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正しい夜明け/樹海の車窓から-12 #崖っぷちロックバンドHAUSNAILS

「あーい、健康野菜だし鶏担々ふたつと輪廻転生黒タピオカミルクティふたつ、一丁上がりィ」

ローテンションと切れ長の目、紫のボブカットがトレードマークの厨房の店員が、藍色のこじゃれたラーメンどんぶりと大きめのグラスがふたつずつのせられた黒い丸トレイを差し出してくる。ミルクティの水槽の中で泳ぐ黒い金魚のようなタピオカを恨めしく眺めながら、おれはうーいと適当に返事してそれを溢さないよう丁寧に受け取った。
地元で活動するインディーズパンクバンドでベースを担当している彼女は、自分より十センチ程タッパのない不愛想な男子にやや気を悪くしたのか更に不愛想な顔になり、不愛想と不愛想のぶつかり合うちょっとした地獄がカウンターの手前で形成されたが、幸い疫病対策のため席を間引いての営業だったためにカウンターには客を入れておらず、どうやら他の座席を埋めている女性客達には地獄の気配は届かなかったようだった。

ここは弊社、偏光レコードの社長ジル猫実氏が殆ど道楽の一環のようにのんびりと経営している台湾スイーツコンセプトカフェ「輪廻転生」の店内。おれ達は社長からの命令で、今日一日だけ店員として働く羽目になっている。

先日開催した我々HAUSNAILS初の配信ワンマンライブ、今までの動員から考えると奇跡のような閲覧者数を記録したわけだが、投げ銭の額は流石に当初社長が掲げた目標である三万円には到底及ばぬどころか一万円にも届かない残念な結果に終わり、おれ達は社長の言いつけ通りの罰ゲームを勤め上げなければならなくなってしまったのだった。お盆をたどたどしく掲げたおれは上下黒のいわゆるカンフー服を着ていて、金糸でご丁寧に繊細な竜の刺繍が施されたそのユニフォームはストレッチが効かないので小デブにとってはちょっと動きづらい。
黒い紗の布が天蓋のように垂らされ、壁じゅうに台湾の繁華街のネオンの小型版みたいな光るオブジェが飾られたイカニモ妖しげな店内は結構にぎわっていて、主に大学生か、二十代のOLさんぐらいの女子が二、三人の少人数のグループで五組ぐらいのテーブルセットを埋めていた。おれは決して広くはない店内の出入り口近くに陣取った、よく似た肩までのショートボブヘアで色違いの紺色と赤の吊りスカートを着た仲良し女子ふたり組に、受け取ったばかりの料理をにこやかにサーブしに行く。ベルベットのカバーが施されたゆったりとしたソファに身を預けたふたりは首から「よろしくお願いします」とやたら達筆で書かれた名札を下げた小デブの店員に申し訳程度に笑いかけたかと思うと、悲しくなるぐらい一瞬で視線を料理に移してわあ美味しそう~♡ とふたり揃ってスマホカメラのシャッターをパシャパシャ切った。

切なくなったおれは会社帰り風のビジネスバックパックにさりげなくザ・キャットテイルのラババンをつけたOLさん三人グループの卓から空になった食器を回収しながら、カウンターに戻しつつ思わず呟いていた。

「何でおれ達がこんな事までせなならんのや……」
「そりゃ約束なんだからしょうがないでしょ」

声がして振り向くと、白い磁器のティーセットとパイナップルケーキをのせたお盆を片手にしたキヨスミがいた。飲食系のバイトは厨房しか経験のないおれとは違い、カフェのチェーン店でのフロア経験があるヤツは器用に手のひらの上にお盆をのせ、空いてる方の手を腰に当て絵に描いたようなコンカフェ店員しぐさを見せる。濃いめの藍色のカンフー服には艶のある赤い糸で竜の刺繍がしてあって、金髪マッシュの隙間から、衣装と同じ色の糸で出来た、鯉のぼりの吹き流しみたいな耳飾りがちらっと覗いた。こいつアクセサリーまでちゃっかり手前で用意しやがったな。

やたら優雅な仕草でおれの隣に移動してきたキヨスミは、「でも逆に役得じゃない?」と言いつつお盆をカウンターにのせた。首から下がった名札には「ベースと歌やってます♡」とややひょろひょろした字で書いてある(あざとい)。
盆の上からは美味そうな台湾茶の香りが漂ってくる。キヨスミは無邪気そのものといった素振りでおれの顔を覗き込みながら、「だっておハイソなサブカル女子と合法的にお喋り出来る機会なんてそうそうないでしょ? 童貞クンは」
コケにしくさりおってド阿呆が。

