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ピュシスとロゴスを行ったり来たり。web3の技術は解決できる?

「ピュシスとロゴスを行ったり来たり」は、高齢化社会を迎える上で、老いた身体とどのように向き合うかの大切な「視点」だと思っています。

「ロゴスの作用の一番の弊害は、自らの生命が、そして自らの身体が、最も不確かな自然であることをすっかり忘れてしまったことである。ロゴスは、ロゴスで制御できないこと、予測できないことを極端に恐れる。」(『ポストコロナの生命哲学 (集英社新書)』

がんの母を、自宅で看取りました。その時にお世話になった「訪問看護」の方々が、日本の医療の問題点など、現場の人たちが持つ疑問も話して下さいました。

「ロゴスは、ロゴスで制御できないこと、予測できないことを極端に恐れる。」

人間は、ロゴスで制御できない恐れのために、本来ならありのままを受け入れた方が楽であり、本来の自由を手に入れられるかもしれないのに、出来ない場合があるのでしょう。
私とお話した人は、極端な延命処置に対する疑問のようなことを話されましたが、母の突然の看護に疲れている私の気持ちを思ってのお話だったのかもしれません。
この問題も「ロゴスとピュシス」のバランスだと思います。

人間の様々な病気に対しても、研究者がそれぞれの専門の「部分」しか見ていない弊害は、既にいろいろと報告されています。研究の資金を集めるためにも、その成果が市場経済と強く結びつかないと成立しなかったり、研究成果を短期間で可視化・評価しなければ成立しないような研究分野ばかりだと、「動的平衡」の説明のための研究は難しいですよね。

2022/7/26 私のコミュニティーへの投稿


この文章は、メンバーの方々と、福岡伸一さんの本について、いろいろと会話を交わすうちに書くことができたと思う。

「動的平衡」
このイメージは、今読んでいる「素粒子の振る舞いの研究」からも、全ての物質?エネルギー? が単独で存在しているものではなく、「関係」あっての存在?

「ピュシスとロゴスを行ったり来たり」

という表現を教えてもらえたことで、私の中の「動的平衡」のイメージが、現実社会の「老いへの身体をどうとらえるか」 という思いに至り、父のこと、母のことを考えると、私にはまだ「消化できない思い」があります。

また、今大きな問題である「ウィルスとの付き合い方」はまさに「ピュシスとロゴスを行ったり来たり」して考えるしかない。

難しいのは、この「ピュシスとロゴス」のどちらを重要とするかが、人によって違うこと。

こういう、社会的な大きな問題の合意形成をweb3の社会は、どのように解決できるのでしょうか。

膨大なデータ収集から、AIが勝手に「最適化」を考えてくれて、それに納得できるような合意形成が出来る社会だと、問題解決が速そうだけど……。  これって、妄想?


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