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遺伝子操作が普通になり始める2022

豚の心臓を人間に移植するという初の試みがアメリカで行われたらしい。メリーランド大学で心臓病末期の50代男性に移植されたようだが、ただ豚の心臓を持ってくるのではなく、遺伝子操作して拒絶反応を起こさないように改良された心臓とのことだった。

その一方で日本では、精子提供を受けて子どもを身ごもった女性が、要望した精子の情報と著しく異なるとして、精子提供をした男性を提訴したとのニュースもあった。

男性側の遺伝子に遺伝性がある難病が疑われており、学歴も国籍も全て偽っていたとの事だった。

遺伝子という言葉は私が生まれる前からあっただろう。

ただ、最近になって遺伝子研究の進化というのは、目覚ましい。

私が遺伝子とか精子提供と聞いて思い出すのは、GTOに出てくる精子提供で生まれた天才美少女の神崎麗美である。

彼女はまさに上記のニュースの女性のように、学歴の高い男性から精子提供を受けて生まれたという設定になっている。確かMITかハーバードという設定だったと思う。

漫画を読んでいたときは、ゲームのキャラ作るみたいに、自分で子供をこんなこと出来るんだなぁと思っていたが、まさか本当に現実で起こっているとは実感がなかった。

国として支援しているわけではないんだろうが、SNSなどで個人的に知り合って、子供を授かるのは当然ながらリスクもあり法律が未整備になっている。それを受ける女性も結構な覚悟だと思うが、男性も自分の子供が知らないところで作られている状況をどう思っているんだろうか。

生みたいという気持ちが先走って、戸籍とか認知とか、そういう法律的なことがどうなってくるのかわからないが、なんとも複雑な世の中になってきた。

遺伝子組み換えと言えば、食品を思い浮かべる。日本ではメジャーではないが、海外では大豆やトウモロコシなどの研究が進んでいるらしい。

前にネオニコチノイド系農薬の記事を書いたが、

農薬の使用が発達障害やADHDに関係しているんじゃないかという記事も文春オンラインで出ていた。

データもグラフも論文も何も掲載していないので、その真実はわからないが、農薬使うよりは無いほうがいいだろうし、時間が経たないとわからないし、時間が経ってしまうと原因を特定できなくなる。

遺伝子の研究が進められることで妊娠の段階で、肉体的なこと以上に先天性の障害がわかったり、もっと研究が進めばそのリスクを取り除けるようになる可能性も十分あるだろう。

遺伝子組み換え食品の安全性が担保できれば、人間が育てやすい環境で生産性が上がったり、よりエネルギーが高い食品を作れるのだろうか。

遺伝子を使って人が豊かに暮らせる人生を目指すために、あらゆる困難や不便を取り除いていく研究が各所で行われている。

遺伝子研究というのは、人生の根底にあるもので、それ1つですべてを変えられるんじゃないかと思ってしまうほど影響力がある気がする。

京大卒の遺伝子をもらったところで、子供が京都大学へ行けるかわからない。行けたとしても犯罪者になるかもしれないし、人間が計り知れないような遺伝情報が他に含まれているかもしれない。

人生というのは1つの定規で測れるものではない。だから楽しいだろうし、辛いこともある。生き別れた双子を使った研究で、遺伝要因より環境要因のほうが人生に大きく影響するとの話もある。(怪しいが環境が違うのに、全く趣味嗜好が同じで似た人間になったという話もある)

