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桜が咲いていた日。私は歩道橋の上で新曲が鳴り終わるのを待った

あれは桜が咲き始めた3月だったと思う。ランニングの準備をして、近所をゆっくりと走っていた。ランニングをするとなればいつもは音楽をかけながら走るけど、この日は関西のラジオ局にチャンネルを合わせてその時間が来るのを待つ。

平日のお昼だったので、走る場所には人がおらず、春の訪れを感じさせる爽やかな風が、今か今かと待ちわびる心に追い風を送ってくれ、あっという間にその時はやってきた。

この日はサンボマスターの新曲をはじめてフルサイズで聞ける日だったんじゃないかな。記憶をたどりながら当時のリリース日を調べてみたら「2017年4月12日」と書かれていてた。

リリースの1ヶ月前にフジロックの出演が決まったり、特典DVDのトレイラー映像が発表されたりと、サンボマスターと共に人生を歩んでいた当時の私にとってはソワソワ、ワクワクするような時間だったから断片的にでも当時のことはよく覚えているのだと思う。

なんで新曲を家で聴かずにわざわざランニングしながら聴こうとしたのかはまったく思い出せないけど、あの日のことは何故だか鮮明に覚えていて、小学校の近くにある歩道橋の上からは咲き始めた桜が見えていた。

私はこの日、新曲のあまりの爽やかさと真っ直ぐさに何故だか心がギューッと苦しくなったのだ。

ラジオDJの女性がサンボマスターの名前と曲名を読み上げ、山口さんのギターの音が聞こえてきた瞬間、背中を押されるような強い風が吹く。

新しい生活が始まる4月にピッタリな軽快な曲調と、グッと足を踏み出せるようなまっすぐな歌詞は、その時を生きていた私にはちょっとしんどくて、走っていた足を止め、歩道橋の上からボーッと曲が鳴り終わるのを待つだけの時間。

咲いたばかりの桜が散っていく儚さと、自分だけがその曲の世界から取り除かれているみたいな疎外感。それでもところどころ耳に残るのは、大好きな人が書いたフレーズ。いろんな葛藤を感じながら家に帰った私はその時の違和感をなかったことにして、”今日”という日を普通に過ごしたんじゃなかったっけ。

よくよく考えてみると、翌月の日比谷野音で2017年12月3日に初武道館が行われることが発表され、武道館の日に私は少しだけサンボマスターのライブと距離を置くことを決めたわけで、そのキッカケはあの曲を聴いたあの瞬間だったんじゃないかなと、あれから6年が経とうとする今思った。

なんでもかんでも、点と点を線で結ぶ必要はないけれど、「そんな気がする」と自分が感じることは、実際当たっている。

6年も前の話をどうして突然書きたくなったのかというと、先日「中途半端はもう嫌だな」という気持ちが突然ぽつりと浮かび上がってきた。

言葉の輪郭はハッキリとしていて、モヤモヤとした何かの中にそれだけがハッキリと浮かび上がっているような感覚はとても不思議で、もしかすると人はこれを「目標」と呼ぶんじゃないかとハッとした瞬間、なぜだか無性にあの時ちゃんと聴けなかったあの曲が聴きたくなった。

当時の自分はライターの仕事を始めたばかりで、古着屋でアルバイトをしながら「成るように成る未来」を信じられず、大好きな音楽と誰かと働く”今”に縋りながら日々を過ごしていて、何もかもに自信が持てず、ただ繰り返す毎日を生きているだけの状態だった。だから、聴けなかった。

『オレたちのすすむ道を悲しみで閉ざさないで』という曲が、どうしても聴けなかった。「いい曲」って心はちゃんと動いているのに、それをまるっと受け入れることのできない自分がすごく嫌で、見て見ぬふりをしていたんだと思う。

「目標は?」「将来の夢は?」と聞かれても上手く答えられなかった自分にやっと少しずつ言語化できる何かが芽生え始めていて、時間はかかったけど、やっとこの曲をまるっと好きになることができた気がする。

一瞬と永遠の間にはきっと神様がいて
ビーユアセルフ 自分探せってこんな僕にも呼びかける

6年前の私が聴いて、「これは私のことじゃない」って咄嗟に心に蓋をしたこの歌詞も今の自分にはハッキリ聴こえてる。

とはいえ、27歳になった私がこの曲みたいに爽やかでキラキラしているかと言われると全くそうではなくて、「人生はどんよりが一番。曇天こそ生きやすさで暮らしやすさ」なんてことを見つけてしまったし、口癖は「適当に生きたい」だし、それを変える気はみじんもないのだけど、それでも生きていれば目標がぽつりと浮かんでくることもあるんだなと驚いたのです。

携わっているバースデーランウェイのインタビュー記事で「未来の私との約束は?」と問われて「そんなもの今は思いつかないから…」とカバンの奥底に挟まる何かの欠片を探すみたいにガサゴソしていたこともあったけど、2023年2月19日を生きる私は、突然「今の目標は中途半端を終わらせること」と言えるようになった。

この目標を見つけるために何かをしたわけでもなければ、生活リズムも生活スタイルも何も変わってないけれど、一日一日を積み重ねていたら、あのとき信じられなかった「成るように成る人生」はいつのまにか始まっているのかもしれない。

この時期はどうしても「新しいことをはじめよう」と焦ってしまう。周りと自分を比べたくなるし、自己肯定感は下がるし、誰かのことを見下さないと心が持たないこともある。

「そんな自分も自分だと受け入れたい」と思う気持ちはあるけど、そんなことしなくていいなら絶対にしたくないし、いつまで経ってもいい顔ができる自分でいたい。

そんな葛藤を抱えた日々も積み重ねることでちゃんと線になるのなら、今日も、明日も、明後日も、それなりに頑張れるのかもしれないし、頑張っていいのかもしれない。

「中途半端を終わらせたい」についてはまた今度じっくりと書こう。それにしても、書きたいnoteの下書きタイトルはたまるばかり。



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