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大好きなバスケットボールの世界へ、再び。プロ復帰について伝えたい想い。

いつもお世話になっている皆さまへ
ヘラルボニー人事責任者の伊藤良太です。
2022年7月1日にヘラルボニーに入社してから、もうすぐ1年が経とうとしています。

ヘラルボニーでは、「異彩を、放て。」のミッションを実現する為に、熱狂している仲間たちと共に挑戦しながら、充実した時間を過ごしています。
そして、福祉施設や作家さんをはじめ、へラルボニーに関わって下さる皆様のお陰で、一歩ずつ歩めていると実感しています。
本当にありがとうございます。

6月15日、プロバスケットボール選手への復帰について、チームから発表がありました。

突然の発表で驚きと困惑を招いたかもしれませんが、ヘラルボニーを辞めるわけではありません。
ヘラルボニーの人事責任者とプロ選手の二刀流の挑戦をすることを決意しました。自分の決断を後押ししてくれた仲間たちに感謝します。

この場を借りて、私の描くビジョンと復帰に至った背景、今後への想いをお伝えさせてください。

私の描くビジョン

私には社会人3年目の頃から描いているビジョンがあります。
それは「子どもたちが公平に歩みやすい社会を創りたい」ということです。

サラリーマンからプロスポーツ選手に転職した理由も、軸足をプロスポーツ選手に変えることで地域の子どもたちと関わる機会が増え、ビジョン実現に近づくと考えたからでした。
「様々な地域で、バスケットボールを切り口にプロスポーツという職業と触れ合う機会や選択肢を知れるキッカケを散りばめたい。偶然の出会いから豊かな歩みに繋げてほしい。」そんな思いでプロの世界へ飛び込みました。
いま、ヘラルボニーで働いているのも、「人とのちがいに寛容な社会、ありのままに生きられる社会」を作りたい想いがあるからです。子どもたちが歩みやすい社会には、「機会の創出」と「ちがいに寛容な社会」の両輪が必要だと感じています。

ターニングポイントと過去の記憶

「子どもたちが公平に歩みやすい社会を創りたい」というビジョンについて、なぜ子どもたちなのかと聞かれることがありました。ヘラルボニーの入社エントリーにも書きましたが、社会人3年目、知られざる「文化と教育の地域格差」の記事を読み、使命感に駆られたことがひとつの大きなキッカケでした。

ただ、この1年間へラルボニーで働いてきたなかである記憶が蘇り、ここまで子どもたちに感情移入している理由は、私自身の原体験にあることに気がつきました。

私は、中学1年生の時に学校へ通えない時期がありました。

理由は明確で、心の不調です。(正確に言えば、心が折れかけていました。今まで記憶から消していたのかもしれません)多感な時期でもありましたが、心にヒビが入っていった記憶はあります。私は小学4年生からバスケットボールを習い、「プロ選手になる」ことを夢に描いていました。ミニバスは地元になかったため、電車で通う日々でしたが、好きなスポーツと出逢い、チームメイトと目標に向かって圧倒的な熱量を持ち、バスケットボールの魅力に惹かれる日々を過ごしていました。

中学では、家から歩いて10分程の公立学校へ進学しました。ミニバスのチームメイトとは地元が違う為、別々の学校へ進学となりました。世間知らずの私は「日本一」の目標を掲げ、血気盛んに部活動へ入部しました。当時、私が所属した部活動の方針は、「みんなと一緒」「みんなで楽しく」というものでした。私以外のチームメイトが初心者でもあり、顧問の先生の方針もあって、私も同じスピード感を求められました。

少し大人になった今では、方針の目的を理解できますが、当時の私はどうしても耐えられませんでした。「みんなと一緒」のスピード感に合わせられず、少しずつ「心の乱れ」から体調に異変が起き始めました。好きなスポーツを思い切りできない。「日本一」の目標が遠のいていく。そして、ひとりぼっちの感覚が入り乱れた結果、心にヒビが入りました。

学校へ通えない自分、保健室にいる自分、疑心暗鬼になる日々。

そんな日々に、一つ光が差し込んだ出来事は一生忘れません。私は中学1年生の時に地区の選抜に入っていました。偶然にも選抜の先輩と車で一緒になったある日、「良太、こっちの学校へ転校すれば?」と声を掛けられました。どんな文脈でこの話になったかは忘れてしまいましたが、当時の私にとってはどんな光よりも眩しい言葉でした。進み方が分からなくなっていた自分に、突然、希望の選択肢が与えられた瞬間です。そこから家族のサポートもあり、中学1年生の冬に、先輩がいる学校へと転校しました。
私は、先輩の言葉がなければ、プロ選手はもちろん、いま、心が健康な状態でこうしてnoteを投稿できていたかもわかりません。

私の実体験はほんの一例で、住んでいる地域や家庭環境、障害があることなど、さまざまな背景によって子どもたちが公平に歩めていない事実があります。私は、周りの環境や偶然の出会い、時代に恵まれた以上、「子どもたちが公平に歩みやすい社会を創りたい」このビジョンの実現に向けて、アクションし続けたいです。

復帰に至った理由

昨年7月、プロスポーツ選手を引退して、へラルボニーに入社しました。「異彩を、放て。」のミッションと、ヘラルボニーが目指す社会に、私の気持ちは心から共鳴し、へラルボニーの船を前進させたい、ここで挑戦したいと思い、当時、引退を決意しました。

復帰に至るまでのこの一年間、ヘラルボニーでの活動を通して多くの異彩アーティストと出逢いました。好きなことを表現すること、そこにまっすぐに向き合って生きることの魅力に日々惹かれていきました。

そして、「異彩を、放て。」のミッションを実現する為に、まずは自分がそうあるべきだと思い始めました。そして何より復帰を決意した一番の決め手は、「好きなバスケを思いっ切り表現したい。」こう思う自分がいたからです。

中学1年生の私は、自分を表現できませんでした。

「異彩を、放て。」を実現した先には、「人とのちがいに寛容な社会、ありのままに生きられる社会」があると信じています。まずは、"自分からありのままに生きるために挑戦したい"と思い、復帰を決断しました。

そしてその先には、さらに熱量を持って、ビジョンに向かってアクションしている自分の姿を描いています。

今後への想い

7月より、へラルボニーに加え、プロバスケットボール選手としても活動していきます。今回のプロ復帰の決断にあたり、先日ヘラルボニー全社員の集まる会議で、仲間たちへ報告をしました。

正直、受け入れてくれるのか不安もあり、心が落ち着かない日々を過ごしていたのは事実です。しかし、不安とは裏腹に、今回の挑戦を「心から応援する!」「面白い!」「また試合を観たい!」と言ってくれる仲間たちの存在に、大きな感謝の想いと、改めて、へラルボニーの仲間たちの挑戦や歩みを応援できる人間でありたいと強く思いました。

「異彩を、放て。」を実現するために、まずは自分も含めてヘラルボニーの仲間がみな、ありのままに異彩を放つことのできるチームでありたいです。

最後になりますが、昨年、へラルボニーに転職した際にメッセージを届けてくれた方がいます。「バスケットボールが大好きだが、学校へ通えないことで悩んでいる時がある。それでも、良太さんの挑戦が励みになって歩めている。」とメッセージを頂きました。もし、この記事を観てくれていたら伝えたいことがあります。

大好きなバスケットボールを一緒にやろう!
異彩を、放て。

2023年6月16日 伊藤良太



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