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砂漠、薔薇、硝子、楽園、(30) 完

feat.松尾友雪 》》》詳細 序文

》》物語概要 / 登場人物紹介

》》》29.
「したい…?」
「したい」

>30.ニキ_

スグルは几帳面に、脱ぎ散らかしたドレスと略礼服を集めてソファに整え置き、朦朧とした様子の仁綺にシャワーを浴びせ、仁綺が裸で寝てしまいたがるのを無視して、ネグリジェを着せた。

「ずっと男物ばかりの君を見てたから、なかなかに、新鮮だな」
着せた時に襟に巻き込まれた、胸元のリボンを引き抜いて直しつつ、感慨を深めたスグルに、仁綺は興味のない様子で、答えた。
「私は、あるものを着る。どちらもそれぞれ、いいところがある。スグルもパジャマにこだわらないで、ネグリジェを着てみたらいい。アヤノはなんでもすぐに、用意してくれる」

スグルは、首を振った。
「このうえ新しい何かに挑戦する心意気は、いまは、残ってないな。シルクのパンツにシルクのアンダーシャツってだけで、感無量だよ。寝る時は、僕は下着でいい」

仰向けに、スグルの左に横になった仁綺は、ほんの少し、頭だけをスグルに傾けて、夢うつつな甘い声音で、呟いた。
「《ヂェードゥシカ》に、会ったよ…」
「へえ…僕は防弾のマジックミラー越しにしか、会わなかった。つまり、会わなかったんだよね。こう、後ろから銃口を当てられてさ…そんな、情けない自分の姿を眺めながら、じろじろ見られてる雰囲気だけは感じて、イヅルがあっちに入っていって、ひたすら、待って…それから、出てきたイヅルに《サーシャ》を紹介された。今度は、銃は抜きでね。イヅルはずっと、あの感じだろ。そこそこ、肝を冷やしたな…」

スグルは話しながら、仁綺の頭の下に腕を入れて、足元の間接照明を受ける天蓋の紗布の、陰影を眺めた。
「あの感じ?」
「あの感じさ。僕がいないならいないで全然、問題ないんだけど、ちょっとは恩があるから、その『ちょっと』のぶんくらいは気にかけてあげようかなっていう、冷ややかな風情だよ」

仁綺はスグルの答えにはっきりとは応じずに、スグルのほうへ体を倒して、伸ばした左手でスグルの頬を愛おしげに、撫でた。スグルは頬に当てられた仁綺の手を取り、唇を押し付けてから、やんわりと握った。
「まあ、…知り合ってまもなくだったからね。イヅルにしてみたら僕は、自分にそっくりなだけの、チンピラだっただろうし…僕は僕でイヅルのひととなりまでは、よく知らなかった。しばらくは、そういえば、壁のシミみたいな扱いを受けていると感じて、人間に対するみたいに、憤慨してたな…イヅルが一般的な観点から言う『人間』じゃないと気づくまで、結構かかって…慣れた今では、懐かしい…」

スグルは、話に耳を傾けながらも瞼が重くなってきたらしい仁綺に、そっと、尋ねた。
「《ヂェードゥシカ》は…どんな人だったの?」
「…絵に、描いたような、おじいちゃんだったよ…。枯れ木みたいに痩せてて、蝋人形みたいに、艶のない…真っ白な顎髭をふわふわに伸ばしてて、眉が消えかけてて…うっすら残ってる髪も、真っ白だった。顔は、口のまわりがとても、しわくちゃで…頭の真後ろから下はずっと、刺青がびっしり、入ってるみたいだった。刺青で真っ青なしわくちゃの白い手に、エメラルドがひとつ嵌った金の、結婚指輪をしてた。イヅルと会いに行ったときは、大きな電動ベッドの背を立てて、パジャマの上に黒いナイトガウンを羽織って、座って休んでた…。まつげも、真っ白だったよ。窪んだ目の奥が、氷みたいに綺麗な、水色だったな…」
「ふうん。怖かった?」
「わからない。みんなは、怖がってるようだった。しゃがれた声だった。私にはなんだか、丁寧だった」
「どんな話をしたの?」

スグルの問いに、仁綺は眠たげに目を閉じて、答えた。
「んー…話は…なにも…。《ヂェードゥシカ》は、なにも、話さなかった。黙って静かに過ごしてもいいかと訊かれて、いいと言った。紅茶が冷たくなるまで、イヅルと、私と、3人で黙って過ごした。…最後に、そばへおいでと言われた。手を握っていいかって訊かれて、いいと言った。かさかさの、冷たい手だった。それから…おでこにキスしていいかって訊かれて、いいと言った。かさかさの、冷たい唇だった。キスが終わって顔を上げると、《ヂェードゥシカ》は泣いていた。自分が泣いていることに気づいていないような、泣きかただった…イヅルが、ハンカチで拭いてあげるのにも、なんだか、不思議そうにしていた。私は《ヂェードゥシカ》を抱きしめようとした。《ヂェードゥシカ》は首を振って、私に、イヅルと一緒に帰るように言った。それきり」
「そう…」
「イヅルは、私たちがいいことをしたと、言っていた。私も、そう思った…」
「……」
スグルは仁綺の話を聞きながら、指を絡めて握った仁綺の手の甲を、骨に沿って優しく、なぞっていた。しばらく、無言の時間が続いたあとに、スグルはふと、呟いた。
「僕たちも、いつかは、死んでしまうんだな…。もしも、僕じゃなくて君が先に、いなくなったら…僕はどんな気持ちで、君がいない世界に残るんだろう…《ヂェードゥシカ》もきっと、そうなんだ。つらいけど、生きるしかないんだ…。僕はきっと、君がいないことにいつまでも、いつまでも、耐える…だって、まるで、僕がいなくなったら、君が僕といた時間まで、なくなってしまうみたいで…」

