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不登校と特別支援の話

ぴこと発達検査

ぴこは不登校をきっかけに、発達検査を受けている。
なんとなく鉛筆の運びが周りと比べて遅い。ノートのマスの中に文字が収まらない。絵本を聞くのは大好きだったが、自分から本を読みたがらない。音読させると、飛ばし読みしていたし、末尾を思い込みで違って読んでいた。
母は、もしかしたら、ぴこには学習障害があるのだろうか?と疑っていた。

発達検査で、凸凹が分かる。ぴこの不得意な部分がはっきりすれば、適切なアプローチで補っていけるのではないか、と考えていた。

母は、この検査で学習障害が明らかになるのだろう、と思っていた。学習障害の定義は『全般的な知的発達に遅れはなく、特定の能力の使用と獲得に困難があり、そのために学習に支障が出る』と言うものだ。

しかし、発達検査の結果は、母の予想をかわし、大きな衝撃を与えるものだった。検査で出たぴこの結果は、知能指数が平均より下だったのだ。学習障害の定義は、『知的発達に遅れがないこと』。ぴこは学習障害ではなかった。
母は、どこか、学習障害の『知的に遅れがない』という部分に、救いを求めていたことに気が付いた。知能指数の説明を受けた時のショックの大きさが、それを如実に現している。

時間をかけて、なんとか納得した。そうか、この子は、特定の分野に苦手があるのではなく、全体的に知的活動が得意ではないのか。そりゃぁ学校は苦しかろう。学校は一日の大半が勉強だ。人が好きで、保育園は楽しく過ごしていたこの子が、学校に行けなくなったのは、授業や筆記が追いつかなかったせいか、と思った。

しかし、母には一抹の疑問が残った。
「ぴこは、すごく考えてるけどな…。」
母は、ぴこに、知的な問題を感じたことがなかった。確かに勉強はゆっくり吸収するタイプなのだろうとは、漠然と思っていた。
しかし、「どうしてそんな、後先考えないようなことした?」とか、周りを気にせずに感情を公の場で表出させる、というようなことは、全くなかった。

ぴこはむしろ、周りの目を気にしすぎて、相手の思いを考えすぎて動けなくなるような子だった。これをやったらどうなるか、を考えすぎて何もできないような子だった。

母は、知能指数に関する本を何冊も読んで、学んだ。いろんな意見があるようだったが、知能指数は、その時の状態によって大きく変動する、成長によって変化する。その意見を母は採用することにした。

知能指数という数字に捕らわれず、この子自身をしっかり見ていこう、と思った。

ぴこは、この発達検査で、『特性』も指摘された。いくつか指摘されたのだが、今、『特性』が『障害』となっているものが思い当たった。それは、

  • エピソード記憶が残りやすいこと

  • 比喩・皮肉が分からないこと

だった。ぴこは、友人との関係をとても悩んでいた。
クラスメイトの放つ「死ね!!」という言葉を、見事にそのまんま喰らってしまっていた。
「死ね!」という言葉を受けて、「ずいぶんとイラついているな」と捉えられる子もいる。「よっぽど悔しかったんだね」と考えられる子もいる。「お前言い過ぎー!」とブラックユーモアを笑える子も居るだろう。

しかしぴこは違った。状況や、相手の声のトーンに関わらず、「そうか、ぴこが死んだ方が良いんだ」と捉えていたのだ。これは辛い。
加えて、エピソード記憶が残りやすいのだ。様々なシチュエーションで発せられた「死ね!」をがっつり丸ごと覚えていて、そのすべてがぴこの生存を否定していたのだった。

このエピソード記憶と、比喩皮肉を読み取るのが苦手という特性が、小学3年生同士の辛辣なやりとりにジャストフィットし、ぴこは恐怖のあまり不登校になっていた。

特別支援『学校』見学

月一回、小学校に来る心理士、SC(スクールカウンセラー)に、我が家もお世話になって居た。

その日は、ぴこの発達検査の結果をもって、今後の方向性を話す回だった。
SCは知能指数の数値を見て、「これは厳しい。。」と考え込んだ。普通級で授業について行くのは、大変だ、ということを繰り返した。

