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善意のすれ違いの話

大人側の根底にあるもの

長男たこ・長女ぴこ・次女ちぃ、は今日も今日とて不登校だ。

両親は、不登校の今の状態を、全て肯定している訳ではない。
学校に行っている頃より、家に居ることで子どもは元気になった。それは良かった。
登校して、勉強して。そんな『普通』を出来ない自分にストレスを感じ、苦しんでいる我が子の姿を見ていたので、家で今、リラックスできている子どもたちに、安心しているのも本当の気持ちだ。

しかし、いつまでも、リラックスしていて良いのかい?とも思う。気持ち安定して、余裕が出てきているのなら、動き出しなさいよ!とやっぱり思うのが親ではないだろうか。

母はいつもYouTubeを見ている子どもたちに問う。
「それは、何が楽しいの?」「あなたは何が知りたくて、それを追いかけているの?」「それを見て、どう思ったの?」

問い始めては見たものの、母が納得いく回答を得られることは少ない。
「べつに、楽しいから。」「うーん、わかんない」と子どもたちはのらりくらりだ。

リラックスするのは良いが、怠惰であってはいけないだろう、と母は思う。君たちは今、怠惰に寄っていないかい?と疑問に思い、子どもに問いながら日々を観察している。

先生の思い

大好きな用務員さん

長男たこは今、揺れている。小学6年生のたこ。卒業まであと何日もない。

たこは、6年生になってまもなく、用務員さんの一番弟子として、学校で働いていた。用務員さんと担任と、校長先生が容認してくれ、教室に行かないたこに、学校に居場所を作ってくれていた。たこは、用務員さんと畑を作ったり、校内の備品の整備を手伝ったりして、毎日では無いが、コンスタントに少時間、学校に行っていた。

しかし、2.3月に入り、たこは学校への足取りが大変に重くなった。
「顔だけ見せてくれれば良いよ。」と言っていた用務員さんも、「たこにね、6年生のみんなと思い出作って卒業させたいんだよ。」と言い始めていた。

たこには、用務員さんだけで十分だったかもしれない。けれど、用務員さんは、自分がたことの思い出を全部持って行ってしまっては、たこのこれからに繋がらないと考えたのだろう。
どちらも本人に聞いていないので本当の所は母の知る由もないが。

用務員さんは、たこと担任を繋いだ。あと十数日となったクラス活動とたこを繋げたいと。担任はたこに、『六年生を送る会』『クラスレク』『卒業式練習日』などを記載した、カレンダーを渡してくれた。
たこは、プレッシャーを感じているようだが、用務員さんはとても満足そうだった。用務員さんの喜ぶ顔を見て、たこも苦笑いしていた。

コサージュ作り

たこと母はその日、「20分休みで帰る。」と確認をし合って登校した。
たこは、用務員さんの仕事をするという、義理を果たし、20分休みに友達と遊んで帰宅する、と決めていた。

たことはそのあと、同じく学校にあまり行く気が起きない友人イルカ君と、焚火をしようと話していた。「焚火に行きたい!」と、いつもイベントに対して、消極的なたこが、珍しく積極的だった。

母は、学校で待機しており、20分休みグラウンドで遊ぶ子どもたちの様子眺めてたこを待っていた。たこは、結構図太く、目当ての友だちと遊ぶために自分のクラスに行っていた。休み時間であれば、学校に入る事に抵抗はない。

20分休みが終わると、子どもたちがグラウンドから教室に流れていく。その流れに逆らって、たこが校舎から出てくる、はずだった。

しかし、出てきたのは用務員さんだった。用務員さんは、母に告げた。
「たこね、卒業式のコサージュ、作るんだって。担任が空き時間だからさ、お母さんどう?作っちゃった方が良いでしょ?」

