見出し画像

パリ軟禁日記 53日目 ゲバラに学ぶ

2020/5/8(金)
 本日はヨーロッパ戦勝記念日。
 ナチスドイツが降伏し第二次大戦が終結したことを記念する祝日。

 読書をして過ごした。その結果、新訳『ゲバラ日記』を読み終わった。革命家エルネスト・ゲバラが没するまでの最後の1年間の記録だった。
 ボリビアの密林で展開されるゲリラ戦…とは言っても、毎日苛烈な戦闘が行われるわけでない。多くの日は密林の中のA地点からB地点に行軍したり、物資を調達したり、食料や備品を隠す穴を掘ったり…という「日常」が淡々とした文体で語られる。

 ボリビア国軍と抗戦するために、ゲバラ率いるゲリラ部隊は移動に次ぐ移動を重ねる。山を越え、激流を渡る。その途中で事故死してしまう部下もいる。仲違いをしてしまう部下もいる。虫歯になった部下の歯を抜く必要もある。そして、物資がどんどん尽きていく。食べ物が尽き、行動を共にした愛馬を食べてしまう日もある。ゲバラは持病である喘息にも襲われるが、それでもモチベーション高く、最後まで任務を諦めない。

 恐るべくはその不屈の精神だけではなく、ありのままに記録し続ける姿勢だ。ある日、ゲバラは腹を下し、あまりの苦しさに意識を失う。そして、起きたら「糞まみれだった。(中略)洗うための水がなかったので臭った」と、そのことを記している。ここまで日記に書く必要があっただろうか。この日記は同じ革命精神を持った同胞であり党のために残されたのだとは思うけれども、僕が同じ立場だったらそこは省略してしまうと思う。包み隠さず、誠実に書き続ける鑑とすべき日記だ。

 僕が引っかかったのは、彼の個人的な感情や家族への思いが日記には書かれていなかった点だ。「故郷が恋しい」「あの人に会いたい」という記述は一切ない(行方不明になった隊員が心配だ…という記述はよく出てくる)。唯一あるのは時折、日付の後にある「イルディタの誕生日 11歳」のような記載のみだ。誕生日を忘れていないことから、家族を思う気持ちはあったのは間違いない。公私混同せず、この記録には敢えて載せず、ひょっとしたら個人的な手紙のようなものを書いていたのかもしれない。

 革命とは詰まるところ、「抑圧からの解放」だと理解している。このイメージが最近読んだカミュの『ペスト』であり、本日記念しているナチスドイツからの解放に重なり、何か面白いアイデアが浮かびそうだけれど、なかなか像を結ばない。もう少し寝かせてみよう。良いアイデアは1日にして成らず。ワインを作るように、美味しい糠漬けを作るように、じっくり時を待つ。

 人の日記を読む、というのはその人のパーソナルな部分を垣間見ることであり、なんだか偉大なる革命家との距離が少し縮まったような気がした。
彼のことを「チェ」(ねぇ、きみ)とは呼べないにしても。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?