遺伝子操作というのはある意味それに逆行する行為ではある。不確実性を楽しむ余白を潰して、コントロールしやすい確実性を増やそうとしている。

もちろん病気で亡くなる人が減るのは良いと思う。医療の進歩という側面では歓迎されるべきことに違いない。

医療というフィールドがそもそも、天から与えられた寿命に逆行する行為に近いものだが、医療の外にまで遺伝子操作が広がり始めると、それは恐ろしいことかもしれない。

整形感覚で遺伝子操作をして、子供の顔をイケメンにしたり美人にしたり、明るい性格や創造性を増したり、そういう事もできるようになるかもしれない。

そうなってしまうと、本当にアニメや漫画の世界で、手塚治虫のダークな方の話に出てきそうである。

もし今の自分が遺伝子操作されて生まれたとしたら、もっとちゃんと作れなかったんか?と思ってしまうが、父親が違ったりすれば、自分のルーツを知りたいという気持ちはあるかもしれない。

精子提供によって父親が誰かわからない的なストーリーは、もうSFではなく現実のものとなっている。

遺伝子を突き詰めると、もう『人間とは何か?』的な、起源の話になりそうな感じもある。なぜこんな身体で、知性を持って、こんな生命体になったのか。

なんでオスとメスがいて、わざわざ股の凸凹を合わせて、摩擦して子孫繁栄するという、雑なシステムというか、誰が考えたのかわからない方法になったんだろうか。

別にキスで子孫繁栄しても良かっただろうし、体細胞分裂でも、卵から生まれてもよかったわけである。それなのに、子供が出来る人と出来ない人がいたり、不思議に満ち溢れている。

それらが全て遺伝なのか、環境要因なのかわからないが、遺伝子操作の研究は確実に発展していくだろうし、身近になっていくと思う。

よく言われるのがハゲが遺伝するというものだが、確実に遺伝的なハゲを治すような研究は進められると思う。

数学の能力は遺伝するとも言われる。それならば、数学を勉強しても無駄なのだろうか。

遺伝と決めつけてしまうと、本当に人生が面白くなくなる。夢を諦めるように足を引っ張ってくるやつと同じようなニオイがする。

スポーツ選手の子供がスポーツ選手になるのは、遺伝が要因なのだろうか。全く関係がないとは言えないが、少なくとも両親はスポーツが好きだろうし、スポーツに携わる姿を子供の時から見ているはずである。

だとしたら、子供が全く影響されないわけがない。生まれたときからスポーツが身近にあるなら、そのように育っていくと考えて良い。

それは天才プログラマーが、小さい時に家にあるパソコンを玩具にしていたのと似ている。ボールがあるからボールで遊び始めるように、それは遺伝とは言い切れないだろう。

やはり好奇心であったり、環境要因というのは大きい。変なヤンキーばかりが周りにいたら、自分も犯罪に巻き込まれる可能性が高くなる。それと同じように、身の回りに無い、見たこともないものに興味を持つというのは不可能なので、何かしら好奇心を揺さぶるものを与えるのは大事だろう。

学校や勉強というのは、学校に行けば与えられる。だが、そこへ行っても誰もが持ってるし、あまり面白いと思うものでもない。クラスで一番や全国で一番になったところでたかが知れている。来年にも一番が出てくるし、10年前の一番が今どこで何をしているか知らない。

遺伝子操作して100mを8秒で走れる人間を創り出せれば、スプリンターにすることは出来るだろう。

ただ、ケガをするかもしれないし、そもそも本人が走りたくないかもしれない。高校の時にタバコを吸って、退学になるかもしれない。

能力を遺伝で操作したからといって、必ずしも想定できる人生を歩ませることが出来るわけではない。

多くの人は人生をコントロールしたがっている。私はコントロールするのを辞めた。ただ、面白い方へ向かって、辛くない方へ向かう。それで人生が駄目になることもあれば、良かったこともある。

不確実性を楽しむ能力を存分に身につける。それが自分が持つ他の人にはない能力だと自分で信じるようになった。

そんな生き方を両親は真っ向から否定しているので、おそらくこれは遺伝ではない。自分が自分自身で身につけた能力、大げさに言えば進化なのかもしれない。

ギフトは進化ではない。単なるギフトだろう。

環境を乗り越えるために進化するとすれば、やはり進化するのは生まれた後からになる。





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