母は、たこがコサージュ作る気になったんだ。へぇ~。と早合点し、
「そうですか。お願いします。」
と席を外し、一度帰宅した。

40分後、コサージュ作り終わりましたの連絡を受け、たこを迎えに行った。たこは、うなだれて、校庭の花壇に座り込み、用務員さんに背中を撫でられていた。

何が起こったのか分からなかった。たこを引き取り、車へ向かうも、たこの一歩一歩が重く、今にも歩みを止めそうだ。
精も根も尽き果てている。

「たこ?おつかれさま。焚火に行こう。」
母が声をかけると、首を横に振った。「帰る」消え入りそうな声がなんとか母の耳に届いた。

足を引きずって助手席に乗ったたこは、今にも溶けて消えようだ。しっかり座ることもできない。

「たこ?コサージュ、本当は作りたくなかったの?」
母が聞くと、たこの目にみるみる涙が溜まる。
「先生に、帰りますって、言えなかったの?」
たこは黙っている。(言える訳ないだろう。)と沈黙が訴えていると母は感じた。

「たこ?先生が、忙しい中たこに時間作ってくれたから、それに応えようと思ったの?それで、我慢したの?」
たこから大粒の涙がこぼれ、頷く。
そうか。。。偉かったじゃん。よく頑張ったね。そんな思いを込めてたこの頭をわしゃわしゃ撫でた。たこは、肩を震わせていた。

結局たこは、焚火には参加できなかった。楽しみにしていた焚火に、参加するエネルギーすら出ないほどに消耗していた。

20分休みに帰ろう、母とたこは約束していた。母は、たこが用務員さんに「20分休みで帰ります」と告げているのも見ていた。
用務員さんのたこへの思い、コサージュを着けて卒業式に出て欲しい先生の思い、たこはその優しさを汲んで、自分の限界を越えて頑張った。

どうして、そんなことで『限界』になってしまうのか。それは、本当に本人にしか分からない。たこの堕ち方を見たら、それが決して『ワガママ』ではないことだけは分かる。分かってあげたいと思う。

祖父との会食

父方の祖父は、物腰の柔らかい人だ。80歳を超えているが、とてもしっかりしていて、一人暮らしをしている。

「おじいちゃんと、たまには一緒にご飯を食べようか」と夫の提案の元、家族で外食に出かけた。

おじいちゃんは、我が家の不登校の現状を夫から聞きかじっていた。そして、心配していた。

たこの正面におじいちゃんが座る席配置となった。
たこは、11月あたりから、ずっと食欲がない。背はなんとなく伸びているようだが、身体がやせ細ってあばら骨が見えているのを、両親としても気にしていた。

たこがおじいちゃんの前で、母の和食膳のセットに付いてきた、小うどんのみをもらって、それをすすっていると、おじいちゃんは、驚いた。
「たこくん、それだけでいいの?6年生でしょ?もっと食べなきゃダメだよ~!!」

たこは、「はい。」なんて苦笑いをして、もうお腹がいっぱいです、とリアクションをした。

おじいちゃんは、どうしてお腹が空かないのかを説きだした。
「たこくん、学校に行って、お友達と駆けずり回って遊ばないから、お腹が空かないんじゃないの?」

「はい」と苦笑いするたこに、おじいちゃんは言葉を続ける。
「学校に行って勉強すると、頭を使うでしょ?頭を使って、身体を動かせば、絶対にお腹が空くんだよ!たこくんは、毎日ゲームしかしてないんじゃない?」
「はい」とたこは、目を合わせず答える。
「ダメだよー!!!!」おじいちゃんが熱くなってきていた。

人間は、好きなことばかりして、生きてはいられない。みんな頑張って、努力して、嫌なことも多少我慢して生活をしている。働くっていうのはそういうこと。いつまでもパパとママがあなたを守ってあげられる訳じゃない。あなたより先に死んでしまう。あなたは、自分で生きていかなければいけないんだから。学校行って、勉強して、しっかりやりなさい。

