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蓮という人(の、素描) 下

【あわせて読みたい:これは短篇『大人の領分⑤澪里』の付録です。シリーズラストにつき特盛!なにやら複雑な事情を感じさせるこの人に、さまざまな角度から光をあてるこころみ。こうしてやっと蓮に光が当たります、破壊的な可愛さと蠱惑的な性格の絶妙なバランスがもはや特殊能力の域に達しています、蓮はみんなのヒーローです、大人な蓮の、こどもの国。ほか】

ずいぶん遠い道のりでしたが、頭の痛い配線を力の限りほぐして、とうとうここまで来ることができました。

蓮という人(の、素描) 上
蓮の母・穂南海さんのお話が中心

蓮という人(の、素描) 中
蓮の父・タカラくんのお話が中心
ハルカさん、柚希さんは中巻から登場します。

蓮の覚えていないところ、蓮には見えにくいところで起きていた大人の事情が、蓮にはどう見えていたのか…それは私にも知りようがないんです、推測するのが、関の山。真実は唯一、蓮のみぞ知るところです。のでね、上中巻という長い準備を経たからこそ見えてくる蓮くんの人となりについて、ようやく、思いを馳せたいわけですね。上中巻をお読みのかたのなかには、蓮という人について、お察しのところもあるかと思われます。ありがとうございます。さてさて、どこから話そうかな。

いやはや、この人もねー…結構、ちゃんと外ヅラのある、いい性格してるんですよ。例えば、蓮にとって「普通じゃない」というのは、「バカ」「ブス」「いじわる」。そういう意味では、蓮は大変「普通」を愛して「普通」に生きてます。いや、普通の人には、そんな「普通」は生きている人間の属性とは思えないんですが、まあ結局「普通」を突き詰めるとそうなるんですよね、顔面の標準とるために平均顔作ってみたらすごく美しくなっちゃったみたいな話で、皆さん普通普通言って自分の首を絞めてることになかなか、お気づきにはならないようで…。

普通じゃない人に「お前は普通じゃない」と言われてもピンとこないですよ。うん。

という、これが蓮のスタンス。そして蓮に一風変わったテンションで「お前、普通じゃない」と告げる人は大抵、蓮にとって「普通じゃない」人なので、なんかあれだな、変な人なんだな。と思ってピンとこないまま「普通」の世界に帰ります。そこでは蓮を特別な存在として慈しみ愛する人は沢山いても、特異な存在として遠ざけ線引きする人はいない。まあ、家の話をすると結構な頻度で羨ましがられたり謝られたり怖がられたりする、その理由もまたピンとこないので、本当はすごく誇らしいんだけど、蓮は自分の暮らす「普通」の世界について多くを語らないです。うまく言えるほど語彙がない自覚もありますが、だいたい同級生にも語彙がないのであって、そう、蓮にもダークな一面はあるんですよ、歩けない人に走れと言わないタイプの蓮には、自分の「複雑な家庭」事情について云々するなんて、面倒以外のなにものでもない。男子たちには、それがさあオトナのジジョーってむずかしいのな。おれ、よくわかんねーわ。ま、困ってはねえよ。と、テキトーに「男子」してます。

蓮という人の、こういう奥の深い二面性については、分類前の人格の坩堝である学校社会と、分類を超克した領域である自分の家庭との、どちらをもよく理解したうえで、素直に自分でいることができている、という点からじっくり観察していくと、よく見えてくるでしょう。人には人の心の世界があるのだということを、そして、それは人がひとりひとり閉じこもることを意味するのではないのだということを、こんなに感じさせる人も、なかなかいません。

はい。会う人会う人に深く愛されて育った蓮の性格の特徴は、したたかさ、アサーティブネス、愛される確信、伝わる自信。はたからみると、蓮は色んな人に掛け持ちされ、たらい回しにされた挙句、自分とはなんの関わりもない赤の他人の家に居候しているように見えますが、蓮にしてみればそれは「普通じゃない」世界の、ピンとこない言いかた。具体的なところは素描の中巻で示せたと信じたいんですが、蓮にはみんながとても近い、とても親しい人たちですし、みんな、蓮を前にして大人という鎧を脱いで、自分の人生のいちばん素直であったかい部分を、蓮と分かち持とうとしてきた。蓮が養育者から受け取ってきたのは、人と人とが向き合って過ごす、という、求めても与えられることの極めて少ない、貴重な時間です。一点だけ、働く大人の生活時間に合わせなければいけない時代が長かったのは、蓮には少し苦しいことだったんですが、それは、規則正しい生活をこよなく愛する柚希が、解決してくれました。子どもたちの喧騒を浴びて帰ってくる蓮は、このところひとりの時間を欲してもいて、タエコが帰ってくるときのためにまるまんま空けてあったひと部屋をまるまんま、自分の城として預かったことも、蓮の安らかな生活に大きく貢献しています。蓮と柚希の関係は、一言で言えば恋人に発展することを合意の上でやめた友人関係のようなもの。実は寂しがり屋な側面もある柚希の、強がっている部分を、蓮は同居人という形で軽やかに、しかし力強く支え、蓮もまた、落ち着いた規則正しい生活と、優しい敬意に満ちた安定的な人間関係を得ることで、心静かに毎日を送れているわけですね。

