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あの神文字書きが、犯したいほど憎いんだ 第十七話「天賀再⑦…」

 ポカーン!
 口を開けてしまった。
 何度も参加しているイベントだから、ここに来るまで、来てからもしばらくはだいたい、いつも通りだった。スーツケースに売り物を詰めて(ほんとは、ちゃんと申し込みをすれば、わざわざ家から運ばなくても自分の席に配達してくれるサービスがあるんだけど、いつも気がつくと申し込み期限を過ぎてしまっている)いつもの乗換駅で降りて、いつもの会場に来て、いつも通り準備して……
 なのに、今、いつも通りじゃない光景が再の目の前に広がっている。
 机の上に何も載ってない!
 完売! 完売! 完売御礼! あっ、思うだけじゃなくって、ちゃんと、なんか書いておかなきゃ……ペン、持ってきてたっけ? 持ってきた。あった。紙は……このチラシでいいや。
 あっっっっっという間だった。
 意味わからないくらい、早かった。
 会がスタートする前から、それは来た。というか、その人たちは来た。
 多分、別のサークルの参加者さん。始まる前だから、じゃないと会場に入れないはず。割と歳いっているオッサン。「すいません……今、買えますかね?」とやって来た。規約上、いけない気もしたけど、どうせ売れ残りだし、と売っちゃった。
 そういう人たちがもう何人かきて、言われるがまま売って、それで在庫が半分くらいになった。二年くらい前に作ったやつ(そして、ずっと部屋の隅に放置してたやつ)は在庫ゼロになった。
 で。
 始まってからは、もっと、すごかった。ヤバかった。
 ドーっと早歩きでやってくる人たちがいるなあと思ったら、みんな再のブースで立ち止まって、ドーっと本を買って去っていった。ごめん、嘘。何人かはちょっと立ち止まって、ちょっと話した。どう受け答えしたのかも覚えてないけど、再のことを褒めてくれた。
 なにがなんだか分からないうちに、ぜーんぶ、売り切れてしまった。
 わけがわからない。
 いや、わけはわかっている。
 あれに載ったからだ。〈文学人〉。
 それで、なんか、よく分かんないけど、名前が売れたのだろう。とは思う。けど、でも、ここまでって。
 とりあえず完売の紙を書いてから、どうしようかと考えた。どうする? もう帰る? 早いよ。まだお昼前だよ。こんなこと初めてだから、ほんと、わけが分からないよ。
(……ああ、そうだ!)
 〈未来埠頭〉を、買いに行こう。
 再は売上を入れるタッパーを手提げの鞄に入れて立ち上がった。
 スマホ(画面バキバキ)を取り出して、ブースの位置を確認。毎度のことだが、オリジナル創作だから島は近かった。どこだかすぐに分かるし、すぐに行ける。
 ブースを見て、ドキリとした。
 周野がいる。あと、間野。
 先に気づいたのは周野の方……に、再には見えた。
 こちらをチラリと見た。けど、すぐに目を逸らしたから、気づかなかったのかもしれない。再が近づいた時、声をかけてきたのは間野の方。
「天賀さん、お疲れ様です」
「お、お疲れ様です!」
 上ずった声がでる。
 恥ずかしい。
 ここで周野が再を見た。
 何も言わず、愛想笑いを浮かべながらペコリと頭を下げてくる。
 それはいかにも営業スマイルという感じで、再は、もしかして、自分、顔、覚えられてなかったのかなと思った。まあ、そりゃそうか。一回しか会っていないもんね。覚えてなくても、仕方ない。……仕方ない、か?
「し、新刊、ください」
 間野が「はいはい」と〈未来埠頭〉を再に手渡す。
 それを受け取ってから、再は代金を出そうとする。が、マジックテープの機嫌が今日は悪く、ちょっと手間取る。
 その間を埋めるためだろう。間野が世間話を振ってきた。
「天賀さんは今回は、新刊ないんでしたっけ」
「え、ええ……ちょっと、忙しくて」
「ああ、そうですよね」
 間野が頷く。
「なんだか、大変なことになっちゃって。なんか、気楽に引き受けちゃったんですけど……同人のアンソロみたいな気分で」
「〈文学人〉は、文芸誌の中でも一番権威のある雑誌ですよ」
 ハッとする。
 周野が、口を開いた。


