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大人の“決めつけ”と立場の話

長男たこ・長女ぴこ・次女ちぃは、不登校だ。
両親は、まだ、出来れば学校に行って欲しいという気持ちが抜けない。
子どものタイミングで行ける日があるなら、是非応援して、学校に行かせてあげたいと考えている。

今日は、子どもたちの感情が落ち着いており、気分はどちらかと言うと上向きだった。久しぶりに子どもたちが学校に行けた。登校できたのは、何カ月ぶりだろう。しかし、帰るころには、撃沈していたのだ。

人形劇団が学校に来るよ!

しばらく学校に行けていない3兄妹には、学校の情報が入ってこなかった。もちろん、毎日配信のクラスルームというものは、母もケータイに登録している。

先生は、今日の授業の黒板の写真、今日の宿題、などを毎日アプリで配信してくれた。子どもたちも、見ようと思えば見れる。一人1台配布された端末を開けば。けど、誰ひとり開かない。母が3クラス分チェックして、子どもに伝えていたこともあったが、伝えたところで、見ない。宿題もやらない。明日の行事なんて、関係ない。と子どもたちの中で、学校は他人事だ。

母は、そんな様子に苦しくなり、アプリの通知を切った。先生の配信がされた履歴、アイコンの右上の数字が増えていくのが苦痛になっていた。

担任は、気を使ってか、忙しくてか、分からないが電話もかけなくなった。
我が家には、学校の情報が入ってこなくなり、『平穏』な、しかし『きっかけの無い』日々を過ごしていた。

そんなところに、子どもの通学見守りパトロール隊のおばちゃんから、連絡が入る。おばちゃんは、我が子たちの行き渋りをずっと見守っていて、旗を振って登校を応援してくれていた。最近通学してこない我が家を、とても気にかけていたんだ、と言った。

おばちゃんが所属している、学校ボランティアの『絵本読み聞かせの会』が、人形劇団を小学校に呼んだから、見においでよ!と誘ってくれた。

対象学年は1.2年生だという。
ぴこも、ちぃも、「見たい!」と言ってくれたので、学校に連れて行った。上演場所も、教室ではなく、多目的室だったので、我が子たちも多少の緊張はあったものの、母と一緒に入室することができた。

久しぶりに学校に来れた。そのことで母は、胸がいっぱいだったし、この人形劇を楽しんでくれれば良いな、と我が子たちとワクワクしていた。

心のふれあい相談員の先生

ちぃも、1年生のクラスの子に「ちぃ!!」と勢いよく手を振られて、はにかんで手を振り返している。ぴこは、3年生だが、同学年が居ないことで、逆にとても安心していた。

人形劇が始まって、とても楽しんで劇を見ていた。教頭先生や、校長先生や、授業を持っていない先生が、そーっと劇を見に多目的室に入ってきていた。

心のふれあい相談員さんもそーっと多目的室に入ってきた。
心のふれあい相談員さんは、ちぃとぴこを見つけて、に久しぶりに会えたことに嬉しそうなリアクションをした。教室に入れない我が子たちをよく面倒みてくれていたのだ。
よくきたねぇ!!!と劇の途中に笑顔で手を振って、ぴこの隣に腰をおろした。

何分か劇を見ていると、相談員さんが、何かをヒラメイタ様子で、「ちょっと待ってて!」と目配せして、姿勢を低くして、多目的室から出て行った。母と子どもたちは劇を楽しんでいた。

少しの間を置いて、相談員さんが、紙の束をもってぴこの元に戻ってきた。
それは、ぴこが休んでいた分の課題の束だった。教室の机から引っ張り出してきたのだ。そして、その中の1枚を取り出し、母の耳に話しかける。
「これ、今クラスで、4年生までカウントダウンしてて。」と。A4の紙に『12』と薄く書いてあるものを差し出される。

はい。。何か急ぎの話なのか?と思い、その説明は、ぴこにお願いします。と母はぴこに「なんか、ぴこに用事があるらしい」と伝え、相談員さんの話を聞くよう促した。

相談員さんは、「あなたが全然学校に来ないから、12が抜けててね。先生困ってたわよ!」と言った。クラスのカウントダウンの「12」をぴこに書いて欲しいという事だった。ぴこは、「えー。」と引いたような、めんどくさそうなリアクションをとり、薄く書かれた12を、色鉛筆の黒でなぞって相談員さんに渡した。

相談員さんはそれを見て呆れたようなリアクションをした。
「なぞるの?自分で書いていいのよ?」
この子は想像力のカケラもなければ、やる気もないわね。そんな態度だ。

母は、思った。子どもの想像力を発揮させたいのなら、下書きなんていらなかっただろう!と。そして、この人形劇を見ているタイミングでやらせる作業ではない!!と。

相談員さんは、さらに指示を出す。「ほら、なんかもっとこう、太くして!分かりやすく!」ぴこは、黒い色鉛筆でもう一度12をなぞる。
相談員さんが鼻で笑った。分からない子ね。と言うように。
「色付けても良いのよ。ピンクとかどう?周りに絵を描いてもいいのよ?」

今ですか?まだ続きます?と母は思ったので、ぴこに「後で良いよ。今は人形劇をみよう」と声をかけた。ぴこは首を横に振って、書き続けた。相談員さんが納得いくものをさっさと終わらせて、この場を切り抜けたい、と思っているようだ。

相談員さんの言うとおりに、ピンク色を使い、周りに乱雑なにこちゃんマークの絵を一つ書いた。そして相談員に提出した。
「本当に?こんなんでいいの?」と相談員さんは納得のいかない様子でぴこに確認する。“こんなんで”って。母は呆れてしまって、言葉も出なかった。ぴこは相談員さんに頷いた。さっさとそれを持って離れてくれ。と(いいですいいです)と力ない笑顔で上下に首を振った。

