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2023.7.1 京都大作戦

ようこんだけ価値観の違うやつ集まったなあ!
この日、一番印象深かった、10-FEETタクマの言葉。

■前説(長い)

3年半ほど前の自画自賛は、今も変わらず続いてる。

京都大作戦への出演情報が解禁になった日、私は新幹線で長野CLUB JUNK BOXに向かっていた。

前回の10-FEETのツアーはチケットが取れなかった。せめて地元だけでもと、当日券に望みを託してみたものの、やはり狭き門。かれこれ1年くらい前の話だが奇しくもキュウソネコカミFADと同日、こちらも同様に玉砕していた。まあ、そんな日もある。なんの予定もなくなり、Zepp Yokohama近くのファミレスで、ひとりポカーンとしていた。

確かに「諦めたら、そこで試合終了」だと思う。にも関わらず、私は割と簡単に諦める。というより、今は運を受け取る時じゃないと思っていて、ある程度は納得している。で、こういう出来事って、のちのち不思議と舞い戻ってくることがある。私の場合、それと同等以上、倍どころの騒ぎではない、何十倍もの以上の威力をもって、跳ね返ってきたりする。

今回の10-FEETのツアーは、前回の教訓を元に、0次先行で申し込んだのが昨年の11月。何ヶ所申し込んだか、もうすでに記憶はないが、行けそうなところは片っ端から申し込んだ。その中で唯一1つだけ当たったのが、長野CLUB JUNK BOXだった。

昨年の11月。なんの変哲もないただの11月が奇跡を起こすのは、今思えば、これだけじゃなかった。それはまたいつか書きます。

公演日のちょうど2週間前の情報解禁に目を疑った。
こんなことってある??????????????

フェスや大作戦等で、10-FEETを観る機会はいくらでもあったのに、なぜか1度も体感したことがなかったCherry blossom🌸Wiennersによるカバーだけでなく、10-FEETとのセッションも披露された贅沢な時間。初めて聴けたのが長野で良かった。これでもか、天井に向かってタオルを投げた。


■京都大作戦2023 DAY1

■クリープハイプ

つい先日、衝撃を受けたばかりのこの曲。可能であれば聴きたいと願っていた。もたもたと移動している真っ只中に、轟音が鳴り響く。リハで聴けた。初めて聴いたときは屋内の会場だったが、今回は完全な野外。であっても、この曲の破壊力はえげつなかった。

昨年、急遽代打を引き受けた四星球が、この曲を流しながら源氏ノ舞台から去って行ったことを思い出した。なんて粋なことをするんだろうと感動した。

本編途中、尾崎さんが曲の出だしを間違えた。

全面的に自分の責任です。そういえば、昨年出演できなかったことの謝罪すらしてなかった。申し訳ありません。でもそれに気づけたんだから、こういうミスも悪くないですね。

(尾崎さんMCニュアンス)

なめらかな口調で独自の解釈を展開する。そこになんの違和感も感じないし、おっしゃる通りと思わせてくれる、あの穏やかな説得力はどこからくるんだろう。

更に、こういう辛気臭いバンドを呼んでくれて…と、出演の喜びにもキレのあるスパイスを混ぜ込む。確かにこの日の出演者を並べたら異色なのかもしれないが、あの繊細でありつつも、どこか攻撃的な爆音は、中毒性の高さそのもの。同色とか異色とか、そういう次元じゃないんだろな。

これはあくまでも個人的な印象で、多方面から怒られる覚悟だが、尾崎さんをまじまじと見ていると、ときどき、宮本が憑依したかのような表情に見えることがある。この日もそうだった。お二人を並べたら、全然違うんだけどね、なんだろね、ゾクっとする。うん、全然違うよね、でもそう見えるんだよ。ほんの一瞬の出来事なんだけどさ。

■ヤバイTシャツ屋さん

僕たちヤバイTシャツ屋さんは、今回代打で出演しています。出演者の中で唯一、物販のTシャツに名前がありません。僕たちはThe Birthdayにはなれないし、他に出演を予想された、あんなバンドやこんなバンドにもなれない。でも、どうすれば京都大作戦を盛り上げられるかは知っています。

(こやまさんMCニュアンス)

