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目の前の人と再び通じ合っていくには。

日本語を介して会話をしていても

通じていないなぁって感じることは多い。

その場合は理解しようとすれば、言葉を介して説明を加えていく。


生きていると、通じ合えていないって感覚を

家族に対して感じてしまったり

パートナーに対して感じてしまうことだってある。


もしそのような状況に陥ってしまったら

自分の脳内を観察してみて欲しい。

自動思考がぐるぐるして止められなくなっているのが発見できる。

「考える」在り方にいるんだからカラダはお留守。

まったくカラダを感じていない在り方に居る。

すなわち「いまここ」は感じていない。

脳内のマトリックスの中でぐるぐる、ぐるぐる。


整体指導においては自分のカラダを感じてもらいたい。

心身の在り方を感じとってもらいたい。

日本語を話せない外国の方であっても

本人が感じている異常の1点を押さえることができると

言葉で説明しなくちゃちゃ伝わらないという不安は無くなってしまう。

そして言葉を介さなくても不便を感じなくなってしまう。


整体指導によって呼吸が深くなってあくびが出てくれば

いやがおうにもカラダが緩んでいく変化を感じざるえない。

緩んでいく変化は、多くは居心地の良さを伴う。

気が付いたらカラダを味わってしまって

がっつりカラダを感じてしまう。

「考える」在り方が、「感じる」在り方に切り替わる。


目の前にいるぼくのことを気にすることも無く

カラダの居心地の良さに委ねて

今まで感じられていなかったカラダを味わっている。


お互いが「感じる」在り方にいるもんだから

日本語を介していないのに

見つめあっただけで通じ合っている感じを抱いてしまう。

逆説的なんだけど

思考が静まっているから、通じ合っているって感じられるの。


知識や、知的理解っていう観点に立てば

理解しあえていないことの方が多いはずなのに

何故通じ合えているって感じるのか不思議だったんだけど

そういうことだったんだ。


大人になると初対面から打ち解けるまでに時間がかかるでしょ。

ところが、2歳児たちは自己紹介もなく

アイコンタクトしたり、お互いに奇声を発したりして

あっという間に遊び始める。

一言も交わさないのに遊び始めちゃう。

小さな人たちを観ていると見事だよね。


もし通じ合えていないって感覚を抱いてしまっているのなら

ふたたび目の前の人と通じ合うために何ができるんだろう。



※歌で通じ合えたと感じられた瞬間



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