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何もしないことをする

 疲労は免疫力を弱める要因の1つだそうで、何事も疲れないように、程々で留めておきたいものです。

 筋力トレーニングも、疲れる限界までやるのは良くなくて、呼吸を止めてしまっていたり、息が切れていたり、怠さが出始めていたらすぐに休息モードに切り替えたいものです(タンパク質多めの食事を意識してみたり、早めにたくさん眠ってみたり)。

 それはわかっているのですが、どうも「休む」ということに抵抗があります。仕事を休む・トレーニングを休む・横になって何もせず身体を休ませる…本当に疲れている時はそうした方が良いことはわかっているけれど、なぜか罪悪感がつきまとい、いつも以上に焦ってしまうように思います。

 休んでいない人に申し訳ないような、やるべきことがいつも以上にあるような。


 意味合いは違うかもしれませんが、大学院生のころ、先生がよく口にしていた「何もしないことをするのは、何かをするより何十倍もエネルギーのいることだ」という言葉をふと思い出しました。

 目の前で困ったり追い詰められている人がいて、思わず手を差し伸べたくなることがあると思います。でも、手を差し伸べることがその人の今後にとって、良い影響を与えない場合もあり、その人のことを思ってあえて何もしないでいる。それがその時はお互い辛いものであったりするので、耐えるのにはかなりのエネルギーを要するという話だったと思います(私の勝手な解釈かもしれません)。

 

 休む時間はもったいないからとにかく動かなくては!一度休んだら次動けなくなりそうで恐い。私の身のまわりではそんな真面目な働きマンさんがほとんどのように思います。

 「休むことをする」のにも意味があって、だらけると言ってしまえば聞こえが悪いけれど、動き続けるために必要な「何もしないことをする」という重要な行為と言えます。

 「身体を壊すまで何かをやり切る姿は美しい」という独特の美学みたいなものをたまに目にすることがありますが、そうあるべきだ!と主張することに対してはうなずけません。

 どうか、疲れてヘトヘトになってしまう前に「もう嫌だあ!」と何もかも投げ出してしまいたくなる前に「休む」という生きるための行為に移ってください。「休んでいいよ」と言われるのを待つ前に、自分をよく見て、自分で休むことを決められるように。
 そして「休む」ことが責められないような、優しい世の中になりますように。




 

 

 

 

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