このMCに至った、ことの顛末は割愛したい。MCに続いて披露されたのは「ヤバみ」。いつまで経っても大好きすぎる曲のひとつだが、この曲で涙腺がぶっ壊れ、感情を揺さぶられる日がくるとは思わなかった。元々の曲のアグレッシブさに、こやまさんの言葉が加わり、今まで経験したことがないくらい混乱した。泣くような曲じゃないのかもしれない。でも、どうにもならなかった。

彼らがどれだけ傷つき、追い詰められていたかなんて我々にはとても計り知れない。丘の上から源氏ノ舞台を眺めていた夫が話してた。あんなに巨大なサークルが至るところで発生するヤバTは圧巻だったと。こやまさんの言葉通り、ヤバイTシャツ屋さんは「どうすれば京都大作戦を盛り上げられるか」をちゃんと知っていた。有言実行、そのもの。

母は泣いた。

■Wienners

観たいと思うバンドが牛若ノ舞台に初出演する。こんな機会、そう出くわすものでもない。少し時間が経った今も、終演後のこの言葉に尽きる。

Wiennersはコロナ禍の真っ只中で好きになった希少なバンドだ。動画を観ながら、いつかこんな日がくるのかな、きっと遠目から眺めているんだろうなと思っていた。屈強なラガーマンのようなセキュリティの皆さんが、ずらりと自分の目の前に現れるまでは。

SEと共に登場したメンバー。玉屋さんはひとりステージを降り、土の中に埋まる芝生をむしり、そのまま自分の両頬になすりつけた。どうよ?これでお前らと一緒よ?言葉なんて必要ない。表情がそう語ってた。

泥だらけの靴が後頭部を強打し、間髪入れずに左頬を蹴とばす。口の中に泥が入る。頭上に落ちてきた巨体に首はひしゃげて、つかんでた柵に顔面をぶつけた。このままではメガネが割れる。

これが京都大作戦。これぞ京都大作戦。何も見えなくなってもいい。メガネはポケットにしまった。

ざっと書き出してみても、視聴環境としては劣悪なんだろう。でも痛さとか辛さとか、どこへいったんだか、狂ったアドレナリンが私を支配し、猛烈に楽しくて仕方なかった。どうにも踏ん張れずよろけた瞬間、隣にいた若いお兄さんがひっぱりあげてくれた。ありがとう。君の顔は忘れちゃったけど、このご恩は一生忘れない。もし誰かがぶっ倒れそうになったら、私も同じことをしたい。

遠目で眺めるはずが、まんまと渦中に飲み込まれた。たかが外れ、狂い咲いた場所が、京都大作戦で良かった。牛若ノ舞台のWiennersで良かった。響く都から狂う都へ。この環境が整ったからこそ、コロナ禍で芽生えた私の理性という高い壁は崩壊した。

■バックドロップシンデレラ

10-FEETはね、とっても大きかったよ。

Wienners同様、コリンズツアーで対バンし、牛若ノ舞台初登場となるバックドロップシンデレラ。あゆみさんは少年のような語り口調でこう言った。おっきいんだろうな。それは存在であったり、懐であったり、いろんな解釈ができた。集まった泥だらけのオーディエンスを見て、ゆっくり落として!と自ら泥水の中に落ち、ステージ衣装を泥だらけにする。Wiennersの玉屋さんといい、オーディエンスとの気持ちの並べ方、その無垢さにリハから心を奪われた。

タクマくん、タクマくん、ちょっと来て。

あゆみさんの言葉に耳を疑った。
タクマ、、、くん??????

以前にも少し書いたけれど、名前の呼び方には距離感が宿ると思っている。この短期間に、そんなに近く、そんなに打ち解けた存在になったんだ。あゆみさんは続ける。

これから出番やから、無理なお願いはできないけどほんとはタクマくんにお客さんの上にダイブしてほしいんよ。でも無理だって分かってるからお願いはできないな。

あゆみさんMC(ニュアンス)

???????????????????

信じられない言葉が続く。

俺も最初からそのつもりで、靴ぬいできたけど??

???????????????????
は??タクマなに言ってんの??????

