人からの意見をそんなに気にする必要は無い



どうも ゆうじろうです

今回はわたしの体験談をおりまぜながら、
こんな悩みの人に役立つかなと思い立ったので書き始めました。

職場での自分がどのようにみられているいるか気にしたりしていませんか?


以前、一緒にプロジェクトをしていた後輩からこのような事を相談された事があります。

後輩
「あの~Aさん、わたしの仕事に関して何か言ってませんでしたか?」

Aさんは、私と年の近い先輩エンジニアです。
Aさんは、きびしく根本的な意見をはっきりいうタイプの人で、わたしとは職場に関してはなしあっています。

わたし
「いや、別になんにも言ってなかったよ。なんで?」
後輩
「でもこの前の打合せでいろいろ指摘されたじゃないですか、そのあと話されてたので何かわたしのこと言われたのかなと思いまして」
わたし
「あ~あれぜんぜん違う話だよ。指摘された事いがいは気にしてなかったと思うよ」
後輩 
「ならいんですけど・・・」

かれが自意識過剰でしょうか…?

このとき
「他人がどう考えているのかって気になるんだな」
確かに自分でも他人の目を気にしていた時はあったのでちょっとなつかしくなって
彼に言いました。


「そんな事気に必要ないよ。人はあなたが思ってるほど、あなたの事を考えてないから
「だいたい、人の考えている事とか自分でどうしようもない事考えてる仕方ないよ。疲れるだけから」
と答えました。

今はわたしは、他人からどう思われるかは気にすることはありませんが、
案外こういう感情を抱くことは普通なのかもしれません。

アドラーも「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」と言っていますが
この例も対人関係の悩みだなと思ったので考察をしてみます。

それではこの事例の要因とどう考えればをよかったのか?かいてきます。

◼️人の評価、感情をきにするより、目の前の課題をきにすればいい


その根本は自分の事のが「ダメだと」見られているという劣等感もありますが
それよりも職場で自分が低く評価されていないか?
人からもっと評価されたいという
承認欲求
からくる悩みかもしれません。
マズローの5段階欲求でも上から二つ目にあたる。比較的上位に位置する人の欲求の一つです。

ただアドラーはその承認欲求を否定しています。
他者からの承認を求めてはいけないといっています。

??どういうことか?

別に他人の期待を満たしたところ自分が疲れるだけだですよね。
そんな他人が決める自分の評価というものは
、自分ではどうしようもなく、他人の問題です。
そして、他人からどのように見られているかと?心配するのは自分の問題。
これを「課題の分離」といいます
相手の課題(考え、感情)と自分の課題は別ということです。、

自分で変えることのできない他人のことを気にして、自分がなやんでるって意味が分かりませんしね。

そんなことよりも
前の自分と比較して成長したか、理想の自分に近づいたか?
という考えに集中した方がじぶんの心からおだやかになりますからね。
自分ができる事に集中すれば良いだけです。
そうすれば、
人がどうとか、人にどう思われている
とかはほとんど気になりませんし、必要がありません。

内容は「嫌われる勇気」に書かれている事ですが、わたし自身この本から多くの悩みを解決するヒントを得られました。

名著から得られる事は、沢山あります。
でも、人は状況、伝わり方によって、理解できるタイミングが違います。
たまにはわたしも色々読み返して見ようと思います。

それでは良いI日を!

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