「はい。」たこは、頷いた。
おじいちゃんは、たこの返事を“生返事”と捉えたようだった。今度は白羽の矢が母に向かった。

「ママはどうして、学校に行かさないの?この子は頭が良いのに。どうして家に居ることを許しているの?」

母は、「たこは、自分で考えています。どうしたらいいのか、毎日葛藤しています。今まで私は無理やり子どもたちを強制して、お互いに辛い時期もあったんです。今は、ちょっと、見守っています。」

『葛藤』や、『辛い時期』というのは、あまりおじいちゃんの中には入らなかった。小学生にそんな時期なんてあるかい!という感覚かもしれない。

白羽の矢は未だ母に刺さっている。
「それで、ママが、ゲームをやりたい放題させてるの?それじゃぁ、子どもをダメにしますよ。子どもたちもママに甘えてる!家が楽しくて、ましてやママも居て、それじゃぁ学校なんて行きませんよ!ママも甘やかしてる!!ただのワガママ!!ダメ!!」

はい。。母も生返事をしたい気持ちだ。ここからは母の愚痴が少し入るが、おじいちゃんは、母の義理姉の話をした。つまり、嫁の比較だ。
義理姉はゲームを制限して、子どもたちはしっかりそれを守った。義理姉も偉かったし、それを守った子どもたちも偉い!子育てって、親がしっかりコントロールするものでしょう?と。

はい。もう、確実に生返事だった。
ゲームを制限したこともある。おじいちゃんのいう事は、もう全て経験済みだった。よその家庭の実例を我が家で試したことも。ある!!全部やって、やりつくして今がある。

おじいちゃんのいう事が、世間の9割の意見だという事も、知っている。親もその気持ちが全くないと言ったらウソになる。心のどこかでは、「甘やかしかな?」「子どものワガママかな?」と不安な部分は確実にあるし、将来の事も案じている。

なかなか、理解してもらえないし、理解してもらうために割く自分自身の労力が、もう底を尽きてしまう。

たこも、母も、おじいちゃんの話を「はい」と生返事をし、省エネ重視でやり過ごすことに決めた。

周りの大人ができる事

『心配している』『なんとかしてあげたい』その気持ちはすごく良く分かるし、ありがたい。

しかし、言う側から聞く側に回ってみると、気づく事がある。
結局、言う側は気持ちが良い。正論をぶつけて。根性論で。時には寄り添いという重たいアドバイスで。自分の意見・主張を相手に呑ませるのだから。

『善意』を槍に変えて相手をめった刺していることにすら気が付かない。
弱った相手をみて、そうか、分かってくれたのか、と満足する。

私は今、思っている。
我が子たちは、誰かに何か言われて変わるような、芯の無い日和見な子どもではない。本当に手を焼くが、自分の意思がしっかりある。テコでも動かない。

そして、“諦めさせて”動かしたあとの反動たるや、凄まじい。闇の精霊を呼び寄せ、再起不能になって、一歩進んだどころか、三歩下がっとるやないかい!という状態になる。

自ら気が付いて、見つけて、取りに行くのを、ただ応援することしか、今の私にはできない。

そして、子どもたちが何をしたいのか、『聞くこと』が一番の応援になるのかもしれない、と漠然と思っている。
「教えて教えて!!」ではなく、ただ黙ってそばにいる。子どもが話し出したら、聞く。アドバイスとか、忠告とかしたくなるけど、しない。子どもの言い出したことを応援する中で、母として手伝えることを考える。

『伴走』というのが今の母のスタイルだ。監督はやめた。コーチもやめた。マネージャーも、気質的にやり過ぎてしまう。伴走だ。
選手はあくまでも、子どもなんだ

自分への教訓

  • 相手の善意を汲もうとしても、自分のキャパを越えて無理してはいけない。

  • その子の人生の主役は、その子。応援するなら、自分は黙る!!黙って聞くんだ!!



学校で生きずらさを抱える子どもたちのために何ができるのか。 たこ・ぴこ・ちぃだけではなく、不登校児の安心できる居場所づくりの資金にしたいと考えています。