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〘 古屋兎丸展「 SCHWEIGEN -沈黙- 」/「 白昼夢 -WACHTRAUM- 」 〙∕ 2023.09.02 銀座ヴァニラ画廊にて

まず、本当に素敵でした。言葉を失うほどに良かった。それに尽きる。
これは"本当に素敵でした"を展開した、成分表示のnoteです。


 ビルの地下にある画廊へ赴くのは初めてで、本当にここであっているのかしら……と恐る恐る歩を進めた。ビニールシートが敷かれた廊下の先に、年季を感じる階段と、2枚のポスター。
 鮮烈な黒には「 SCHWEIGEN -沈黙- 」、朧げな白には「 白昼夢 -WACHTRAUM- 」の文字。
 色と言葉の生すコントラストに目を奪われて、立ち尽くしてしまった。この先に展覧会が開かれている、まさにその場所に辿り着いた、それだけで幸福でしようがない。


この、ポスターの絵から、本当に素敵だったのだけれど……。
それについては、図録の感想に限定したnoteと共に、後日綴ろうと思います。


 高さのある階段をカツカツ降りた先、踊り場には、展覧会から洩れる光と靴音、先程より数回り大きなポスター。面積を増やしたそれは纏う空気の質量も増したように思えて、歩みをも奪われる。
 逃がすように視線を下にやれば、階段の終わりには入場用のレジと3つの部屋があった。左奥のA室は「 SCHWEIGEN -沈黙- 」の空間に、階段下右手のB室は「 白昼夢 -WACHTRAUM- 」の空間になっており、B室の隣には作品やグッズを販売するショップが。
 どう回っても良いらしく、A室→B室→ショップの順で回ることに。この順に回れてよかった〜と思っているけれど、きっとどの順でも味が違って、この順でよかった〜と思うのだろうな。

 ポスターに意識をさらわれつつ階下へ向かっていく最中、A室への列が2本伸びていることに気づく。何だろうと思っていれば、一方はA室へ続く列、もう一方はサイン待ち列らしい。実は在廊してらっしゃることをこの時まで存じていなくって、もうどうしていいかわからなくて、途方に暮れた。どうしよう、どうしよう、と思っているうちにも、階下、そしてA室がみるみる近づいてきて、微かに先生のお声が耳に入って、熱涙が浮かんだ。睫毛が濡れてしつこく重なるのを、何度も瞬きして誤魔化しながら、とにかく展覧会を楽しもうと思って、視界を狭めていた。

 確か、入場料を支払い終えたのが、15時半前だったと思う。この時はまだ空間にも空気にも余裕があり、空気中の熱はほぼ自然由来の熱であって、人の発する熱は薄かった。
 こう書くと少し語弊があるけれど、情熱の問題ではなく、密度的な問題で。
 A室に続く列へ並んだ直後、15時半を過ぎたあたりから、人口密度と人の発する熱は到着時の3倍ほどになっていた。一切の誇張無く、3倍。当日入場での最終日、最後の時間であったから、"どうにか行っておきたい"の集合体だったのだろうな。かくいう私もそうだったので、勝手に微笑ましく思って、愛おしささえ覚えた。


 じわじわゆるゆる列は進んでゆき、A室、「 SCHWEIGEN -沈黙- 」の空間が広がる。
 真黒な額縁の整列に圧迫感を覚える。"ライチ光クラブ"のカラー原画が、壁一面に敷き詰められていた。
 部屋の中央には芸術的なソファ、テーブルにはチェス盤と少年らのカード、天から垂れ落ちるは重い真紅。誰も座らぬ椅子の空白にある虚しさ、チェス盤に駒のように置かれた無機物的な少年たち、その総てを遮るように揺れる真紅は、血や薔薇を想起させた。目に入った途端に、くらりと目眩がするほどの赤。妙な高揚感に苛まれて、心臓から直接溢れるような汗が流れる。
 今思えば、赤色とは高揚の色であるし、A室でずっと感じていた妙な熱っぽさは、この赤のせいもあったのかもしれない。