   「周野才斗⑥」

 ――やってしまった。
 才斗の口の中に、後悔の苦い味が広がる。
 何も言わないでおこう、と決めていたのに。
 口を開けてしまったら、自分の胸の中に溜まった汚らしい心がそのまま出てしまうだろうから、それを避けようと思っていたというのに。今朝、間野が〈文学人〉を手に持っていたのを見た時だって、必死に堪えた。その前からずっと、堪えていた。それを今、台無しにしてしまった。
 場の空気が冷えてしまったのを才斗はひしひしと感じる。それはそうだろう、と思う。かなり刺々しく聞こえてしまったはずだ。
 天賀と間野に悟られぬように、と願いながら才斗は一回深呼吸をした。
「だから、そんな謙遜しないで、誇った方が良いですよ。それだけ素晴らしい雑誌に作品が載ったんですから」
 わざとらしく見えなければ良いが、と願いながら笑顔をつくる。
 顔は天賀の方へ向けていたが、彼がどういう顔をしているかはちゃんと見られなかった。怖かったのだ。「ありがとうございます」と彼が小声で返してくるのは聞こえた。
「凄い雑誌らしいですもんね。俺も読んだことないけど」
 隣で間野が言うのを聞いて、才斗はまず、申し訳なく思った。
 わざと、軽い調子で言ってくれているのが分かる。まったく、この後輩の配慮の利かせ方には恐れ入る。
「でも、さっき俺が言った〈文学人〉の常連作家には、知ってる人いたろ?」
「いましたね」
 間野が何人か、名前を挙げた。
 才斗は「そうそう」と言いながら、頭の中で計算をする。
 先ほどの失敗を取り返すアイディアが飛来した。よし、ちょうどいい。
「そうだ。聞きたかったことがあるんです」
 才斗は天賀の方を向いた。やはり、彼の表情はちゃんと見れないままだったが。
「「鉛筆」って、やっぱり、あの作品を意識しているんですか? 今、間野が言った先生の……映画にもなってた」
 これは、本当に気になっていたことだった。
 天賀が書いた「鉛筆」――恐ろしいほどの傑作、あの「鉛筆」――を最初に読んだ時、真っ先に思い出した作品があったのだ。才斗自身、小学生の頃に読んで強く衝撃を受けた一作だ。その作品のオマージュらしき部分が、「鉛筆」では随所に感じられる。これは感想などを漁ってもまだ触れられていないことだから、きっと、天賀としても、指摘されて嬉しいことだろう。そう思っての発言だった。
 しかし、天賀は首を振った。
「いや……読んだことないです。その、先生の作品すら。純文学って、読まないので」
 才斗は、自分の体温が冷えたのを感じた。
 それを察知したのだろう、間野が取り繕うように言ってくれる。
「でも、天賀さんって、いつもラノベ書いてたじゃないですか。今回、全然ジャンルが違うのを書いたのなら、やっぱ、勉強したんじゃないですか?」
「そういうのは、してない、です、ね」
 天賀は、困ったように笑った。
「純文学作品を一切読まずに、書いたと。「鉛筆」を」
 今日二回目の、才斗の口から洩れた刺々しい台詞だった。
 だが、今度は口の中に広がったのは後悔の念ではなく、もっと、熱いものだった。
 喉元までこみ上げる。
 ――俺は『降格勇者レベル1』を書くために、好きでもない、面白くも感じないライトノベルを無理矢理、何冊も、何編も読んだのに!
 抑えた。
 才斗は、どうにか、口に出すのを抑えた。


   「天賀再⑧」

 ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん。
 再の頭の中で、アレが暴れていた。アレ。わけの分からない暴走機関車。
 パニくっていた。
 自分が何を言っているのか分からなかった。
 いや、言ってることは分かっているし、別に、ヘンなことは言ってないはずだ。うん。素直に聞かれたことを返している。
 自分の言っていることが、周野の気に召さないらしいということは、最初のやり取りから分かった。なんで? 生意気だから? ごめんなさい。ごめんなさい。純文学とか、そういうの分からない自分が書いた、空っぽの「鉛筆」について、やっぱり、周野は怒っているんだ。
 ダラダラ。
 汗まみれ。汗だらけ。
 ぐおん。ぐおおおん。
 周野がこちらを見つめている。あの、鋭い眼光で。
 その横で間野がオロオロしていた。ごめん。
 何か、何か言わなきゃ……
「さ、参考にした作品なら、ありますよ。で、でも」
 間野が「おっ、なんですか」と飛びついた。
 再はニッコリ笑って。
「周野さんの「手紙」です」


