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会話を科学する


ふだん何気なく交わしている会話には、
驚きの能力が内包されていたようです。
興味をそそるデータ結果もありました。


   『 会話の科学
    あなたはなぜ
      「え?」と言ってしまうのか』
           ニック・エンフィールド 著
    夏目大 訳
    文藝春秋



「会話を成立させる能力こそが、
言語を真に理解する手がかりとなる」と、
会話を言語学研究の主軸においた著者による「会話」 の解析本です。


✴︎   ✴︎   ✴︎


人は話をしようと思ってから実際に話し始めるまでには、通常0.5秒以上かかります。
ところが実際の会話では、ほとんどの人が、相手が話し終わってから平均で0.2秒ほどの時間で話し始めている。
相手が話し終えるよりもかなり前のタイミングから準備に入らないと、無理なことです。


聴き手は、話し手がいつ話し終えるかを、前もってかなり正確に予測できます。
なぜそれができるかは、まだはっきりしていませんが、なんらかの方法で事前に察知し、まだ相手の話が続いているあいだに、話を始める準備を整えるのです。


著者を含めた研究チームのメンバーは、言語による会話のテンポの違いを体系的に調べるために、世界各地へと赴き、会話を録音・録画して、一言一句すべてを文字に書き起こすという、とんでもなく骨が折れる作業を、何年もの時間をかけておこないました。


世界各地を旅する人なら、会話のテンポは地域によって違うことに気づいているかもしれません。
たとえば、スカンジナビア半島の自然豊かな地域で暮らす人たちの話すテンポはすこし遅い…なんてことを。


会話の際の応答のタイミングを比較したうちの、10言語の計測結果があります。
イェレ語 (パプアニューギニアの言語)、
ツェルタル語 (メキシコ高地の言語)、
アクホエ・ハイロム語 (ナミビアの言語)、
ラオ語 (ラオスの言語)、韓国語、日本語、
イタリア語、デンマーク語、オランダ語、
英語です。


質問の終わりから応答の始まりまでに
かかった時間ですが、
全言語の平均値は0.207秒。
英語話者は0.236秒で、平均値に近い。
イタリア語は0.309秒、韓国語は0.182秒、最も応答が遅かったのはデンマーク語で
0.468秒です。
北欧の人は他の地域の人よりも会話での反応が遅いという通説に当てはまりそうな結果ですが、ここで注意すべきなのは差異の大きさ。
デンマーク人の応答が遅いといっても、英語話者の平均との差は、4分の1秒もありません。応答は速いのです。
ということは、この程度の差異でも察知するほど、人間は応答の遅れに敏感だということです。


応答までの時間がもっとも短かったのは
日本語で、なんと0.007秒!
世界標準よりも5分の1秒も速い。


この研究の結果から、「ちょうどいい」 と感じる応答時間は、文化圏、言語圏によって、少しずつ違うことがわかります。


そうなると、暫定とはいえ世界最速で応答する日本人は、海外の方なら誰とでも、会話する際にじりじりした気持ちになってしまうのでしょうか。
もしもそれが交渉の場なら、焦って気を揉んだりイライラして冷静さを欠いたりと、分が悪い状況に陥りそうです。


ただし、この研究での対象は、「互いのことをよく知っている家族や近隣の人同士の会話だけ」 に絞られています。
興味深い結果が、もうひとつあります。


YesかNoで答えられる質問への応答で、
質問に対して答えているものと、答えていないもの ( たとえば 「わからない」「お父さんに聞いてみれば」 といったもの ) に分けて分析してみたところ、どの言語でも、質問に答えている応答のほうが、早いタイミングから始まることがわかりました。
そのグラフです。
〔※あまりにおもしろかったので載せてみました。本のたわみがあります。ご了承ください。グレーの色がわかりにくいですが、それぞれ下の線が質問に答えている応答です。〕

   「第四章 その一秒間が重要」より


まだ相手が言い終わらないうちに答えだしてしまうこの前のめり感は、どうやら日本人特有のもののようです。
けれど、もしもこの会話が、
 ねえ、今度の休みに旅行に行か…
           行く!行きたい!
みたいにポジティブな意思の表明だったら、フライングもまた、ときとして楽しいものになるかもしれません。


さて、じつはここからが本題です。
会話という行為を私たちは自然に身につけていますが、それを可能にしているのは、人間が持っている高度な認知能力と、それらを迅速に処理できる能力のおかげです。


まず、言語の表面的な意味の背後にある相手の意思を推測できなくてはなりません。


言葉と言葉とのあいだに関連性を見出す能力も必要です。
たとえば、
A:Do you want some coffee?
  コーヒー飲む?
B:Coffee would keep me awake.
  コーヒー飲むと目が覚めるよね。
このBの言葉が No として機能するのは、Aがこの応答を、直前の言葉に関連するはずだと考え、言外の意味を推論できるからこそです。

それから、話し手には聴き手の行動が不可欠です。
傾聴という言葉もありますが、じっくり話を聴いてほしいときに聴き手の注意がそれると、話し手の語りの流暢さや質は低下します。
話の内容に合わせて聴き手が表情を変え、うなづき、「ん? 誰が?」 などといった問題発生の通知を必要なときにだす。
そうしたことが、話し手の言語運用に大きな影響を与えます。


会話は、チェスや将棋などと同じように、人間の行動の連続から成り立っています。
人がなにか行動するたびに、それに対する応答の条件が設定され、次に行動する人はその条件の下で動くことになる。
順当に進むこともあれば、「ほう、そうきましたか」 ということもある。
つまり、すべての行動は、他人の偶発的な直前の行動に「随伴する」のです。
しかし、ただ相手の偶発的行動に反応しあっているだけではありません。


レストランなどで、耳にする会話です。
A:クレジット・カードは使えますか?
B:アメリカン・エキスプレスが使えます。
形式上は Yes か Noで答える質問ですが、レストランの担当者Bは、Aの行動から真意、目的を推測し、相手に進んで協力して、効果的で親切な応答をしています。
他人に進んで協力するのは、人間に「他者指向」の本能があるためだと考えられていて、この本能は人間特有のものだそうです。


会話は、参加者全員の協力によって成り立つものであり、参加者の共同行動です。
社会的動物には、仲間同士の連携を強めるための行動がありますが、人間にとってそれは言葉による会話です。
そして、それが機能するのは、人間が社会文化的な認知能力にすぐれ、互いに協力し合う特有の姿勢をもっているからこそでした。



おわりに、いま読んでいる本に引用されていた納得の、いい言葉を。

孤独は確かにすばらしいものだが、話しかけると答えてくれる誰かがいるのは楽しいものだ。ときおり「孤独はすばらしい」と語りかけることができるから。

   ジャン=ルイ・ゲ・ド・バルザック
      『引退について』(1657年)

『ハナバチがつくった美味しい食卓』第3章より

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。


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あなたとあなたの大切な人との語らいが、
これからも
かけがえのない豊かなものでありますように

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