 空間すべてという概念、展覧会でしか味わえないから大好き。電灯や壁の色、流れている音楽、額縁の種類や敷き詰めかた、装飾のディスプレイ……。

 そういえば、あの場に流れていた緻密で緩やかな音楽。浅学ゆえ曲名がわからなかったのだけれど、なんという曲なんだろう……。現実と夢の狭間で、現実へ繋ぎ止めるように、あるいは夢へ誘い込むように、脳を撫でたあの曲。いつかまた聴けたらいいなと思う。


 真紅を感じながら、カラー原画に観入る。台詞の表記がなくとも、その唇の動きや仕草からは、たしかに言葉が聴こえてきた。
 薄い血脈の感じられる粘膜、固く鋭利な眼差し、規則的・軍隊的で機敏な仕草。あの僅かな年頃にしかない、柔く脆い全能感、傲慢な力強さが威圧的に放たれる。刹那性とせめぎ合う永遠性。色づいた彼らからは、生々しい感情が香り立つ。と同時に、機械である"ライチ"の無機物さが強く際立つ。あの僅かな年頃にしかない、少年性のすべてが余すことなく散りばめられている。
 頑なに信じ固執する思想、その思想にかかる陰りとの向き合いかた。徐々に、各々の鋭さの種類は変わってゆく。守りたいもの、信ずるものを違えていく。帝王一点に注がれていた視線が揺らぎ、規則性は乱れ、着実に終わりの音が聴こえてくる。静寂の音が、耳鳴りがする。刹那性が永遠性を押し退けはじめる。色濃い破滅の存在が、ひそやかに、しっとりとまとわりつく。
 その終わりの始まり、"ダフの処刑"の完了で、カラー原画は幕を閉じる。永遠性にヒビが入り、わずかに欠けた状態での幕引き。死と、渦巻きはじめた疑念による沈黙が遺る。始まりの静寂。嵐の前や、災害の後の、不穏を連れてくる冷えた静寂。

 観終えたとき、脳細胞は冷や汗をかいて脈打ち、目の奥は棘でも刺さったみたいにぢくぢく痛んでいた。血管に直接流し込まれるような、脳の真ん中に硬く打ち込まれるような、肺にボタボタと垂れ落ちるような、熱くて痛い肉塊でできた生命たちの鮮烈。あんまりにも美しく、耐えられないほど。
 成長過程にある体の繊細で攻撃的な輪郭、たおやかに扱われるすらりと細長な指、血管のようなライチの繊維、翻る繊細な睫毛、その隙間から覗く思惑の宿る瞳、感情の香る紅潮や青ざめ、若い毛の柔らかく豊かな流れ、人体にしては完璧すぎる芸術的な程度のみの脂肪、骨の溝の凹凸、服の皺や質感の違い、何もかもすごく美しくて……。美しい以外に言い表しようがない。
 この世のものとは思えないほど洗練された線はしかし、少年らをこの世のものとして象っている。生命の輪郭として、額縁のごとき最上の外辺として引いてある。理解ができない……。


 黒を詰められて重くなった頭を揺らし、熱を溜め込んだ肺に息苦しさを感じながら、A室を出てB室へ。


 「 白昼夢 -WACHTRAUM- 」には、先ほどとは一転、真白な空間が広がる。開放感。スっと空気が喉を通って、意識が清明になり、体が軽くなるような気がした。

 先程までの、機械的な鋭さや重く伸し掛る熱はなくなり、柔らかく夢見心地な無重力で満ちる。哀れなまでに儚く優しい輪郭と、年相応に明るく穏やかな目元、閑やかながらもどこか神聖な空気感。
 息は休まるけれど、ずっといたら脳がだめにされてしまいそうだった。

 壁も絵も額装マットも白色をしているのに額縁だけは黒色で、「これらはあくまで白昼夢でしかないのだ」と知らしめる、沈黙色をした現実の線引きに、哀しくなった。でもしようがない、だって本当に、夢でしかないのだろうから。先ほどまで観ていた非現実的な悪夢こそが、あの場に満ちた重く熱い情念こそが、彼らの真の現実であるはずだから。
 沈黙に縁取られた夢の中で、少年少女は柔和な輪郭で息をする。ぼくだけの、ぼくときみだけの世界。内側に居るうちはきっと、外側には気づかないで居られる。夢の中では現実から逃れられる。望んだ安寧だけに浸っていられる。あんまりに切なくて、心臓がちいさくなる心地だった。