   「周野才斗⑦」

 才斗の喉から、音が漏れた。
 言葉にならない叫びを、堪えた音だ。
 天賀が「手紙」を、才斗の作品を参考にしていた。
 それは、予想はしていたことだった。
 だからこそ、才斗はこの数週間、ずっと、ずっと苦しんでいたのだ。
 「鉛筆」を読んだ時、才斗はすぐに分かった。
 ここに描かれているのは、才斗の見てきた景色だ。それが切り取られている。……才斗以上に鋭く、確かな文章で。
 読みながら才斗は悶えた。自分が書こうとしてきたものが、もっとレベルが高く、それでいて余裕のある筆致でそこに再現されていたからだ。才斗は思った。どうして自分は「手紙」で、この会話の中でのこの登場人物のこの表情を切り取ることができなかったのだろう? どうして自分は「楔」で物語世界からこういうタイプの登場人物を浮かしてしまったのだろう? 天賀の小説では、こうも自然に馴染んでいるというのに。
 濁りの一切ない、よく磨かれた窓みたいな文章だった。その透き通りっぷりは〈文学人〉に載ったバージョンで、更に磨きがかかっていた。流石は名編集者、松本だ。
 数日前に瑠美に吹っ掛けた議論のことを才斗は思い出す。
 ――模倣して書かれた小説は、模倣先を超えることはあるか?
 ある。
 ここに、ある。
 しかも、驚いたことに、天賀はそのために一切の努力をしていないのだ。才斗が今まで読んできた小説や、触れてきた景色を調べることもなく、才斗が追い求めていたものを書いてしまっているのだ。
 才斗の視点の焦点が、ようやく天賀の顔に定まった。
 彼は、何やら不安気な顔をしていた。


   「天賀再⑨」
 
 ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん。
 周野の目を見て、再の中で鳴る音が、もっと、もっと大きくなった。
 疑っている?
 お世辞か何かを言ったと思っている?
 再は慌てて、手を振る。上、下、左、右。意味不明のジェスチャーに合わせて、「本当ですよ!」と叫ぶ。
「ファンですから! 僕、周野さんの!」


   「周野才斗⑧」

「大好きなんですよ。僕の作品なんて、とても敵わないと思ってます!」
 天賀は叫ぶように言った。
 聞きながら、才斗は願う。
 ――やめろ。そんなこと、言わないでくれ。
 「鉛筆」が才斗が書くことができない領域の作品であることは、誰よりも才斗自身が知っていた。
 口の中に溜まった唾を呑み込む。できれば、それ以外のものも呑み込めたら良いのだが、と思いながら。沈め。沈んでくれ、腹の底まで。
 才斗は「ありがとうございます。嬉しいです」と頭を下げた。


   「天賀再⑩」

 再の体から力が抜ける。
 オーケー? これで良い感じ? うん、良い感じっぽい。誤解は解けた?
 うん、よくやった自分、と褒めながら、じゃあ、最後良い感じに締めよう、と手汗でちょっとよれてしまった〈未来埠頭〉を持ち上げる。
「今回も、周野さんの作品を楽しみに買いに来たので!」


   「周野才斗⑨」
 
 天賀の言葉を聞いて、腹の底まで沈んだ汚らしい心が、再び喉のあたりまで上ってきた。
 ――落ち着け。
 深呼吸を一回入れて、才斗は「すいません。今回、載ってないんですよ」
 それを聞いて、天賀は「えっ!」と素っ頓狂な声をあげる。それから、邪心など、何も感じられない口調で「そんな……残念です」と続けた。
 場が、気まずい沈黙に包まれる。
 耐えきれなくなったのだろう。天賀が「じゃ、これで……」と鞄に〈未来埠頭〉をしまった。それからペコリと頭を下げて、踵を返す。
 才斗は、胸をなでおろす想いだった。とりあえず、これで、終わった、と。
「ちなみに」
 だが、ここで、才斗の想いに反して、言葉が噴き出た。
「天賀さんは、純文学を……〈文学人〉に載るような作品を……これからどんどん、書いていくつもりですか?」


   「天賀再⑪」
 
 あの、ぐおおおんという音が、止まった。
 同時に、再の思考も。
 迷う。躊躇う。今の周野の言葉に、どう答えたものかと。
 これから〈文学人〉に作品を書くか? 書くことになると思う。松本に言われてるし。
 でも、そういうことを聞きたいんじゃないだろう。周野が言いたいのは……つまり、きっと、お前はまだ、権威のある文芸誌を、純文学の世界を、汚すつもりか、と、そういう質問だ。
 それなら。
「余り、そういうつもりは、ないです……僕には、相応しくないと思うので」


   「周野才斗⑩」

 聞いて、反射的に、才斗の口から、それは飛び出た。
 ここ数週間……いや、間野に〈スカイ・ハイ!〉を読まされたあの日から、お前の作品はまだ読んでないと天賀に言われ、〈スティック・スティック・アウト〉を読んで打ちのめされ、『降格勇者レベル1』を褒められてぬか喜びし、瑠美に「楔」を濁っていると評されショックを受け、〈文学人〉の新人賞に落選して落ち込んで、そういった間、ずっと、ずっと積み重なってきたもの。
 汚らわしい、才斗の、嫉妬心。
 それを、たった一言にまとめて。
 才斗の口から、飛び出た。
「死ねよ」


   「周野才斗⑪」

 そこから先のことは、おぼろ気だった。
 ただ、家に帰って、真っ先にしたことは覚えている。
 《未来埠頭》を……今まで、才斗が書いてきた作品たちを、鋏で切って、ゴミ箱に捨てた。
 鋏は、才斗の文章よりも、よっぽど鋭かった。

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