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よだれかけを贈りたい

 とても気になって仕方がないフレーズなのでタイトルが先行しました。

 なぜ気になったのか。実はよくわからない。小川洋子さんのエッセイで見つけたのですが、それはどこかの赤ちゃん洋品店が舞台だったように思う。

 本当の話としては4,5年前に弟夫婦の出産祝いで京都にある洒落た雑貨屋さんで見つけた「よだけかけ」を贈ったおぼえがある。不思議と贈った自分の方も何かのプレゼントをもらったような気がした。

 この「よだれかけを贈りたい」という言葉の中、いや「周辺」にはもっと豊かな何かが潜んでいるように感じる。どこかふくよかな感じ・・・

 自分の子どもが赤ちゃんだった頃のことを時々思い出すことがある。その頃はまだ布オムツがあって、うちでは紙との使い分けをしていた。赤ちゃんんのうんちはキレイなもので自分で手洗いしても苦にならなかった。

 オムツに比べてよだれかけの汚れはカワイイものだ。ただ、いろんな食べ物を口から出すのでよだけかけには多様な色が付着し、白いのは買った時だけなのです。

 うちの子は男の子と女の子だったので、よく保育園でお下がりの服をもらった(何とそのお母さんの娘さんとうちの娘の名前が「ひらがな」だと一緒だった!)。でも、よだれかけは汚れが落ちないから当然、もらえない。
 そう、唯一無二なのです。そのよだれかけはその子の成長そのもの。

 今、どこかの国の、どこかの町の、家庭の食卓でテーブルに固定された小さなイスに乗っかって、赤ちゃんがスプーンを手に離乳食を口に入れようとして、大きく腕を振り上げているかも知れない・・・

 「あっ!」

 よだれかけを贈りたい!

 

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