あの神文字書きが、犯したいほど憎いんだ 第十五話「天賀再⑥」
ぐおん。
再の頭の中で、何かが暴れている。回っている。
何か、ってなんだよ、と思うのだけど、名づけられそうになかった。不安に近い。後悔にも近い。でも、ちょっとワクワクしているかも。わからない。全然わからない。ぐおん。ぐおおん。ぐおおおおん。
今、ここには相変わらずなんにもない。
汚い部屋。夜。いつ開けたのか覚えてない、チビチビ食べてるポテチの袋。そん中に入ってる湿気たポテチ。
でも、ひとつだけ違う。意味があるものがある。
ぐおおおおおおおおおん。
頭の中のそれがどんどん大きくなっていく。
逸らすな、逸らすな、目を逸らすな。見つめろ。
再は寝そべったまま、その雑誌へ手を伸ばした。指先が触れた。持ち上げた。分厚い。重い。でもこの重さは、物理的なものじゃない。
手元に引き寄せた。
撫でるように、指でタイトルを辿る。
〈文学人〉。
表紙には、なんとか賞とか、なんとかの作家の最新作とか、書いてある。その賞の名前も知らないし、作家の名前も知らない。そういう知らない名前の中に……再の名前があった。
ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん。
暴れる。暴れる。暴走機関車。機関車トーマス。違う。気を抜くと始まる連想ゲームを押さえつけて、再はどうにか、自分自身に向かいなおった。
こんなことになってしまった原因は。始まりは。
「鉛筆」を、あの駄作を公開した、一週間くらいあとのこと。
---回想①---
ツイッターでDMが届いたのだ。
なんか、いつもと違うところに通知のマークがあるなと思ったらDMだった。
知らない人からだった。
フォロワー外からも送れるような設定にしていたのを初めて気づいた。だって、初めてきたDMだったし。
出版社の社員だと名乗った。〈文学人〉という雑誌を編集しているって。
胡散臭いと思った。
でも、アカウントを見たら、ちゃんと本物っぽくて。
そんな人が、褒めた。「鉛筆」を。
意味が分からなかった。あんな、あんな作品を! 空っぽの作品を! なんで? ほんとうに本物の編集?
こいつ見る目ないな!
でも。
『よろしければ、一度お会いしませんか?』
どうしてか、再は、この言葉に、思わず、イエスを返していた。
---そのまま続けて回想②---
待ち合わせ場所って言われたのは、駅ビルの本屋だった。
どこで会いますかと聞かれて、とりあえず再の家の近くのでかめの駅を指定したら「では、あそこで待ち合わせしましょう」と。
実のところ、再はそんなに本屋に行くほうじゃない。
行くにしても、本当に家の近くにあるちっちゃな書店で用事は大体済んだ。
だから、この、割と大きい本屋に来るだけでもドキドキするくらいだった。そこで、しかも、知らない人に会うなんて……
落ち着きなくキョロキョロと売り場を歩き回っていると
「天賀さん?」
声をかけられた。
「ひゃういっっっ!」
自分でもなんて言ったか不明瞭な声がでる。飛び上がる。
振り返ると、その男は立っていた。
三十と四十の間くらい? 当たり前だけど再よりは年上だ。ちょっとウェーブのかけた髪型で、眼鏡。ひょろりとしている。高そうなジャケットを羽織っている。視点が上と下、また上と彷徨って、結局、大人だなーとアホっぽいことを思った。堅苦しそうな感じはしなかった。
「松本です」
「て、天賀です」
パニックになった再がまずしたのは、手を前に出すことだった。握手しようと手の形を作る。
何やってんだ、とすぐカーッとなる。握手? 何それ? しないでしょ、普通、そんな。
でも、松本は、握手に応じてくれた。クスクス笑いながら「お会いできて光栄です」と。
それでますます再はカーッとなる。
「お若いですね」
「はい」
「てっきり、もっと年上かと」
「はい」
「どこか、腰を落ち着けて話しましょうか。そこのカフェでいいですか?」
「はい」
「では、行きましょう。実はケーキが美味しいんですよ、あそこ」
松本がニッと笑って、それでちょっとだけ再の緊張が解れた。
でも、カフェに入って、飲み物とケーキをどうぞと言われてまた緊張した。一番安いのをセレクトした。それでも高かった。再にとっては。というか、こういうカフェ、入ったことないよ。スタバですら怖いのに。
「さて……」
コーヒーとケーキがテーブルにつくと、松本は早速ですが、と話し始めた。
「「鉛筆」、拝読させていただきました」
「……ありがとうございます」
目を逸らしながら頷いた。
良かった? 本当?
「文体、内容ともに大変に卓越した作品だと思います」
本当?
マジでそれ言ってる?
(あんなのダメだよ。ダメダメだよ。嘘しかないよ。ゴミだよ。カスだよ。僕と同じように)
そう思ったけど、褒められるのは、悪い気持ちではなかった。
「透明な文章を書ける方って、本当に少ないんですよ」
続けて、そういわれて、ビクッとした。
「天賀さんの文章は、そういう数少ない透明な文章だと思います。窓を通して外の景色を見るように情景が伝わってくる……さっき、もっと年のいった方だと思ったって言いましたよね? あれって、本当に、そう思っていたんですよ、実は。ここまで研ぎ澄ました文章を、この年齢で書けるとは」
聞きながら、再は、違う、と思った。
窓のような文章を書いたのは、自分じゃない。自分はただ、周野を真似ただけで……
「素晴らしい才能だと思います。お世辞抜きに。もし、「鉛筆」をうちの新人賞に送ってくれていたら、間違いなく受賞していたと思います」
「そ、そんな……」
再の声は、消え入りそうだった。相変わらず松本の目も見れなかった。
違う、違う、違う、という気持ちだけがグルグル口の中を駆けずり回った。
「どうでしょう」
意を決した、といったように松本が言う。
「あなたの才能、僕に預けてくれませんか?」
---回想②終わり---
そのまま、流されて、今に至る。
とりあえず、雑誌に再の「鉛筆」が載ってしまった。
ぐおん。
そのあと、松本と何度か会って、よく分かんないけど、次の作品はこうしましょうああしましょうそうしましょうそれが良いとかちょっと話した。
ぐおおん。
自分が何を求めているのか、よく分からなかった。
なんで喜んでいるのか、意味も不明だった。
だいたい、〈文学人〉の他に載っている作品、読んでないし。正確に言うと読もうと思ったけど、頭がクラクラしたから読むのやめたし。
ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん。
「……周野さんは、どう思っただろうな」
呟いた。
そもそもの、再が「鉛筆」を書いたキッカケである周野は、「鉛筆」について感想はくれていない。きっと、ダメダメだったからだろう。それを狙って書いたんだから、それで良くはあるんだけど。
でも、ちょっと、悔しくはあった。
〈文学人〉を放り投げて、スマホを手に取る。
明日は、久々の、参加予定の同人即売会だった。といっても、忙しくて新刊は書いてないから、売れ残りの旧刊だけ出すつもり。
調べたところ、周野のサークルも参加するらしい。
(周野さん、次は、どんなのを書いたかな。ちゃんと、元の道に戻ってくれたかな……)
〈未来埠頭〉を、早く読みたかった。
ぐおおおおおおおおん。ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん。
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