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あえて治さないという選択。

作家の佐藤愛子さんが整体指導者の臼井栄子先生を

ご自身の人生の師として紹介されている。

臼井先生は野口晴哉先生が整体指導者に段位制を導入された際に

唯一九段位を与えられた整体指導者。

その臼井先生に長らく整体指導を受けていた方が

臼井先生が亡くなられてから別の整体指導者のもとに整体指導を受けに来た。


いわく臼井先生に指導を受けていたんだけど

ずっと痔で出血しているんですとおっしゃった。


その整体指導者の先生は

なんで臼井先生は痔の調整しなかったのかなと疑問を感じつつも

痔の調整を施してしまったって。

で、痔は治り、出血も収まったんだけど

頭痛が始まり

絶不調に陥ってしまったんだそう。


そこで初めて臼井先生があえて痔の調整を行わないという判断を下していたことに気がついた。

心身の全体系のバランスの調整としての出血。

だから出血を抑えてしまったことでバランスが崩れてしまったというわけ。


自分のために備忘録としてこの文章を記しているけど

実際に心身の全体系を観てとるというのは難しい。

あえて触れずに調整しないという選択。

現時点の自分にはまだ出来ていない。


カラダが起こしていることを即、病気として観てしまうと

それは治さなきゃならないものとして認識されてしまう。

カラダが行なっている調整で治してはいけないものだと観られるのは

心身全体をハッキリと読み取れないと出来ない。

カラダ、こころ、気

実は名前をつけているだけで

人間の在り方はそのように分かれてはいない。

けれどもカラダ修理専門のひとはココロや気は見えない。

こころ専門のひとはカラダや気は見えない。

人間を観る時のメガネ、物差しが専門メガネになっちゃっているので仕方ない。

矛盾するようだけど各専門の観方を何も学んでいないひとには

人間の全体系を観てとることはできない。

正確に言うと全体系を観ることはできても働きかけられない。


どうやって人間を丸ごと観ていくか

忘れずに心に留めておきたいテーマでもある。

このテーマを忘れずに人間という宇宙を探検していきたい。




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