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あの神文字書きが、犯したいほど憎いんだ 第十四話「間野賢也③」

「あれ? 周野、今回書いてないの?」
 〈未来埠頭〉を手に取った柏木がそう言ったのを聞いて、間野の体がビクッと跳ねた。多分、言われた周野よりも早く反応した。超高速で反応した。
 おそるおそる、周野の方を見る。
「書いてないよ」
 彼は、呆れたようにため息を吐いてからそう答えた。
 予想に反して、澄ました顔をしていたので間野はちょっとホッとする。
(地雷判定……セーフ!)
 麗らかな放課後の部室だった。
 放課後といっても、普通に五限がある時間帯だが、文芸サークルに入るような人間で五限や六限までミッチリ講義を詰めている人間なんてほとんどいないから関係ない。他の時間帯は必修とかの仕方ないやつ以外は二限から四限の時間までで済ませる。文系大学生必須の処世術だ。
 今日は部室に人が多い。新しい〈未来埠頭〉が届いてすぐの時期だからだろう。
 自分が原稿を寄せていなくても、タダでもらえるならもらってやろうと思うらしく、完全な幽霊部員以外は〈未来埠頭〉が到着したとメーリスが回ったら、取りに部室にやってくるのだ。
 柏木もそうした部員の一人だった。間野の一つ上の先輩で、周野と同い年。行事とかには参加するけど、原稿は書かないし、普段もそんな部室に来ない。他のサークルでの活動に気合を入れているらしいが、ちょっとチャラい感じもして、間野は苦手だった。なんといってもこいつ、気が利かない。今のはギリギリセーフだったけど。
(いや……もしかして、地雷と思っているのは俺だけか?)
 一瞬、そう思ったが、すぐに首を振る。んなこたあない。
 部室の〈未来埠頭〉の旧刊を追ったことがあったが、周野は入部して以降、毎号毎号、小説を載せていた。はっきり言って珍しい。間野自身は割と書いている方だけれど、一回だけ原稿を出せなかったことがある。〆切前にライヴがあったのだ。いや、演る方じゃなくて観る方だけどさ。
 そんな彼が、ここにきて、原稿を出さなかった。おかげで今号はやたらと薄い。印刷費が浮いたくらいだ。
 何か、事情があるのだろう、と思う。察しがつかないわけでもない。
 そして、まあ、踏み込めないよなっていう。
 ……と思っていたら、バカが踏み込んだ。
「なんで?」
 柏木が追撃したのだ。
「なんでって」
 周野の顔色がちょっと変わった。
「いつも書いてたじゃん」
「別にお前、読んでないだろ」
「読んでる読んでる」
「嘘つけ」
 ドギマギしながら見守っていると、上手い具合に話が逸れていった。
 良かった、と思ったところで、間野の右から「でも、実際珍しくないですか? 周野先輩が書いてないのって」と声が飛んだ。
 間野の同級生の諏訪部という女子だ。普段はおとなしいのに、それこそ珍しくのってきやがった。間野は、彼女はたぶん周野に気があるのだろうと勝手に思っている。顔とスタイル良いからな、あの人。
「いつも絶対、書いてたじゃないですか」
「そうそう」
 柏木も便乗する。
「いろいろ忙しかったんだよ」
「その割にはいつも部室にいません?」
 諏訪部が「ねっ」と間野の方に顔を向けた。
 曖昧にうなずいた。まあ、確かに大抵はこの人と部室に二人でいる。
「分かった」
 柏木がパチンと指を鳴らした。
 漫画みたいなことするな、こいつ。
「傷心だな」
「何言ってんだ」
 ホッとしたように、周野は鼻を小さく鳴らした。
「フラれて傷つく相手がいないよ」
「何も恋愛的にフラれて傷ついたとは限らない」
 明らかに余裕ぶっていた周野の顔が、ここで歪んだ。
「何かあるだろ」
 周野が押し黙ってしまった。
 まずいな、こりゃ。
 明らか雰囲気悪くなってるっしょ、これ。
 どうしたもんかなと間野が悩んでいるうちに、周野が立ち上がった。
 おいおい、ヤベえよ、と、ツカツカと壁際の本棚に歩み寄っていき、冊子を一冊取り出す。そしてそれを、柏木と諏訪部の前にたたきつけた。……ごめん、たたきつけたは言い過ぎだった。置いた。
「分かった。言うよ。これだよ」
「〈文学人〉」
 表紙に書かれた文字列を諏訪部が読み上げた。
 雑誌だった。文芸誌だ。間野も、名前だけは知っている。純文学とかの雑誌だから、読んじゃいないけど。
「それの新人賞に応募していた。でも落ちた」
 周野は肩をすくめた。
「それでガクッときちゃってさ」
「……どこまでいったんですか?」
「三次」
 聞いて、柏木がバラバラと『文学人』をめくって「マジだ。名前載ってる! 凄えじゃん!」と叫んだ。
「凄くないから落ち込んでるんだよ」
「いや、でも凄いですよ!」
 諏訪部が再び「ねっ」と間野に同意を求める。
 間野はまた、曖昧にうなずいた。
 複雑な想いだ。
 だって、間野は、今回〈未来埠頭〉に原稿を書かなかったのは、それで落ち込んでいるからでは決してないことを知っているから。
(あんた、三次で落ちたっぽいって報告した後に、俺に次の作品の構想話してたじゃんかよ)

   ★

 しばらくして、パラパラと部員たちがそれぞれのタイミングで帰っていき、結局、周野と間野の二人が部室に残った。
「今日は人、多かったすね」
「そうだな」
 疲れた、と周野は笑った。
 そうですね、と間野も笑った。
 周野はふう、と声に出して息を吐いてから、スマートフォンを手に取った。
 途端、部室の空気がさっきまでに逆戻りしたのを間野は感じた。ビリリッて。
 周野の顔色が変わったのだ。
「どうかしました?」
「いや、なんでもない」
 慌てたように、周野はスマホを手放した。一瞬、画面が見える。ツイッターを開いていたらしい。
 一つ、呼吸を置く。
 わざとらしくないよーに、と意識しながら「そうすか」と言って、スマホをこっそりポケットから取り出す。机の下、周野の死角になるところに持っていって、ツイッターを開いた。
(多分、あの人のことだろう)
 天賀再の、ホーム画面を開いた。
 やっぱり、そうだった、と直感的に分かった。
 そして、ビビった。
 別に天賀のことなんてなんとも思っていない間野でも、思わず声が出そうなことが書いてあった。
 まるで声優の結婚発表みたいな文言からそのツイートは始まっている。
『ご報告があります。ご縁がありまして、雑誌〈文学人〉様に、拙作「鉛筆」を載せていただけることになりました……ちょっと信じられないんですけど、よろしくお願いします』
 間野は、苦笑いするしかなかった。
(気をつけろ、俺。口にも顔にも出すな。がんばれ)
 これ、特大の地雷だわ。

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