて話した。
しんみりと、ではない。生徒たちはむしろ俺の話を聞いて大いに反応し、大笑いしていた。「それって自分のせいじゃないの!?」とか、「あ~、私もそういうの分かる~!」などと同調してくれる生徒がたくさんいたのだ。むしろ、生徒たちは授業よりも、そういう話を待ち望んでいたようだった。
教育実習生の控室が近くにあったせいか、盛り上がっているA組の教室に他の教育実習生が何人も集まってきてしまっていた。生徒たちからは、「こんなに集まって来ちゃったけど、話し続けていいの?」という声もあったぐらいだった。
【 今から思い返せば、授業が早すぎたり、一方的になってしまった原因は、「内容を詰め込みすぎ」であったように思います。事前に十分に下調べして、いろんなことを知れば、それをどうやって生徒に伝えようかと躍起になりますが、それをどうやって「切り落とすか」「ピックアップするか」という技能が、実は重要だと思っています。生徒の状況に合わせて、削るべきところは削る、重要なポイントを際立たせる、ということかと思います。生徒の指摘には、「何が芯であるのか分からない」とのコメントがありましたが、何でもかんでも教えるのではなく、芯を明確にして、枝葉の部分はある程度省略すると、メリハリのある授業になると思います。】
話がちょうど終わりかけた頃に、まるで狙っていたかのようにM先生がひょこっと現れ、俺の授業は憲法の内容に戻った。
授業が終了した後に、M先生に顛末を話したところ、「それは良い授業だったね」と褒めてくださった。「指導案なんか見ることがないから、もらった生徒にとっても良い資料になったんじゃないかな」と。
***
結局、「型に嵌らない授業がしたい」という話をした後の授業に関しては、前回と同じような授業しかできなかったと思う。力量不足というか、計画不足というか、不甲斐ない話だ。
もっと生徒が発言できる授業に出来たらいいと思った。生徒は授業中以外には色んなことを発言してくれるから、そういうのをもっと授業中にうまく取りあげていければよかった。ただ、生徒に発話させると思わぬ方向にことが進んでしまうことがあるから、予定どおりの授業ができなくなってしまう。
まあでも結果としては、全体的に褒めてくれる生徒が多かったように思う。
「先生の授業ってわかりやすいですね。塾の先生になったらいいんじゃないですか?」みたいなことを、旗上君が言っていた。(なぜ塾?)
あとで、黒長君が一人の時に、『ごめんな、こないだの話を勝手に話題に出して』と言ったら、「あー、いいっすよ。そんなの。気にしないでください」と返ってきた。
「でも、きっとクラスのみんなには、俺がそんなこと言ってたってことがバレちゃってますよ」
『え、ほんとに?』
「なんかそんな気がします」
『それだったら、黒長君にめっちゃ迷惑かけたかも知れん』
「いや、まあ、いいっすよ。たぶん」
そうやって考えると、結局は俺の自己満足に過ぎないんだろうか。
A組生徒の感想
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