…仁綺は、眠っていた。スグルも、目を閉じて、眠りに沈んでいった。



翌日、人形のように枕元に控え立っているアヤノに気付いてスグルは飛び起き、朝食にするか昼食にするか尋ねられ、仁綺と一緒に仁綺の部屋で、遅すぎる朝食を食べた。読み物があると言う仁綺を部屋に置いて、スグルはアヤノと一緒にサーバーの点検をし、侵入した時に気になった部分について、離れでアヤノと話し込んだ。「ルリ」を維持している技術について語る、アヤノの目には情熱が垣間見えて、スグルは少し、安心した。話題は尽きなかった。そのうちにふとアヤノは時計に目をやり、仁綺が待っているから中庭へ行くようにと言った。戻ってきたら続きの話をする約束を取り付けて、スグルは離れと屋敷の間の通路を抜けて、中庭に向かった。

仁綺は中庭の入り口近くで、薔薇を観察していた。紺のサマードレス姿で、ヒールのない、華奢な革サンダルを履いていた。
「スグル」
「《アヤノ》が、来るようにって…あの人、凄いね。ちょっと、よくわからない感じの人だけど…技術のほうは凄く、勉強になる。凄い」
仁綺は薔薇から面を上げて、優しげに微笑んだ。
「スグルでも、そんなふうに楽しそうに話すことが、あるんだね」
「……」
口を噤んだスグルに、仁綺は手を伸ばした。

「行こう」

「行くって…どこへ?」
スグルは差し出された仁綺の手を取って、仁綺に引かれて歩き出してから、尋ねた。仁綺はスグルの手を誘うように引いて、中庭から屋敷に続く敷石の上を、軽やかな足取りで進んだ。

「『家』へ。スグルが見張っていないと、イヅルが家を燃やしてしまうかもしれないよ」
「イヅル…? イヅルが、帰ってるの? …というか」
スグルは、立ち止まった。引っ張られる形で仁綺も、足を止め、振り向いた。
「というか?」
「ニキ。…僕は、君たちが家を燃やす話は、ある人物にしか、していない」

仁綺は、唇を舐めて見せた。そして、悪戯が成功した子どものように、誇らしげに、スグルに微笑みかけた。
「そう? 寝言で、言っていたよ」
「そんなわけ…」
抗弁しようとしたスグルを、仁綺はあっさりとした調子で、遮った。
「スグルは人の心配ばかりして、自分が欲しいことにはいつも、黙ってしまうか、小さな声でびくびく、言ってみるだけだよね」
「…僕にだって、格好つけて、見せたくない部分はあるよ。うまく隠せずに見えていたとしても、隠そうとしてる僕の意志は、尊重してほしいな」

売り言葉に買い言葉で、応じてから…スグルはこの会話を始まりからもう一度、反芻しようとした。どうしてリュカとの会話を、仁綺が知っているのだろう? 「自分が欲しいこと」…? 混乱して、うまく考えがまとまらなかった。いつもそうだ、仁綺やイヅルといると、強すぎる酒が急に回り始めるときのように、現実がくらくらと歪んで見える、奇妙な心地がする…。

「スグルが格好つけなのは、私は好き。とてもね。楽しい気持ちになる」
満足げに、スグルに微笑みかけ、向き直ってまた、歩き出した仁綺の後ろ姿へ、スグルは声をかけた。
「楽しい、は失礼だよ。素直に喜べないな。だいたい、どうして…イヅルが今頃、出てくるのさ。なにか…更に、悪巧みをしているの?」
仁綺は歌うような調子で、明るく答えた。
「ん…? まだ、言えない。計画が、終わっていないから。悪いことではないよ。少なくとも家を燃やす計画じゃないのは、保証する」
仁綺は踊り場を指さした。
「私はそこで待ってる。部屋から、荷物をとってきて」

計画…?

