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青い鳥を、外に探しに行くパターン止めてみない?

本当に大切なことってシンプル。

自然なこともシンプル。

そして大切なものはどこか外の世界にあるのではなくて

あなたの中に既にあるものだったりする。


「病気になったときの対処法はなんですか?」

この問いに答えてみて欲しい。




もし、医者にかかる、薬を飲むという答えしか思い浮かばないのなら。

あなたは既にこころやカラダを感じていない日常を送っている可能性が高い。


病気になると

習慣で自分の外に問題解決を求めてしまう。


分からないことが起こるとググるのと同じことしてる。

知識ならググれば確かに得られるからね。


希望の検索条件を入力すればさまざまな健康方法をGoogle先生は教えてくれる。

あなたのいのちの営みはあなただけが感じられるものであって

Google先生が感じることはできないというのに・・


いのちの営みについて外に答えを求めるって。


あなたしか感じられないものを

誰か他人に聞きに行くって

外に探しに行くって

やばくない?

それ、狂ってるじゃん(*´Д`)


そもそも

病気=解決しなければいけない問題

って前提じたいも疑わしい。


発熱を問題視するってことは

カラダが目的があって熱を出していることを見ていない。

あなたのカラダは

冷えをとるために発熱させているかもしれない。

背骨の弾力を回復させるために発熱させているかもしれない。

体内に侵入したウイルスを退治するために発熱しているかもれない。

いずれにしても、何も考えずに解熱剤を服用している人は

カラダが目的をもって行っていることを完全に無視している。

感じていないから平気で無視できちゃう。


高血圧を問題視して、ただ血圧を下げればいいと思っている人は

圧力を上げないと、通らない部位が体内で発生しまっていて

カラダが血圧をわざわざ上げているということを見ていない。

見ていないから平気で無視できる。


もしかしたら習慣になっていて

カラダへ思いを馳せたことすらないのかもしれないよね。

いずれにしても

「あなた」という意識が宿っているカラダの自然について、忘れてしまって久しい。


また外に答えを求めることが身に染みついちゃっているのは

自分にはなんの力も備わっていないと認識しているからかもしれない。


ホメオスタシスがちゃんと動いている整体状態であれば

外の助けが必要な病気って

もしかしたら死ぬときくらいかもしれない。

少なくとも、病気のたびに毎回クスリを飲んだりってこと必要などない。

自分に備わっている力が発揮できるようにしておけばいい。

すなわち整体状態へ戻るために

活元運動を訓練したり

家族内で愉気がしあえるようにしておけば

頭で考えるような健康方法って要らない。

必要なものはすべて備わっているのだから。



あなたが忘れていても

あなたのカラダの自然は

死が訪れるまで営みを止めない。


一番身近なカラダを感じていないってことに思い至ったとき

ショックだった。

身近過ぎて、見逃していたよね。

自分がしていたこととはいえ

やっぱり変だよ。

自分で発生させた熱に怯えるって

バカじゃん?

不安に取りつかれ過ぎて

正気を失っちゃってる。


それが世界中の常識だとしても

やっぱりおかしいよね。


自分のカラダのこと、いのちのことなのに

外に答えを求めるって(>_<)


ただハッキリ言えることは

カラダを感じていなかったってこと。

思考停止状態であったことは間違いない。


青い鳥はぼくらの中にずっといたのだから。

出来れば生きているうちに会っておきたいよね

いのちという青い鳥に。



自戒の念を込めて。




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