威嚇するクマよろしく牙を剥いて襲い掛かってやろうかと思ったが、丁度フロアから戻って来た九野ちゃんに何故かタピオカのストローを無理矢理くわえさせられ黙らされた。無念。
流石に流行りものとしてはそろそろ廃れた感のあるタピオカだが、この店のはなかなか美味い。紅茶もちゃんと茶の味がするし、タピオカも黒蜜できちんと煮込まれていて、お汁粉の餅みたいな食感だ。この店に女のコが集まるのは時々店先に顔を出すイケメンのオーナー目当てだと思い込んでいたが、こりゃ並びたくもなる。
タピオカに感心している場合じゃなかった。金刺繍の入った深緑色のカンフー服姿でキヨスミと悪戯そうに笑う九野ちゃんに慌ててタピオカを突き返してフロアに戻ろうとしたその時、店の奥の「STAFF ONLY」と書かれた小さな木の看板の下がった扉の奥から、銀色の刺繍の白いカンフー服を着たフッちゃんが夢に出てくる馬の尾っぽのようにひとつに結わえた髪を靡かせながらドタバタとこっちへ駆けてきた。
「おい大変だ!! これ見ろ!!!」


フッちゃんの手にはマックブックが乱暴に引っ掴まれている。彼はそれをおれ達が今まさに溜まっているカウンターに置き、モニタの部分を震える手で開いた。いつも陽気で寛容なフッちゃんがこんなにも慌てるだなんて、一体何の天変地異でも起きたのだろうか。
揃いも揃ってPCの画面を覗き込んだおれ達はその天変地異の正体を知ると、フッちゃんと同様に慌てふためき、それから歓喜した。

モニタに映し出されていたのは、おれ達も個人でアカウントを持っているSNSの画面。我々メンバーとレーベルの数少ない裏方のオトナ達が共同で運営しているHAUSNAILS公式アカウントから昨日投稿された、配信ライブ本番の最後に披露したザ・キャットテイルのカバー曲『樹海の車窓から』のパフォーマンスを録画した動画だった。注目すべきはその“いいね”の数。なんと、その数三万。奇しくもあの日、社長に提案……と言うか、ほぼ強制的に設定された投げ銭の目標金額と同じではないか!

今までは配信リリースが決定しようが話題の曲をメンバーでカバーした動画をアップしようが、どんな告知ツイートも三ケタですら遠い夢、三十いいねつけばハイタッチものと言う感じの我らが公式アカウントのツイートが、である。一体レーベルはどんなドーピングを行ったのだろうか? 運営に金払ってプロモツイートでもしてもらったのか?

困惑を隠せないおれにフッちゃんが事の顛末を説明してくれた。どうやら、読者モデルだかアイドルだかの女のコがおれ達のライブ動画に注目し、SNS内で拡散してくれたらしい。引用RTがついていた。「葉桜くろも🌸」と名前の冠された黒髪ぱっつんボブにピンク色のインナーカラーを入れた、絵に描いたようなちょっと地雷系っぽい美女の自撮りアイコンが「まじえも、みんな聴いて」とだけツイートしている。

生憎彼女をよく存じ上げなかったおれはサブカル強者の九野ちゃんとキヨスミに見事にハチの巣にされた。「えっ組長、くろもたや知らないの!?」「ミス〇D2018ファイナリスト、SNSのフォロワー十五万人よ?」「文才もずば抜けてて小説デビュー作はブ〇ンチブックランキングで三位に滑り込んだよ!」次々出てくるくろもちゃん豆知識。ドルオタのフッちゃんも多かれ少なかれ彼女の事を知っているようで、訳知り顔でそんなおれ達の様子を腕組んで見ている。助けろ。

とにかく、そんな影響力満点のくろもちゃんの琴線に触れた事により遂に小バスりしてしまった我々のライブ映像。どうしてこんな事に? と狼狽えまくっていると、「そー言えば」とキヨスミが九野ちゃんが人数分持ってきてくれたタピオカ(多分まかないのつもりなんだろう)のストローを下唇に押し付けて思い出したように言った。
「去年のライブでくろもたやと知り合いだって言う地下ドルのコと知り合って、色々よくシてもらったからうちらの曲友達にもお薦めしといてねって言っといたんだった! マジかよとおもってたけどマジで友達だったんだなあ彼女」
キヨスミの女好きもたまには役に立つものだ。