ところで、学童ばっかりでもつまんないんで蓮は週2で塾に通ってます。ちょっくらトランポリン乗って遊ぶか、くらいのノリでお勉強は目を疑うほどできますが、「勉強ができる」賢さによって蓮が賢いのではないことは、誰しもが認めるところ。ちなみに塾での蓮くんですが、蓮としては別に、特進クラスで敵愾心を燃やされながらメラメラした突飛な講師にビシバシやられたいわけではないので、クラスは普通のクラスにしてもらってます。勉強って蓮には奥深いんで、簡単だからってヒマにはならないんです。が、担当講師は申し訳なさから、蓮専用の教材や資料をこっそり用意してあげてます。講師も真面目が取り柄な可愛らしい若い女性だし、うんうん、満足満足。穂南海は、蓮にはただ、蓮の思う通りに育って欲しいと思ってまして、英才教育はべつだん、望んでません。強いて言うなら、人間がどうやって社会を営んでいるかについての知識を得て欲しいと思っていて、美しいものにたくさん触れて欲しいと思っています。が、そんなこと、蓮に関して言えば、こちらから敢えて与える必要などないのですね。なぜなら、蓮という人を前にして何かを与えられるとすれば、それはすぐに蓮に追い抜かれてしまうような大した背景もないただの知識ではなく、蓮に接する自分が社会にどう関わっているのかを自ら理解し、この地上で自分が生きているということについて、蓮に伝えることだからです。美しいと思うものを蓮に押し付ける前に、自分の心に問うべきことがあるわけですね、だって、蓮に接する人々が、美しいものを見たときにそれを心から美しいと思える人々だったこと、彼らがみな美しいものをためらいなく、嘘偽りなく美しいと思えてきたことこそが、蓮という人の心の大地を、これほど豊かに、育んできたのですから。

と、いうわけで、蓮は言語能力をはじめとする認知的能力に加え、コミュニケーション能力をはじめとする非認知的能力をも十全に発揮することにしてまして、大人はぐさっとくるひと言や勘所をおさえた配慮にメロメロ、子どもは機転の効いたサポートや優しさや強さにメロメロ、という具合に、全方位メロメロの嵐が発生。穂南海なんて3歳児健診で保健師さんに「お困りのことはないですか」などと訊かれた日には「息子が可愛すぎて困ってます」とのろけたい始末でしたし、未だに蓮の長所はと聞かれて「尊さ」と答えたい衝動にかられます。保育園の先生、クラスの子、シッターのおねえさんがそうであったように、またタカラくんを筆頭に澪里にいたるまでがそうであるように、年々そのパワーを強め、どんどん一緒にいる人をどうしようもなくメロンメロンにしています。小学校でも同級生の男子には、走るの早くて勉強してないのに勉強できるクールさ、その面倒見の良さと懐の深さ、素直さ、喧嘩っ早さで一目置かれ、女子にはいつも「蓮くん♡蓮くん♡蓮くんはどう思う?」とメロメロされ、現在担任の相原先生も、蓮くんを特別扱いしないよう心掛けなきゃ!と首を横に振りながら気の緩みに抵抗しなければいけないほど、さりげなくメロンメロン。はい。

ヒーローか。

はい、蓮はみんなのヒーローです。みんな、そこはかとなく、蓮に救われてる。そんななか、蓮自身は呼吸をするように無意識に、自分のやりたいように人を愛すことができる。そこに、強引さはあっても身勝手さがなく、甘えはあっても媚びがなく、寂しさはあっても暗さがないところが、蓮の蓮たるゆえんではなかろうかと思われます。ね。一蓮託生という言葉がありますが、みんな蓮と同じハスの上に乗りたくなっちゃうのです。末恐ろしい子ですねえ。

蓮という人について、私は十分に語れたでしょうか。…いえ、これは素描なのだから、私はきっと、素描としての十分を満たしていれば、筆を置けるのです。私はいま、蓮という人の素描を、書き終えます。


大人な蓮の、こどもの国。YouTubeはやっぱりずっと見ちゃうけど、オトナのどうしようもない部分は見たくないので、オトナのどうしようもない部分だけ見えないようにするこども用のフィルターがほしいと実はつねづね思っている。アイスクリームは冷たすぎるから苦手。国立天文台が無料配布している宇宙シミュレーションソフトが好きすぎて、高解像度版惑星データを全部追加ダウンロードしてPCが重くなり、柚希に嫌がられたこと。ハルカとアホみたいなお題で踊り狂うのはすごく楽しい。小さい頃の話を持ち出すのは恥ずかしいからやめてほしいとタカラに言いたい。澪里ちゃんはいい匂いがして可愛くて優しい。ので、ついつい「ゆうわく」してしまう。柚希がタエコと電話しているときに、柚希におんぶしたり膝枕させたりして構われたがるのはあんまりかっこよくないことだ、という、自覚はある。プラレールをカスタマイズしたいんだけどまだ手先の器用さが足りず、悔しい。タカラが、イチゴショートのイチゴを必ずくれること。待っているとゆっくりゆっくり色が変わるのが楽しい、夕焼け空のきらきらした雲。相原先生のお腹には先週から赤ちゃんがいるような気がする。高学年になったらナスカの地上絵みたいな白線を引きたいなあと思って眺める、校庭の体育の授業。の向こう側でやたら急いで走っている女の人がタオルハンカチらしきものを落としたのを目撃したんだけど、女の人は気づかなくて、ハンカチの行方が気になって仕方がない、ある晴れた日の3時間目、宮沢賢治の詩。をタケちんが音読してる最中に、後ろの席のウタちゃんからこっそり渡される、ひみつのメモ、「つくえのなか←みて!」で見つけた、ハート折りのノートの切れ端の内側に、精一杯可愛く書かれた、「す き」。昨日、誕生日プレゼントの天体望遠鏡に合わせて届いた穂南海のビデオレターの最後の、「蓮、お誕生日、おめでとう。えっと…あのね蓮…毎年、この日になると、思うんだ。生まれてきてくれて、ありがとう。やっと会えたって思った、あの時と同じ気持ちで、毎年、嬉しいの。だいすき。愛してる。愛してるよ。抱きしめたい。またね」。


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今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。