 静謐な幻影。居心地の良すぎる温もり。哀れなまでに清らかな、切実な願いから生み出された夢。有り得たはずの未来なのか、あるいは、有り得ないと悟りながら、それでも耽りたかった望みか。あるいは、有り得ないとわかりきっているけれど。彼らの今なのか。

 彼らの最期は若くの死だった。それは愛憎の末に刻まれた虚しい結末ながら、一部には強く欲される理想的な永遠性である。
 死することで永遠の少年になった彼らは、もしかすると、永遠に白昼夢の中に居られるのかもしれないなと思った。ただの願いだ。少しでも安らかであってくれという、押し付けがましい願い。

 ひとつひとつの感想は、図録をもっともっと、何度も観返してから、またまとめたいと思う。数度観たのだけれど、そのたび新たに視える点があって、ここも良い!ここも素敵!とひとりで悲鳴を上げている。幸せだ……。


 ふわふわと夢見心地に包まれたままB室を出てショップへ向かい、図録1冊とトレカ3点を購入。

 スカーフは迷いに迷って保留にした。今は事後通販と向き合ってまた迷っている。スカーフ、赤と黒のバランスや散らされたモチーフがものすごく可愛くって、メロメロになってしまう。使いこなせる気はしないけれど、やっぱり手元には欲しくて困る。
 香水と一部のアクスタ、雷蔵の花咲く乙女セットは売り切れていた気がする。この辺りから緊張で少し記憶がぼやけているので、あまり自信はない。
 香水の販売は終了していたものの、テスターはまだあって、香りを聞くことができた。
 ゼラは摂取する度に神経に潜り込んで溺れさせる、幸福な恐怖の香り。重厚な冷徹の奥で虎視眈々と見つめる、機械的でありつつも妙に獣じみている本能の鋭利。
 タミヤは清廉潔白な好青年と、夏色の風の香り。凛と勇ましい信念の漂う、自然な清潔。深く息ができるような安心感。
 ジャイボは脳髄に撓垂れ掛かる、背徳的な婀娜の香り。これ以上触れているとだめになる、と反射的に危険視してしまうほど、濃密に絡みつく妖しい甘さ。一番印象に残っている。
 すっかり香水欲しい!になってしまった。触れるとぜんぶ欲しくなる。オタクってこれだから困る。

 物欲に塗れつつ支払いを済ませて購入品を受け取ると、渡してくださった方から、「カード以外であれば先生にサインをいただけます」とのお言葉。図録を取り出して、カチカチになりながらサイン列に並んだ。

 たくさんの人の熱とささめきで溢れる中、緊張で酸欠のようになり、空気みたいに薄くて弱い声でお話ししてしまったのだけれど、優しく柔らかく会話してくださって、崩れ落ちそうな心地だった。古屋先生の雰囲気、確かにあの作品たちを綴られた人だ……という感じがある。一個人の、非常に勝手な感想だけれど。
 先生の仕草の優美さ、声音の落ち着いた柔らかさは、作品中のたおやかな仕草だとか、視線や輪郭の柔らかさだとか、そういった点に通じているように思えてしまう。総ての感動で涙しそうになっていた。
 力強く握ってくださった手のひらのぬくもりを、きっと忘れられないだろうし、思い返すたびに熱涙が込み上げるだろうなと思う。
 素敵な展覧会に行けて、本当に幸せでした。


さて、以下は余談ですが。

駅でロッカーを探すも、キャリーケースを預けられる大きさのものは軒並み使用中で、申し訳ないと思いつつ持っていくことにしたんです。理由を同じくかそうでないかは不明だけれど、大きな荷物を懸命に引き摺って個展を巡る人、申し訳なさげに荷物に引っ付いてちっちゃくなりながら帰ってゆく人、多くいらして。少し微笑ましく、なにだか心強い気持ちになりました。

あの日、あの熱の中、茹だる蜃気楼の狭間、地下の群衆の一部となって観た、曖昧な白昼夢と脳に遺る沈黙。確かにそこに在ったぼくらの光を、共に浴びていた人たちのこと、ちょっぴり思い馳せてしまったりします。ぜんぶひっくるめて、本当に素敵な空間だった。

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