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PAP vol.4 『饒舌なダイジと白くてコトエ、マツオはリバーでネオには記憶』 感想レポート

2023年12月16日から23日にかけて、芸術文化観光専門職大学の静思堂シアターにて、CAT Performing Arts Project(通称、PAP)の上演が行われた。第4回は『饒舌なダイジと白くてコトエ、マツオはリバーでネオには記憶』。バスツアーに乗り合わせた4人の人生を、20人の学生が紡いでゆく。
 PAPとは、芸術文化観光専門職大学における実習の一環であり、国内外の第一線で活躍するアーティストが学生と協働して演劇やダンスの本格的な舞台作品を制作・上演する。4作目は劇団ロロの三浦直之さんを迎え、三浦直之が書き下ろした50のキャラクターと全国各地を旅する「オムニバスストーリープロジェクト」と「CAT PAP」のプロジェクトコラボが実現した。私は、21日(木)の夜公演を観劇した。

会場のギリギリ10分前にホワイエへ着くと、創作過程の様子や学生が作成した資料が展示してあった。登場人物の年表や舞台美術模型など、作品鑑賞のみならず創作の裏事情も見られることがPAPのいいところだ。場内へ進むと、美術の神殿と言わんばかりの舞台セットと柴田聡子の『雑感』のギター音が静かに出迎えてくれた。初めて見る大階段や天井付近の作業場まで大胆に配置された大道具にただただ圧倒され、誰もが思わず立ち止まって見上げてしまう。さあ、ステージの幕があがる。

今回は、筆者が一番印象的に写った人物を紹介する。
 木村琴絵はクリーニング屋と動画配信者の両面を持つ。白(というよりも純白?)を愛し、今にも消えてしまいそうな雰囲気と、その異質且つ確かな存在感が魅力のキャラクターだ。そして、役者5人で紡ぐコトエは、本当に一人の女の子が成人女性に成長してゆく過程を見ているようだった。
 その上で、コトエは高校生の私にとても似ている。それは、一見「周りには影響されません、私!」と言いつつも、満たされていない自分に納得できず、どこか他人と比較して自分の価値を見出そうと足掻いている点だ。さらに、心の揺れは彼女自身の行動にも表れていた。ブーケトスを受け取っても素直に喜べないし、「バブル崩壊でも私には彼氏がいるから大丈夫♪」と公言したけど、いざ大人になると不安と焦りに駆られるし。いざ自分だけ独身に取り残されたら、大学時代の仲間とも心から笑ってお茶ができなくなる。ただ、コトエ自身は決して承認欲求が満たされていないわけではない。仕事の傍ら定期的に動画を配信し、フラストレーションを昇華する術を理解している。客席で一人羞恥心がくすぐられた。高校時代の私にまんま見せてやりたいですよ!!
 この劣等感や焦りは、10代のコトエが送ってきた人生が影響しているのだろう。高校時代から流行に敏感で、ファッションや大学生彼氏とのデートも最先端を走る。大学入学後も原宿や渋谷でショッピングをし、丸の内でOLをしていた時も非常にイキイキとしていた。ただ、失業してから友人と会う機会も減り、結婚と離婚を経て現職へ落ち着いた。
彼女の青春時代はとてもキラキラしていた。しかしのちに、彼女が囚われる原因にもなってしまった。

 最後に。作品を見て、他人によって語られる自分自身について深く考えさせられた。作中では、登場人物を取り巻く関係者目線で4人のプロフィールと人生が伝えられてゆく。例えば、ダイジの場合は学生時代の友人や元パートナーの目線で語られている。そして、観客が受け取るダイジの印象もストーリーテラーによって大きく変化する。加えて演劇の場合は、そこに「演じる者」のフィルターがかかり、さらに複雑化している。PAP vol.4では、登場人物が徐々に着飾られてゆくように、視点の変化により「〇〇さんはこういう人間ですよ」と観客に伝えていた。そして、これは必ずしもお芝居に限った話ではない。私たちの日常生活でも同様のことが起きている。時に私たちは、資格やMBTI、得意科目、性格、ルックスなど、多くの情報をもとに他人を判断する。そしてそれは至極当然のことで、面接やお見合いの場ではそうせざるを得ないだろう。ただ、それだけで人間の価値を決められるほど単純ではない。劇中でも、人には見せない一面が垣間見える瞬間がある。マツオは毎晩内緒で河へ散歩に行くし、幼少期のネオも、普段は嫌な顔ひとつせず悪役をかって出る反面、内心はプリキュア役をやりたいと思っていたように、人は誰にも見せない一面を持っている。
 このように今作では、主観的な他己紹介を重ねることで、あたかも客観的に4人の登場人物の過去を見せているかような演出が目立っていた。そのなかに「わたしはあなたのありのままが好き」と言える人は一体どれほどいるだろうか。人は何を持ってパートナーや友人を識別し好いているのだろう、と終始考えさせられた。

私もこれだけ長く書いても文字で伝えるには限界があった。その点演劇は、背中のむず痒い部分を掻いてくれる孫の手みたいに、文字以外の情報でどこまでも繊細に観客に届ける力を持っている。やはり芸術の情報伝達力は凄まじい。と同時に、人間の考える力と議論する力を養う素晴らしい教材でもある。自分の主張を他人に言いたくなる、自分以外の観客とお互いの意見を話し合いたくなる作品だった。

HIBOCO
Wakai Ayumu

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