そして、地域にある特別支援学校の魅力を語りだした。思いのある先生が多いこと。大人と子どもの比率が1:2という所もあり、支援が手厚いこと。将来的にもサポートがしっかりしていて、就職後も寄り添ってくれること。
SCはぴこに特別支援学校をオススメした。

え?ちょっとちょっと、そんなに?
正直、困惑したし、ぴこが?まさかでしょ。という気持ちもあった。

しかし、母は、知らないことは考えられない!というポリシーの元、SCのアドバイスを受けて、特別支援学校の見学を申し込んだ。

夫と二人で特別支援学校の見学に行った。
それは、母の視野を大きく広げる体験だった。

あるクラスでは、教室の扉から、廊下にかけてパーテーションで区切り、soその中で恐竜のフィギュアで遊んでいる子が居た。
教室の雑多が辛いなら、ここはどう?先生が見えるところに居て欲しいから、廊下の、しかも扉の前だけなんだけど。好きなことをして、落ち着いたらいいよ。という先生の配慮が見えた。

「わー!!」とパニックを起こして廊下を走っていく子とすれ違った。すぐに生徒を追いかける先生が私の前を通り過ぎる。そして、生徒を追いかけていた先生が笑顔で声を張り上げた。「おーい!カーブはスピード落とせよぉ!」
衝撃。うそだろ?と。すごい。と感銘を受けた。

色んなクラスを見て回ったが、母が一番強く感銘を受けたことは、『大人が元気』という事だった。プロだと思った。

あいさつも。先生が一番元気。にっこにこのオープンハートだった。
音楽の授業も。子どもより先生が身体をゆすって楽しんでいる。
子どもの小さなつぶやきも丁寧に拾う。「いい所に気が付いたね~!」と褒める。
マジでプロだ。心底感心した。

3人の癖強な子どもたちを育てていて思う。特別支援学校の先生のようには出来ない。体力も精神力も、容赦なく奪っていく子どもたちだ。余裕なんて母には無かった。

癖強具合で言えば、特別支援学校に通う子どもたちも、例外なく癖強に見えた。毎日この活気で授業を、一日を、過ごしているのだとしたら。間違いなく、それは支援者としてプロフェッショナルだった。支援の職人を見た。

特別支援『学級』体験

特別支援学校に深く感銘を受けた母ではあったが、通学や、ぴこの状態から考えて、選択肢からは外すことにした。それが分かっただけで、見学に行ってみて、本当に良かった。

しかし、普通級で学習をこなしていくのが負担であるという事実は変わらない。母は、小学校の特別支援学級の見学&体験を申し込んだ。

ぴこはとても緊張していた。
支援学級と普通学級の間には、少し心の壁がある。“支援級の子は自分たちとは違う”そんな雰囲気を子どもの言動の端々から感じていた。

母には疑問に思っていたことがある。
次女のちぃには、保育園時代、毎日のように遊んでいた男子がいた。ヤンチャで刺激的で、いつもその男子の武勇伝をちぃは楽しそうに話していた。
しかし、小学校にあがり、男の子は支援級を選択した。ちぃが学校に通っていた時期にも、全くその子の名前を聞かなくなった。
「今日、会った?昼休みとか、校庭で一緒にならないの?」と聞いても、「分かんない。いつも居ないよ。今日も会ってない。」とちぃはずっと言っていた。
支援級の子は、休み時間、校庭に出ることを制限されているのかな?と母は思っていた。
ちぃと仲良しだった男の子は、外遊びが大好きで、保育活動中も園庭に飛び出してしまいそうな、そんな元気っこだったからだ。

しかし、見学をして疑問が晴れた。支援級には魅力的な玩具が沢山あった。休み時間は、自由に玩具を引っ張り出して良いことになっているようだ。あの男の子は、自ら室内遊びを選択していたのを知って、とても安心した。

ぴこと支援級の見学&体験をしていて、感じたことは、普通学級と特別支援学校のほんとに間なんだという事だった。

勉強はパーテーションで区切られ、全員が壁を向いて学習する。子どもたちは個別にレベルに合わせられたプリントを解いていく。先生が子どもの回りを回って採点をする。プリントは決められた分が棚に置いてあり、終わった子から、パズルやお絵描きをして良いことになっていた。

