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付き合うとは結果論に過ぎないのだな。

中学生くらいのときから「付き合うの意味がわからない」と思っていたけど、まさか35歳になるこの歳まで「付き合うの意味がわからない」と思うとは思わなかった。

中学生の頃は仲のいいクラスメイトの男子女子問わずに「付き合うって何?」と聞き回っていた。

今までも付き合っていた人はいたけど、それでもよくわからない。

さすがに結婚とは何かはわかるようにはなったけど(結婚とは契約であると思っているので)、先日も友人との酒の席で「付き合うって契約社員や派遣社員みたいなもの?」と言っていた。

そんなことを言ってる矢先に恋人が出来たのである(笑)。

ここまで読んだ人には、テスト勉強してないとか言ってるのに、高得点取った奴のように見えるかもしれない(笑)。

しかし、いざ恋人が出来たら、35歳になってようやくわかったのだ、“付き合うとは結果論に過ぎない”と。

“付き合う”はそもそも状態を指す。

ごはんに“付き合う”とか、買い物に“付き合う”とか。

だから、その状態が継続的に続く、継続的に行われるための約束に過ぎないんだろうなぁと思ったし、私は今まで「付き合う」というのは、好きのその先の称号だとどこかで思っていて、だから「付き合う」人がいないことは、誰も自分のことを好きじゃないという烙印なんだとどこかで思っていた。

でも、「付き合ってください」と言う告白は称号を求めるためのものではなく、「私達の状態は付き合っているという状態だと思うんですが、違いますかね?」の確認のようなものだと思った。

というか、称号欲しさに関係性を構築もせず告白するのは、なけなしのお金を掛けてギャンブルをするようなものなんだなぁとこの歳になってやっとわかったし、そういうのをどうして教科書に書いてくれないんだと思った。

恋人は、誰から見てもとっても変わった人で、彼と付き合うには、私達には多くの課題があって…彼のことを「好きだ」と思った瞬間に、あれこれ想像して取り越し苦労癖のある私は正直「これは参った」と頭を抱えた。

しかし、どんどん好きな気持ちは高まるし、一緒にいることが自然となっていくし、困ったなぁと結構思っていた。

でも、ふと、「どうせ自分は飽きっぽくて、困難がないと楽しめないところがあるんだから、大変な相手の方が苦労はするけど、退屈しないだろう」と思った。

今まで好きだった人、付き合った人、誰一人、もし今も一緒にいたとしたら…いや、一緒にいなかっただろう、大好きと思っていた人も、いつかは刺激に慣れて、飽きて、一緒にいられなくなっていただろう。

最近はそんなことを思うようになった。

この先色々と大変だろうし、そのうちどこかうんざりしたりすることもあるのかもしれない。どうなるかはわからない。

でも、それを覚悟してるだけ良いのかもしれない。

そして、不思議なことに、これは恋人に伝えたらショックを受けていたけど、彼といてもあんまりドキドキしない。

ドキドキするって、相手といる状態がストレスというか、ハレーションみたいなのを起こしている気がする。

「違和感を感じないという意味だよ」と言ったら、彼は安心していた。

実はだいぶ前から知ってる人なので、「どうして彼と今付き合っているのだろう?」と1日5回くらい思うし、「なんで今まで付き合ってなかったんだろう?」と同じく1日5回くらい思う。

一緒にいると、一緒にいることが普通というか、特に特別なことの気がしないのだけど、でも、そのことが異常なことだと頭のどこかでわかってるような感じだ。

とにかくうまく言えないけど、こんな具合なのだ。

この先のことはよくわからないし、遠くのことに思いを巡らせても仕方ないので、まぁ、毎日出来るだけ楽しく過ごそうと思う。

#日記 #エッセイ #ヒグチトモミ #ヒグチトモミのつれづれ日記 #恋愛

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