タクマが飛んだ・・・クララが立った・・・
もうなにがなんだか意味が分からない・・・

ダイバー戻りの入口付近にいた私の横を、何度も通り過ぎる友人とハイタッチした。月あかりウンザで、近くにいる人たちと肩を組みたいと話していた夫は、大きなサークルの中に飛び込んでいった。ひとしきり宴が終わり、合流した夫は、目を真っ赤にして泣いていた。すごいものを観たって。

バックドロップシンデレラで彼の涙を見るのは、これが2回目。1回目は2019年12月@柏パルーザ、キュウソネコカミ対バンのとき。感情と共に体感したことは月日が経っても鮮明に思い浮かぶもの。こうしてまた一緒に体感できて嬉しかった。

■10-FEET

感激の極みで放心状態の夫は、泥んこのまま桜井食堂へ向かい、チキンカレーとハイネケンを注文した。食堂のお兄さんから「飛んだんですか?」と聞かれ、ダイバーを支えました!と答えると、それはそれは~!では、敢闘賞の美酒です!と提供して頂いたようだ。気持ちのいいご配慮に美食が際立つ。

少し休みたいという夫にレジャーシートを渡し、私は田んぼ状態の源氏ノ舞台へ向かった。いよいよ大トリ10-FEET。

ヒトリセカイ始まり!なんて驚いてる暇もなく1sec.になだれ込み、この日の私の理性はこれにて終了した。聴きたくて聴きたくて仕方がなかった曲。今までずっと聴くに徹してたけれど、一番近くにできたサークルに混ざって、グルグルと走り回った。楽しい。楽し過ぎる。足が遅いことは自分でも分かってる。一番のんびり走れる外周を選ぶと、マラソン大会の沿道さながらの応援のようなハイタッチが待ち構えている。老若男女、誰だか存じ上げない皆さんが、次々と手を上げてくれている。なかにはお母さんに抱っこされた小さなお友達まで。

私がひとしきり泥まみれになっている一方、夫はハイネケンの心地よい酔いに身を任せ、ふと我に返ると「蜃気楼」が聴こえてきたとか。それもまた大正解。


タイムテーブルがかぶった??お客さんは困ったんじゃないかって??知ったこっちゃねえよ。お前らサラリーマンか!って。始発の電車に乗って、何時にあっち行って、何時にこっち行って。音楽なんだしね、美術館と一緒だよ。期待もしてなかった良い絵に出会えるかもしれない。原っぱでビール飲んで寝てたら、あっちこっちから音楽が聞こえてきて。ああ、いいなぁと思って。

「なんか、幸せだったな」って。
これが、俺にとってのフェスティバルだよ。

BS-TBS「X年後の関係者たち」日高さんの言葉(抜粋)

英国グラストンベリー・フェスティバルに憧れて、日本に野外フェスの概念を根付かせてくれたフジロックフェスティバル。今ですら、全国各地で当たり前のように開催されるフェスは、日高さん独自の構想と行動力が発端だった。ルールと言われるとぶっ壊したくなる。秩序とは。共生とは。我々が大切にするべきものは何か。改めて認識する番組だった。

これが私の「なんか、幸せだったな」
あれから5年。

好きが高じると、そこに執着するがあまり、根本的な楽しみ方を忘れてしまうことがある。そもそも自分は何を目的としているのか。近くで観るため?好きな曲を聴くため?この場所自体を楽しむため?各々に託された思いやりによって成り立っていたはずの秩序が、いつの間にかルール化している現状にも違和感がある。もっとおおらかで、豊かなものではなかった?

私にとっての「楽しむ」こととは、状況に身を委ね、自分の感性を信じて、あるがままに吸収することだったはず。コロナ禍を経て、次々と大切なものを失うことに耐え切れず、がむしゃらになっていた。いろんな状況が元に戻りつつある今、自分自身も本来の姿に戻れたら。京都大作戦の洗礼を受け、時近くして日高さんの言葉を受け、もっといえば、宮崎駿監督の最新作を受け。まあ、そんなに大袈裟な話でもないけれど、これからを考えた。ゆっくりと地球儀を回すように。

雨を受け歌い出す 人目も構わず
この道が続くのは 続けと願ったから
また出会う夢を見る いつまでも
一欠片握り込んだ 秘密を忘れぬように
最後まで思い馳せる 地球儀を回すように

地球儀/米津玄師

なぜこの曲が、不意に、予想以上に、自分の中に入ってきたのか、具体的に分析したわけではない。足りていなかった何かを、無意識に潤したのかもしれない。そう考えると、なんとなく腑に落ちる。

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