プリント学習の途中で、「うーん」と考えている声がパーテーションの向こうから聞こえる。その子は「うーーーーーん。ん~。ンン~~♪」と考え事から漏れた音が楽しくなり音階をつけてハミングしだした。

すぐさま先生が駆けつけて、「シッ!周りに迷惑です!みんな勉強しています。」とその子に告げた。楽しんでたのにね。でも、そりゃそうか、とも思う。

集団授業の音楽にも参加した。発声練習から、歌を歌った。久しぶりのが学級活動的なものに母も一緒に参加し、めちゃめちゃ楽しくて、見学の保護者のくせに本気で歌ってしまった。ノリノリに肩を揺らしているのは私だけだった。

子どもたちは直立不動で真剣に声を出していた。少し違和感を覚える。音楽ってなんだろう。お行儀よく声を揃えることより、感情のまま身体が動いて、楽しい気持ちになることの方が、私は大事にしたいなぁと漠然と思った。

以前、我が子たちとブルーハーツのリンダリンダのライブ映像を見たことがある。小学生になっていた我が子たちは、甲本ヒロトの歌い方に目を丸くしていた。マイクに舌をレロレロしたり、身体を硬直させて前後に揺れたり、ハチャメチャにジャンプしたり。
「カックイイ!!」と歓喜の声を上げる母を、不思議な顔で見ていた我が子たち。そうだよね、君たちは直立不動の音楽の授業を是とした環境で過ごしているのだものね。

音楽の後半は、ハンドベルだった。ぴこもファの音をもらって、タイミングを合わせる。楽しそうだ。

子どもたちにハンドベルが渡った状態で、先生の説明タイムになる。すると子どもたちの中に、ハンドベルの中を覗いて、バネと球を触ってみたい衝動に駆られる子が出てくる。

前で説明する先生は、曲の速さや、ベルの降り方を説明している。サブの先生が、ハンドベルの中身を触っている子にものすごい形相で近づいて肩を抱き上げ立たせる。
「バネが伸びたら、ハンドベルが壊れます。触らないでください。もうハンドベルが出来なくなってしまいます!!」
場がピリつく。
「はい。」
その子は体育座りにもどり、腕で何度も目をこすった。さっきまでその子はとても音楽を楽しんでいた。誰よりも大きな声で歌い、ハンドベルも渾身の力を込めて振っていた。
母も悲しくなる。楽しかったのにね。しょんぼりしてしまう。でも、学校ってそういう所だよな、とも思う。

特別支援と学校の指導

特別支援の深さと、学校の指導、双方生きる道はないのか!!
母は考えた。きっとある。先生がもっと楽しめばいいし、壊していけばいい。声のかけ方で、子ども自身で気づく事ができればいいんだ。

子どもの成長のゴールはどっちも自立だ。

プリント学習中に歌い出した子の肩にそっと触れて、
「声出ちゃってるよ。みんな集中してるみたいだよ」と声を掛けるだけでは足りなかったかな。

ハンドベルを配る前に、
「これはこのバネを引っ張ると壊れて、音が出なくなってしまうんだ。みんなで沢山楽しみたいから、この楽器を大事にしようね。」
と伝えたらどうだっただろう?

子育てでは、全っっっ然できていないし、支援と指導は違う!!と言われてしまうかもしれない。けど、学校の中で『生きづらさ』を我が子たちは感じていて今、不登校だ。

先生って、子どもに未来を導く、本当に素敵な仕事だと思う。
小学校の先生も、もっとリラックスして楽しんで良いと思うけどな。なんて、キレイゴトを言ってみる。

自分への教訓

  • 数字に捕らわれず、子ども自身を見つめること。

  • 子どもより先生が楽しめたら、もっといいな。





学校で生きずらさを抱える子どもたちのために何ができるのか。 たこ・ぴこ・ちぃだけではなく、不登校児の安心できる居場所づくりの資金にしたいと考えています。