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11.朝の電車で

僕は、学校へ向かう手段として、電車を利用している。
自宅から最寄り駅へは、徒歩5分くらいの距離にある。
電車に乗り、40分ほど揺られていれば、学校近くの駅に着き、そこから2kmほどの距離がある。
最寄り駅から電車に乗ると、かなり混雑をしている。
背負っているリュックは当然ながら床に降ろし、身体を槍みたく細長くしてようやく乗ることができる。
二つ駅を過ぎて次ぎの駅に来ると、そこで一気に他の乗客が降りていき、そこから座ることできるのである。
この乗車してから、他の乗客が一気に降りる区間に僕の戦いの火蓋が切られるのだ。
その日は、たしか雨が降り続いていてジメジメとした空気が身体にまとわりつくそんな日だった。
僕は、いつもどおり身支度を整え、傘を差し、駅へ向かった。
学校へ行くときには、スマートフォンで『欅坂46』と『ひらがなけやき坂46(現日向坂46)』の曲をよく聴いている。そうだ、僕は、いわゆるアイドルオタクでもあるのだ。
もちろん握手会並びに、ライブにも行っている。
ちなみに、アイドル曲以外だと、『アジカン』、『リンキンパーク』、『椎名林檎』、『エミネム』、『凜として時雨』『ワンオク』『米津玄師』などを聴いているくらい。
正直のところ、これが好きだとかそういった音楽がない。退屈を凌げればそれで構わないと思っているくらいなので、全てにわかと言ってもいいくらいだ。
駅に着き改札を抜けると、すでに駅のプラットホームには、人だかりができていた。
人と人の隙間を縫うようにして通り抜け、ようやくいつもの定位置に着くことができた。
そして、定位置には、朝のいつものメンバー『いつメン』が揃うのだ。
大学の教授だろうと思われるお爺さんに、毎朝お父さんに見送られてくる小学生、中年のサラリーマンA、B、C。あとは、熟女に女子大生。
これはあるあるだと思うのだが、なぜか通学・通勤のさいに駅のプラットホームで待つメンバーが一緒なのだ。人間の脳は無駄を省くように上手いことできている。
しばらく待っていると、電車がやってきて、『いつメン』が一斉に電車の中に乗り込んでいった。僕は、たいていの場合、大学教授の後ろについて乗り、僕から斜め後ろくらいからサラリーマンやら熟女やら女子大生やらが続くのだ。
もちろんこのとき、電車内はぎゅうぎゅう詰めで大変なことになっている。
なんとか身体を安定させられる位置につけ、電車が動き出した。
僕が正面を向いて目線を落ち着けようとすると、そこにはすでに先客がいたのだ。
目線がちょうど合ってしまい、恥ずかしくなって、首に少しひねりを加えて目線を違う場所に移した。するとその先にも、また、先客がいた。しかも、女子高生と目線が一瞬合ってしまった。なぜだろう。
この感じ以前にも経験したことがあるぞと思っていたら、
これは、夜道に偶然自分の前に女性が歩いていて、急にパッと振り返られたとき、やましいことはなにもないのだが、ドキッとしてしまう感じに似ているなと思った。
もしかしたら、僕はストーカーや変質者だと思われているのではあるまいか。
だったら、なおのこと堂々としておかないと。
むしろ、ソワソワしている方が気持ち悪い。
女子高生から目線を外した僕は、次の目線確保場所を探した。
今度は目線をやや下にさげて、周りの人の靴を目印にして目線を落ち着けようとした。
顎を少しだけ引く意識で目線を下げようとした。
「やれやれようやく落ち着けるぞ。」
そう思った矢先、僕は、下側にもぞもぞとしている小学生たちを発見したのだ。
これは不覚だった。小学生たちの目線は好奇心旺盛なまなざしで、窓の景色やらサラリーマンの鞄やらいろいろな方向に動き回っている。
つまりだ、僕がこのまま目線を下げてしまうと、あっという間に小学生たちの目線の餌食になってしまうのだ。
そのことに瞬時に気づき、下げようとした頭をもとに戻した。そこから正面にある目線を上手くかわしながら、窓の方向へ持って行った。
電車はちょうど川を渡る橋の上で、空は快晴、とても綺麗な眺めだった。
「ああ、良かった。ここに僕の居場所があったんだ。」
平日は毎日通るはずなのに、なんでこんな綺麗な景色に気づかなかったのだろう。
ふと見上げた空が綺麗だった。みたいな感じなのだ。
そんなこんなで乗客が一気に降りる駅に着き、目線確保戦争から解放された。
混雑している電車に乗っていて、こういった経験をしたことはないだろうか。
周りの人となぜか目線を落ち着ける場所が同じなのだ。
なので、目線の合ってしまった人から目線を逸らして違う場所に落ち着けようとすると、また目線が合ってしまうのだ。
そして、こんなことを何度も繰り返してしまい、結果変な首の角度になってしまう。
これがノリのいいアメリカ人なら、ウィンクでもしてくれるかもしれないが、
譲り合い精神の僕たち日本人からすると、目線があった瞬間に、「ああ、すみません、どうぞどうぞ、この目線置き場はあなたに譲りますよ。」となってしまうのだ。
僕のような人見知り人間は特にそうなのだ。
もし仮に他人と目線を合わせても平気だという人がいるのなら、どういう精神状態でそんなことができるのか、ぜひとも教えていただきたい。
目線確保戦争から解放された僕は、いつもの座席に座り、ふとこう思った。
「スマートフォンをいじっていれば、人と目線を合わせずに済んだのではないか。」と。
この日、首を少し痛めてしまった代償に美しい景色を眺めることができた。

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