仁綺に言われたまま、部屋の金庫に放り込んでいた「装備」一式を持って戻ったスグルだったが、そのあいだじゅう、首を傾げた状態だった。
「取ってきたけど…《アヤノ》は? 挨拶くらいは、しなきゃ…君に会って戻ったら続きの話をする約束を、してきてしまったよ…?」
「アヤノはもちろん、知ってる。また、来ればいいという意味だよ。私も、ここに来ないとできないことがある。アヤノはここを守ってるから、離れられない。イヅルはここにはあまり、来たがらない。私たちが、行ったり来たりすればいい」
「……」
「IDは、スグルがくれる。私たちはもう、普通に会える」
「ニキ…」

スグルは、何から答えたものか、わからずに、「装備」を詰めたスポーツバッグを、片手に抱えたまま、踊り場で足を止めていた。

「奇妙だ」
スグルはどうにか、言葉を紡いだ。
「君の機嫌が、良すぎる。怪しい」

「うん。楽しい」
「僕を、振り回すのが?」
「それも楽しい。スグルには、振り回されてばかりだもの。だから、仕返し」
「……。ニキ、いったい…」
仁綺は、困惑するスグルの、空いたほうの手を握った。
「行こう」
「……」

スグルは、手を離した。
「スグル?」
「計画って?」
「さっき、言った。まだ終わっていないから、教えられない。うまくいきそうだよ。あとは、スグルを連れていけばいい」
「ニキ。計画って、なに?」
「大きな、大きな計画。本当は、言いたい。言っていい? 言ったら、一緒に『家』に行く?」

仁綺は一段、階段を登った。スグルもつられて、一段上に、足を掛けた。
「一緒に…行くも何も、あそこは僕の『家』だ。君の『家』じゃないよ。君に連れられて、家出した家に連れ戻されるみたいなその言い草は、遺憾だ」

言いながら…スグルにはやっと、思い当たったことがあって、けれどもそれを自分から口に出すのは、躊躇われた。「計画」…?

《大事な節目よ。お祝いしましょ》…《しましょうよ。じゃあ、こっそりしましょ》…。

スグルが今日、ここにいることは…だって、スグルの本当の誕生日を知っているのは、イヅルだけで…だいたい、自分でもいまこの瞬間まで、忘れていたほどだ、それに、仁綺に会いにくることは、だれにも…。

《僕は、君が思っているよりずっと、行動派なんだけどね》…。スグルの頭の中を、いつかのイヅルの言葉がよぎった。いったいいつから「計画」は…いったい、どこから…いや、スグルには見当も、つかない…。

仁綺は、スグルの表情が変わったのを見て、楽しげに口角を上げ、「口にチャック」の手真似をして、階段を登り始めた。

「ニキ」
スグルは仁綺を追って階段を登りながら、話しかけた。
「ねえ。君とイヅルは、僕が思っているよりずっと、仲がいいってこと?」

仁綺は、手摺に手を置いて止まり、しかし振り向かずに、不思議そうに尋ね返した。
「スグルの話は、定義が曖昧で時々、難しい。スグルが思っているよりずっと仲がいいと、どんなことが起こるの?」
スグルは仁綺の背中を見つめた。
「僕には思いもよらない。君たちは、賢すぎる」

仁綺は振り向いて、手を差し伸べた。
「私は、スグルのことはとても、気にかけているよ。きっと、イヅルもそうだと思う」

手を取ったスグルに、仁綺は手摺にかけていたもう片方の手を上げて、階段を登りきったところにみえてきたドアを、指差した。

屋上には、ヘリが用意されていた。仁綺は何か喋った様子だったけれども、プロペラ音で聞き取れなかったスグルは、ヘリを指差して、大きな声で仁綺に話しかけた。
「後で聞くよ!」
仁綺は、首を振り、初めて見せる、満面の笑みを浮かべて、叫んだ。
「叫びたいこと!」
「なに!」
仁綺の明るい視線が眩しく、スグルを射抜いた。そういえば…仁綺がこんなふうに叫ぶのを見るのは、初めてだ…。

《毎日が、》…《新しい扉を開くよう》…。

仁綺は、息を吸い込んで、叫んだ。

「ハッピー! バースデイ!」

返答がすぐに思い付かず、口を開きかけたまま仁綺を見つめるだけになったスグルに、仁綺はピースサインとOKサインで「20」を示し、微笑み、スグルを引き寄せて短く、深く、口付けた。プロペラに煽られて、気づけば切ってしまったあの時より随分と伸びている、仁綺の髪が、騒がしくスグルの頬を、打っていた。





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『砂漠、薔薇、硝子、楽園、 』






幣原 仁綺

雨咲 スグル

雨咲 イヅル

リュカ

チェン
《マスター》
博福楼の親爺
雨咲
雨咲の運転手
斉木
《ムームー》
雨咲 マヤ

文乃

雨咲 ルリ

監督官A
《ヂェードゥシカ》
ディン
女性A
大チェン
《サーシャ》
《イン・ザ・プール》
《ヴァチカン》
《花屋》
《傘職人》
《橅木ネム》
《インドール》
《超人舎》
《マッドステーカー》
《ワーニャ》
あんみつ屋店主
《ラッキー・メアリー》
《イェラキ》
幣原《・エヴゲニー・》恭二


 こんにちは世界
(feat.松尾友雪)


こんにちは世界 製作委員会
note 2020-2021



Hello, World.

今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。