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2年ぶりにマスターに会ってきた

オーストラリアから帰ってきて、日本での生活を楽しみまくっているtoiです。

先日まで関東に遊びに行ってて、その際日本にいた頃通い詰めていたとある喫茶店に行き、2年ぶりにマスターに会ってきた。

この喫茶店とマスターとの出会いについては以前記事にしているのでよかったらぜひ。


2年ぶりとはいえ、前回行った際も同じく2年ぶりでたった1回のみ。

流石にもう忘れられてるか…?と思ったけど、それでもやっぱりマスターが淹れるあのガツンとくる苦みのあるコーヒーが飲みたいんだ…!という気持ちでお店へ。

お店の扉を開けると、ちょうど奥の部屋からマスターが出てきて私の顔を見た瞬間に一言。

「お、帰ってきたか」

マスターの記憶力、相変わらず恐るべし。
と同時に、当たり前のように覚えてて下さってたのはやはり嬉しい。

いつものようにカウンター席に座り、いつもと同じコーヒーを頼む。
この席からマスターがコーヒーを淹れるところを見るのが格別に大好きな時間。

私がオーストラリアに行ったことももちろん覚えてていて、「あれから何年になる?1年?2年?」と言って普通にお話ししてくださる。

マスターのお店には毎日数え切れないほどの常連さんがやってきて、マスターとお喋りするのを楽しみにしているお客さんが本当に多い。
お客さんとの会話の内容だけでなく、常連さんがいつもどんなコーヒーを飲むのか、どんなコーヒー豆をどれだけ買いに来るのか、そういうことまでマスターはしっかり覚えている。当たり前だと思われるかもしれないが、私からしたらやはり物凄い人だなと。


そんな中で私のことも、私が何をしにどこへ行ったのかも覚えていて、まるで昨日もお店に来てお話をしたかのような空気感で会話が始まるのが私にとっては本当に心地がいい。

2年の間に積もった私の話を相変わらず優しい表情で聞いてくれるマスター。
静かに、うんうんと嬉しそうに聞いてくれる。

だけど、いくら私や常連さんとの会話が続いていても、来店・退店するお客さんに対しては手を止め、会話をやめ、しっかりお辞儀をしながら「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と丁寧に挨拶をする。
コーヒーやケーキを提供するときも同じ。
どんな些細な挨拶や声掛けも怠らず、いつだって誰に対しても丁寧に対応する。

その所作が、心が、美しくてかっこいいのだ。

前回行った時はコロナ禍だったこともあり、お客さんの数が少ないように見えたけど、今ではもうすっかり元通りで私がいる間に何組もお客さんが来店した。

かなり忙しそうに見えたけど、相変わらずコーヒーを淹れる所作も、お客さんへの接し方も、常連さんとの会話も、全てにおいて一つ一つをしっかり大切に、真心込めている姿をみて、痺れるほど魅せられた。

いつ来てもマスターの所作が、心意気が、お店の雰囲気が、全てがいい意味で何も変わらないのを目の当たりにすると実家のような安心感を覚えてしまう。


マスターに初めて会ったのは7年前、私がまだ大学生の時。

そこからは就活で苦しんでいた時、大学を卒業する時、社会人になった時、会社のことでストレスを抱えていた時、退社して地元に帰る時、そしてオーストラリアに向けて旅立つ時…

私の人生における節目の時や何か行き詰まった時は必ずと言っていいほどマスターのところに行ってコーヒーを飲んで、ただのんびりとマスターをお話しをすることで気持ちを整理して心をリフレッシュさせていた。

いくつになっても、どれほど環境が変わろうとも、出会った時と同じ温度感で接してくださるマスターには感謝しかないし、その変わらなさが私にとっては居心地がいいのだ。

多くを語るわけではないけど、私の人生や生き方、考え方を面白がってくれて、静かに見守ってくれる。

父のような安心感と心地よさ、でも相手に深入りせずにちょうどいい距離感を保つこの絶妙な関係性が私は大好きだ。

日々変化が目まぐるしいこの世の中で、変わらないことがこんなにも心地いいのかと、お店に行きマスターとお話しするたびに思える。

私はやっぱりいつまで経ってもこの喫茶店の雰囲気が好きだし、マスターが作り出す静かで穏やかで温もりのあるあの空気感が大好きだ。

私の人生にそんなふうに思える場所や人とのつながりがあるのはかけがえのない財産。

また少し間を空けて、また少し成長した姿でまたマスターに会いに行こう。

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