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 自分のことばを手放さない

 そのイベントの会場はなぜか、表参道だった。

 文芸というジャンル的には四ツ谷、お茶の水あたりかと思ったのですが…(場所とジャンルのイメージってありますよね)。

 建物に入ると、その尖がったお洒落感はまさに表参道的であった。さらに会場は微妙に薄暗くて、何となくアジア・アフリカ風の音楽、止まらない言葉のBGM。もしかして、移民が作り出す、新しいEUのイメージかなと思わせる雰囲気でした(でもプログラムの中にそれを意図した内容があるのかは不明です)。

 それは欧州連合(EU)による文芸交流プログラム「ああいう、交遊、EU文学」の発足イベントです。欧州文学の最新動向や日本語に翻訳されていない本の紹介、さらにロビーで欧州文学作品を刊行している出版社による即売がありました。

 私がこのイベントに参加したのは、ひとえにテーマトーク「AI時代の文芸翻訳」の登壇者が川添愛さんと鴻巣友季子さんだったからです。いま、文芸界隈でもっとも熱く、最近も立て続けに作品を出されている方たちです。

 言語学者としてAIと文学についての著書もある川添さん、そして世界文学や翻訳に関する著書がある鴻巣さんとの対談はまさに今回のテーマにピッタリです(以下、対談内容の正確な紹介ではなく、個人的に興味をもったテーマについての感想になります)。

 まず、司会者の吉田恭子さん(アメリカ文学の翻訳や文芸理論の研究者で京都文学レジデンシーを担っている方)がいきなり、「AIは敵ですか、味方ですか?」と投げかけました。

 これに対して、鴻巣さんは大学での授業経験を例に、学生がこっそり生成AIを使うことがあり、もはや防ぎようがないとしたうえで、むしろ学生にAIを使わせて、その解答を批判させるという方法を取っており、戦略的に味方にしていると話されました。どうやらお二人とも、現在のスタイルのAIであれば、人間に敵対してこないのでは、という感じ。

 そして、文芸翻訳について。AIが行う翻訳は可能な限り最適な訳文を作るのであまりにも模範的で、ありきたりな文章になりがちだということが指摘されました。

 面白かったのは、生成AIが作った訳文は、死んだ言葉だということです。
システム的にAIは膨大なデータを持っているわけですが、それらは皆、かつて人間が使ってきた言葉たちだということです。

 だから、ある人がAIの珍解答に対して、笑ったり馬鹿にしたりすることがあるけど、それは自分が用いた言葉を笑っているのとほぼ同じだというのです。

 だから、すでに死んだ言葉はそのままの形で、バンッと出されても無味乾燥なのです。死んだ言葉は、人の心に届かないでしょう。

 人は、ある言葉に触れた時、あたたかいとか冷たいといった温度や風が吹いているというような感覚を覚えることができます。

 死んだ言葉を生き返らせることができるのが生の人間、作家や翻訳者の仕事だということでしょう。

 これは感情というテーマにつながります。AIは人の感情を読むことができるでしょうか。

 司会者はグーグル検索をすると、ランダムに変換候補が出てきますが、最近は途中で顔文字が出てくることがあると話しました。顔文字は日本オリジナルで言葉を用いずとも気持ちを表現ができる便利ツール(私も多用します…)。

 言葉で「楽しかった」というよりも、!(^^)!を使った方が、堅苦しくないとは思います。でも…

 その度合いとか、どのように楽しかったのかという,”how"の部分が表現できないし、ウラの意味という場合もあります。

 対談はさらに恐ろしい事態を予想します。それは感情表現がAIによって画一化していくのではないかということ。

 「あなたの今の気持ちはこれですか?」みたいな。

 気持ちって一番個人的な部分です。モヤモヤする。すきだけどキライ、とか。

 言葉で説明することが面倒になり、AIが提案する感情表現に任せるような時代に入りつつあるのでしょうか。

 世界には無数の言葉があります。そして、それぞれが文化に根差した多様な表現があり、また個人によって独特の表現があるはずです。

 人生の多くの場面では、意思の伝達はそれほど急ぐ必要はないのでは。
多少の誤解は当たり前。

 ともあれ、自分の言葉を手放さないということが大事かと思います。
それが人として生きるための大前提ではないでしょうか。

 

 

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