明日死んだらこれが俺の一生

人気のないこの場所は無駄に夜空が綺麗だ。人が少ない暗闇こそ星は輝く。まるで、人類に見せるための星ではないと言っているようだ。確かに、他人に見られるために輝こうとすることと、ただ一生懸命命を燃やしてるから輝いているでは、輝きが違うのかもしれない。生きてるのか死んでるのか分からなくて意識が飛びそうになった。


内示を言われたのは当たり前に突然だった。店の倉庫で店長にさらっと言われた。2週間後には今この街から離れた小さなお店で働いている。本部行きの切符を掴むべく、受けた試験は面接であっさり落とされ、落とされてからすぐに異動が決まった。

前のお店は社員11人、パート、アルバイト70人くらいに対して、このお店は社員5人、パートアルバイトは20人だ。4月にチーフに昇格できたので、3番目に偉い立場になってしまった。半年前まで11人のうちの1人の一般社員だった僕がだ。それはそれは重圧だった。パートさんは何かあれば「火花チーフ」と呼んでくる。期待とその後に潜むがっかりが僕を苦しめる。成長スピードを上げなければならない。


そんな慣れない日々をもがき苦しむ中で、救いとなったのがNetflixオリジナルの星野源と若林正恭のトーク番組、LIGHTHOUSEだった。2人が半年間にかけ互いに悩みを語り合い、一行日記を披露し合い、街の声にも耳を傾ける。まさに火花そのもののような番組だった。
若林正恭の言葉の中に「若くて未来があっていいね」という言葉に対して「いや、明日死んだらこれが俺の一生なんだからな」という言葉があった。若き日の苦しい日々だからこそ出た言葉なのだろうけど、すごく響いた。単純計算、過去生まれてから今が僕たちの一生にすぎない。そのことを強く感じた。

最終回で2人の未来の自分を想像した一行日記が披露され、星野源は120歳の自分の日記に「まだまだ俺はこんなもんじゃない」と書いていた。彼らの結論は未来でもずっと悩んでいるというものだ。つまり悩みを幸せに昇華させるのではなく、with悩みを腹に決め、悩みから幸せを抽出していこうということなのだと勝手に理解した。少なくとも2人の顔は初回と最終回でまるで違かった。何より感じたのが若林正恭と星野源という別のピースがピッタリとハマっていて、それはまるで鍵と鍵穴のように失くすことのできない関係だった。

これから死ぬまで悩み生きていくのだろうと思う。それでも、ともに人々と悩みながら生きていきたい。そしてその悩みの中から幸せを抽出していきたい。明日死んだらこれが俺の一生なのだから。

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