そのぴこの態度を受け、相談員さんは、『仕事をきっちりできない、集中力もない適当な子』と認定したようだった。再び鼻で笑った。

作業しているぴこをみて、ちぃが、「ちぃも絵描きたい!」と入ってきた。
思い出して欲しい。今は人形劇中だ。
しかし、相談員さんが大量に持って来た課題の紙と、色鉛筆が今ここにある。ちぃは無類の工作好きだった。ちぃの興味は人形劇から、絵を描くことに完全にシフトしてしまった。

母は、ちぃを止めた。「ちぃ、お家でやろう。今は人形劇を楽しもうよ。」と。しかし、ちぃは一度火が付いたらなかなか止まらない。無理やり紙を回収したら、ちぃの感情が荒れて、必ず態度が悪くなる。人形劇を見ている周りの子にまで迷惑が掛かってしまう可能性が簡単に予測できた。

どうして今、課題を持ってきてくれたんだ!という怒りが母の中で相談員さんに向けてフツフツと沸いてしまう。

その様子をみて、相談員さんがどう考えたのかは分からない。母の機嫌を取ろうとしたのか。それとも紙と色鉛筆にかじりつくちぃを見て、ちぃは飢えていると思ったのか。相談員さんは「お家で何されてます?」と母に聞いてきた。

母は、人形劇団に対して失礼な態度をとってしまっている我が子たち、誘ってくれたおばちゃん、子どもたちの貴重な観劇の時間を潰されたことに心底怒っていて、余裕がなかった。
相談員さんをまっすぐ見つめて、「やっと学校に来れたんです」と質問の回答ではない言葉を伝えた。

もう、これ以上話しかけないでくれ!というメッセージを受けて、相談員さんはぴこの書いた12をもって、また多目的室を出て行った。

人形劇のその後

ちぃは人形劇の途中で絵を描き終わり、後半は人形劇に集中することができた。大いに楽しんでいた。

工作好きのちぃだ。人形に興味が沸いて、片づけ中の劇団に近づいて声をかけていた。「これ、触って良いですか?」と。
劇団は、片づけながら、校長先生の謝辞を受け取って、ぺこぺこ挨拶中ではあったが、ちぃの投げかけをしっかりキャッチして、嬉しそうに応えてくれた。

母も、このタイミングで劇団にお礼を言った。
「人形劇団さんが来てくださったおかげで、この子たち、何カ月ぶりかに学校に入れたんです。本当に楽しい時間をありがとうございました。」
深々と頭を下げると、劇団員さんが、
「あらー!元気でしっかりしたお子さんだから、気が付かなかった!」と笑顔で返してくれた。
クラスの集団が教室に帰る中、母と一緒に多目的室に残っている時点で、“何かある”と思われている、と母は思っていたのでその言葉が温かかった。

校長先生が、「せっかくだから、写真はどうですか?」と母と劇団に投げかけてくれ、我が子たちは、人形を手に写真を撮らせてもらうことになった。子どもたちも、校長先生も、劇団員も、嬉しそうだ。とても温かい空間だった。

母は、思い出していた。相談員さんに向けた自分の怒りを反省していた。感情的になるべきではなかった。事情を説明したい、と思った。

相談室の扉をノックすると、引きつった笑顔の相談員さんが迎えてくれた。
感情的になってしまった自分を謝罪した。相談員さんは、はい。と苦笑いしていた。

母は、伝えた。
「うちの子は、人形劇を見ながら、作業をするという、二つの事を起用にこなせるタイプではありません。相談員さんの、納得のいくモノは出来上がらなかったと思います。あの状況では、うちの子には難しいんです。
相談員さんの、クラスの課題に追いつかせたいお気持ち、私は受け取りました。ぴこが、相談員さんの思いに応えられず、申し訳なかったです。」

すると相談員さんは
「ではお家で、もう一度書いていらっしゃいますか?」と提案した。
母は、ため息を飲み込んで、答えた。
「2回目は、やらないと思います。お気持ち、ありがとうございます。」

やらされた仕事、しつこく言われて、やっつけで終わらせて、そして駄目出しされている。持って帰ってもう一度?やり直せると思うのか?母は遠く彼方を見つめてしまう。

相談員さんは、市の派遣職員だ。言ってしまえば誰でもなれる。
有資格・無資格は私自身あまり信用していないし、結局人それぞれの『思い』の深さが行動に反映されると思う。大人には理屈でそれが分かる。

しかし、子どもは?『心のふれあい相談員がただの世話好きのおばちゃん』だと思っているだろうか?子どもは相談員を『先生』だと思っているし、『悩みを分かってくれる人』と信じ切っているのではないだろうか。

【心のふれあい相談員】という仕事を、子どもが好き!お小遣いになる!という理由で始めていたとしても。その肩書には責任が生じると私は思う。子どもを理解しようとする姿勢と、最低限の知識は、持ち合わせるのが
最低限必要なことなのではないのか、と思ってしまう。

今、目の前の子どもたちには、自分しかいないんだ!とう真摯な向き合いを相談員に求めてしまうのは、モンスターペアレントというものなのだろうか?


自分への教訓

  • 気を付けないと、決めつけで子どもを見てしまう事って大いにある。

  • 子どもを決めつけないためには、多角的に物事を捉える事。

  • 自分は何も分かっていないと謙虚に、相手の思いを聞く事。





 

学校で生きずらさを抱える子どもたちのために何ができるのか。 たこ・ぴこ・ちぃだけではなく、不登校児の安心できる居場所づくりの資金にしたいと考えています。