25年ほど前、
あるホスピスで、私はこの詩に出会いました。
壁に掛けられていたために、通るたび、何度も読みました。
ハッとするほど美しい詩で、
イエスにもキリスト教にも特にご縁も興味もなかったのですが、なんとも言えない気持ちが深く心に沁み、最後の3行は溢れる涙を抑えられないほどでした。
辛いことがある度、
友人の病気の折など、
ことあるごとに思い出し、読み返してきました。
どんな時でも、見放さずにいてくれる存在がいることを信じたい…
自分が感じているように、必ずいるのだ、と勇気づけられる詩でした。
夫は最期、
ホスピスにも入らず、入院もせず、
10日間の在宅医療ののちに、
我が子がまさに生まれてきた、その自宅の和室で亡くなったのですが、
病気が分かったときも、闘病中も、亡くなったときも、
私には奇跡のコースとつながる兄弟姉妹と
そしてこの詩がずっとが私を包んでくれていました。
まさしく、おぶって歩いてもらいました。
その経験は、不信感や失望を抱いていた、目が曇っていた私に、どれほど壮大な愛が降り注がれてきたのか、どれほど優しく見守られ、待ち続けてもらってきたのかを実感させてもらう体験でした。
真理に宗教は関係ありません。
この詩は、宗教の枠を超えて、
困難に見える状況を超えようとする人たちみんなの役に立つはずです。
どうか、愛する兄弟姉妹、今日、分かち合わせてください。
自分では孤独に、誰からも見放されて、たった一人で惨めに歩いているように思っていても、
どんな瞬間も、この瞬間ですら、私たちはおぶられ、運ばれている。
あまりに傷ついて、身動きすらできなくなった私を、見放すどころか背負い、替わりに歩いてくれている。
ずっとずっと、私は(私たちは誰も)独りではないし、そもそも独りになどなりようもなかったのです。
それを思い出し、片時も忘れずにいたい。
私たちは朝の光を浴びるために、深い夜を体験したのです。
書いていたら、
有名な、roseという曲が頭に響いてきました。
そういえば、この素晴らしい曲も同じことを歌っていますよね。
明けない闇はない。
私たちはつながっています。