ともあれまんまと浮かれかえるおれ達のもとに、店の出入り口に据えられたカウベルの音が届く。続いて店内のお客の女のコ達の若干黄色いざわめき、続いてヒールの高い革靴の底が鳴るような、規則的な耳に障る音。嫌な予感。予感を感じたのが遅いと思える程その瞬間に、目の前に背の高い人影が立ち現れた。


「おぉい源壱将!!!!!!!!!」


「お」に濁点がつきそうな程歪みエフェクトのかかったドスいハスキーボイスが、凶暴極まりない響きでもって何故かおれの名を呼ぶ。いや、本当はわかっていた。ずっと不安ではあった。想定通りである、ここに店の看板オーナーであるジル社長が現れるのは。
社長は黒字に白抜きで「輪廻転生」と店名の記されたオリジナルTシャツの上に刺青のような豪奢な刺繍の施された真っ赤なガウンを羽織り、膝のあたりに大穴の開いた黒スキニーとマーチンのローファーで武装した針金細工のような足をその辺のカウンターチェアにのっけておれの襟首を捻り上げんばかりの勢いで詰め寄ってきた。顔が怖い。美形が怒ると顔が怖い。

「配信ライブのアーカイブ観たがあのMC!!! 誰が俺のMC丸パクして良いって言った!? 曲だけならまだしもせめてパクるなら一声かけろや小学校出てねえのかア゛ァ!?」

詰り方が最早ムショ帰りのチンピラのそれである。チバユウスケもびっくりなハスキーボイスの無駄遣いに全身が怖気立つ。叱られると思ってたんだ、ごめん社長。
しかも寄りにもよってこのタイミングで九野ちゃん、フッちゃんのPCを誇らしげに頭上に掲げ、目から炎を吐きそうな怒りの波動を出しまくる社長に徐に偉業をアピール。
「そんなことよりしゃちょー!!! オレ達のライブ映像が三万いいねだよ!!! これもう三万円稼いだって事と同等でいーよね!? いーでしょ!?」その話は今じゃねえだろ!!!!!!
「と言うわけで今日のバイトはもう終わりな! おつ!!!」フッちゃんまで九野ちゃんに乗じて帰ろうとしやがる。キヨスミもすっかり任務完了モードで「おつっした」と名札をはずして振り回している。どんだけ根性ふてえんだこいつら、おれを置いていくな、せめて連れてけ。

案の定社長はPC画面を一瞥し「おお」と一瞬驚いたかと思いきや、「だからと言ってノルマ回収出来たとは言えねえからな!?」と一歩たりとも譲る気配はない。加えて更に何やら説教しようと息巻くも聞こうともしないゆとり第二世代達。店の中突っ切って外へ出ようとするヤツらに一生懸命声をかけようとしているのでこちらへの関心が薄くなった。しめしめ今のうち、おれも三人のノリに便乗して社長の魔の手から逃れてやろうじゃないか。おれはなるべく物音を立てないように、そっと社長の視界から移動し、三人の後に続いた。

おいこら待て舐めんなばかやろ俺の話を聞けー!!! 背後に迫る必殺大声を尻目に各々タピオカを片手に階段を転がるように駆け下り、おれ達は下北沢の街へ飛び出した。「バイト代出さねえかんなぁ!!!!!!!!!」社長の捨て台詞がバズーカ砲のように飛んでくる。「チェッ、みみっちいの」とキヨスミが拗ねたような声を出した。


決して駅前の一等地とは言えない、路地裏の雑居ビルから表通りへ出て、古着屋やデカめの靴屋、ゲーセンを横目に小走りに行く。空は生憎の天候で、夕方六時を回ってもそれらしい色が見えない程に厚い雲が垂れこめている。借りた店の制服のままで出てきてしまった事に今更気がついた。まあよかろう、どうせ誰も気にも留めないだろうし。ちょっとぐらい変な格好したヤツなんて、ここらには幾らでもいるのだから。そういやもうすぐ夕飯時やな、今日は久しぶりに四人でラーメンでも行くか。ライブの後によく行った珉亭、もう半年以上行ってない気がする。

黒色の太いストローを口の端に挟み、前を行くやかましい三つの影を見送りながらふと空を見上げた。重く垂れ込める雲の隙間から、橙色の陽の光が梯子のように差し込んでこの街を照らしていた。


《終》

2018年設立、架空のインディーズレコードレーベル「偏光レコード」です。サポート頂けましたら弊社所属アーティストの活動に活用致します。一緒に明日を夢見るミュージシャンの未来をつくりましょう!