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夫の死、そして、絶対死なないもの

 夫が肉体を脱ぎ捨ててしまいました。
もう3か月が経とうとしています。
彼が長い出張に行っている感じがまだするし、キッチンからプリン食べながら「あ、これ食べちゃってるで」といたずらが見つかった子どものように笑って、普通にひょいと顔を出しそうな気もする。
亡くなった当初は、
生活に彼がいないことに慣れなくて、アワアワしていたし、
「そうか、もう夫はいないんだった」と気づくたびにガビーンとなったりしていたのだけれど、そこは慣れてきて、ここだけの話、旦那の帰ってこない楽さもあったりします(嫁あるある)。

 けれど、生前とは違って、
夫は至るところにいる。
今も傍にいるし、
寝室にもいるし、
キッチンにもいるし、
出かける先々にもいるし、
海にも山にもいる。
呼びかけると、いつでもどこでも返事が来る(驚き)。
生前のようには既読スルーされることなし(夫婦あるある)。
あたたかで、本当に深い笑みをたたえて、
どの瞬間も私を見つめていてくれる。
そして、どういう仕組みかは分からないけれど、
私を見つめるのと同時並行で、
子どもたちも見つめているし、
そのほか、彼につながり、彼に呼びかけるすべての人を見つめている。

 末子は
「トイレでパパの視線を感じて気まずい」
「恋愛ドラマ見てて熱いシーンになると、パパがいるからちょっと気まずい」
と、なぜか気まずい話ばっかり教えてくれます。
君たちもそうなのね、横にいるのを知ってるのね、良かった~。
トイレまでついてくるのはどうなのか。思春期なんだけど。
でも、多分彼にはトイレという概念とかもう無いだろうな。
夫は病気になるまで、仕事人間で帰宅も遅かったので、
子どもたちは今のほうがよく会えているのかもしれません。
まあね、ハグできないのが、本当に残念だけれど。

 おかしく聞こえるかもしれないけど、
夫の死はある意味、家族で天国を垣間見るような、奇跡の経験でした。
最期の10日間は特に、
これまで苦しんだ痛みが取れ、全世界が私たちを祝福して、見渡す限り平安と思いやりで溢れているような体験でした。
まさかそのような光景を見るとは1mmも予想していなかった私は、
彼が見せてくれたその世界の美しさにただただ感動し、ぼう然としました。
こんな死があるとは思ってもみなかったし、
私たち家族が経験したものは、
これまで【死】だと思っていたものとは全然違うものでした。

 彼がこの世を卒業してから、今日のこの日まで、
混乱によって、寂しさや悲しさ、葛藤や辛さももちろん経験してきました。
彼の死によって悲しかった、辛かった …と書きたいのですが、
正直に言えば、それは正確ではなくて、
「私自身のエゴのささやきに、私がいつの間にか乗っかってしまって、
悲しみや辛さを経験することを選んでしまった」
というのが、正しい表現です。
そして、私がなぜこのように断言できるのかと言えば、
あのとき、夫の死に見えるものが、
深く深く見れば、彼の途方もない大きな愛でしかないことを、
私たちは、もう、どうしようもなくそれを見せられ、
あたたかさと、笑いと、至福感の中で、
みんなで受け取り、体験してしまったからです。
【死】に色を付けて、自分の観念で見ることができないほど、くっきりとした体験だったからです。
私の苦しみを死のせいにはできない。
私の悲しみは、「かねてから私の中にあるもの」であって、彼の死のせいではない。
もう、それは疑いようのないものなのです。

 大切な人を失うことは、本当に本当につらい。
でも、深く真実につながると、死は形態の変容であり、大事な人が無になることではありません。
大切な人は死を通して、形を超えてみる目、感じる心、永遠に変わらず無くならないものを思い出すことを、私たちにプレゼントしようとしてくれています。
私たちは、何も失っていない。
私たちは、何かを失うことも、傷つくこともできない。
もし、それが可能だと思うなら、私たちは、何かの認識を間違っている、ということです。

 まあ、認識間違いは、日常的に起こるので、
彼の声が聞こえないことも、存在がぼやけることもよくあるのですが、
その分かりやすいサインの度に、私は彼の真実の贈り物を思い出し、
自分の目を覆っている雨雲を認識し、
雨雲の奥の雲一つない青空と、空を照らす光にタッチするようにしています。

 彼の贈り物はとても大きいもので、
私たちだけで受け取るには、
とてももったいないくらい、優しく強さをたたえたものでした。
死に怯え戦き、遠ざけたいがゆえに誤魔化したり、
直視しないように頑張ったり、戦おうとしたり、
誰かを責めたり、
罪悪感で死んだほうがマシだ、と矛盾した思考回路に陥ったりした
過去の私に、
私の経験した真実を伝えたい。
そして、もし同じような気持ちの兄弟姉妹がいるようなら、
分かちあえたらいいなと思います。
そうできたらいいよね、どう思う?と話しかけると
人が好きで、冗談好きで、屈託のないオープンな夫は、
さらに嬉しそうに笑いかけてくれるのです。




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