壊れたソニーのワープロと終わった長い片想い

昔好きだった女性とワープロの話。その女性は高校の同級生で、意を決して告白して、18歳の大晦日にきちんと振られたのだけど、彼女のことを忘れることができずに、22歳の夏に初めての海外旅行で行ったサイパンから帰ってきた勢いで、自宅に電話してファミレスで再会してから、26歳で上京するまでに何度か映画に行ったり食事をしていた。

25歳だったと思うけど、フリーライターを目指していた彼女はニュージーランドで生活して、その体験を書くというような企画を立てているのだと話してくれたことがあって、そういう夢を語ってもらえるのはとても嬉しくもあり、寂しくもあった。

当時、僕は名古屋の広告会社で制作の仕事をしていて、転職を繰り返した先にたどり着いたその会社は、とても居心地が良くて毎日が楽しかったものの、25歳を過ぎても給料は手取りで13万円程度で将来に不安もあった。

そんなある日、確か5月頃だったと思う。珍しく彼女から電話があって、ワープロが故障して企画書が作れないので貸してほしいという用件だった。

実は夏のボーナス一括払いで、彼女が持っていたものと同じソニーの「PRODUCE 200」を買ったことを話していたからだろう。なんでも、電源が入らなくなったらしい。

「PRODUCE 200」はユニークなワープロで、当時のワープロの中では薄型で、外出時に不要なプリンタを切り離すことができたので、気軽に持ち出して喫茶店でドヤ顔で執筆するという、今スタバで人々がやっていることをすでに30年以上前に実現していた。

当時、23歳と24歳の時に出かけたモルディブでのことと、彼女の想い出をベースにして小説のようなものを書き終えた頃で、彼女の夢に協力できるのならとそのワープロを貸した。好きな人に頼み事をされたら嬉しいものだろう。

それからしばらくして、彼女に貸したワープロが戻ってきた。しかし、電源スイッチを押しても起動しない。バッテリーが切れているのかと思って電源コードを繋いだけど、やはり起動しなかった。その時、彼女が「電源が入らない」と言っていたことを思い出した。

同じワープロなのでいつの間にか入れ替わったのかもしれない。いやもしかすると・・・僕は噂の「ソニータイマー」が発動したのかとも考えてしまった。ちょうど保証期間も経過した頃だ。結局、彼女には連絡しなかったのだけど、ワープロを返してもらったのが彼女と会った最後の記憶になった。

その後、いろいろあって僕は居心地のいい会社を辞めて上京することになり、最後に彼女の声を聞いておきたくて、できればもう一度会っておきたくて、彼女の家に電話したのだけど、電話に出た彼女の妹から、彼女は今ニュージーランドにいると聞いた。

本当に夢を実現させた彼女の行動力に感心しつつも、なんとも言えない虚しさを感じていた。そのニュージーランドで暮らす夢のために僕も協力したのに、夏のボーナス一括払いで買った「PRODUCE 200」も壊れて戻ってきたのに、夢を実現した彼女はいつの間にかいなくなっていて、彼女にとっての僕は友達でさえなかったのかもしれないと思うと、虚しくなった。もし、夢が実現した時に彼女の喜ぶ顔が見られたら、きっと一緒に喜んだと思う。

その一週間後くらいだったか、ニュージーランドの彼女から絵葉書が届いたのだけど、どんな写真だったのか、何が書いてあったのか、まったく思い出せない。その時にはもう彼女に対する気持ちが冷めていたのだろう。嫌いになったわけではなく、ただ冷めた。冷えたのではなく、常温に戻って、「ただの同級生の一人」になった。

その年の26歳の9月、彼女に告げずに上京した僕は、一年後に出会った女性と同棲してまもなく、フリーライターになって著名人を取材したり、あちこちを歩き回ってルポのようなものを書くようになっていた。

それからすぐに結婚して子供ができた。ちょうどインターネットが普及し始めた頃で、金にならない上に金払いの悪い出版業界に嫌気がさした僕は、高校でデザインを学んだ経験を活かして自宅でホームページの制作とデータベースの開発の仕事を始めていて、フリーライターのころよりずっと儲かっていた。

そんなある日、ふと見た彼女が勤めていた出版社のホームページにあった写真の中に彼女を見つけ、懐かしさから思わずその出版社にメールを送っていた。

数日後に届いた彼女からの返信には、結婚してすでにその出版社にはいないと書いてあった。僕は名古屋を遠く離れ、結婚して子供がいることを伝えたけど、ワープロの一件を思い出すと虚しくなって、それでメールのやり取りもやめた。

それが本当の意味で最後になったのだけど、その後も彼女の夢を何度か見ている。夢の中の彼女はいつも昔のままだった。

十五年ほど前に離婚して一人になって、時々こうして彼女のことを思い出すのだけど、それはただの記憶であり、彼女に対する恋愛感情はもうなく、思い出す度にただ虚しくなる。

ソニーの「PRODUCE 200」で書き上げた二度のモルディブ旅行と彼女の話は、400字で300枚ほどあって、本気で出版するつもりでいた。
原稿はソニー独自の2.5インチフロッピーディスクに保存されていたので、もうどうしようもないと思っていたら、3.5インチのフロッピーディスクにコピーするサービスがあり、それを当時使っていたMacで開けるように知り合いがDOSに変換してくれ、すべてプリントしたのだけど、結局、出版社を探すことはなく、ずっと押入れの奥深くに仕舞い込んでいて、離婚直後のヤケクソの断捨離でフロッピーと一緒に捨ててしまった。

実は、上京して半年くらい東京の新聞店で働いていて、後から入ってきたニイカワさんというウザくて変で面白くて意外といい人が小説家を目指していて、下北沢のジャズ喫茶でお互いの作品を読みあった時に、僕は彼女にワープロを貸す前にプリントして持っていた短編バージョンを読んでもらったのだけど、反応は薄かった。

「うーん、貝殻がいいなぁ」という彼女の言葉から始まるその作品のタイトルは、『楽園日記〜たから貝のイアリング』だった。
最近になって、当時の記憶を辿ってもう一度書いてみようかと思っているけど、さすがにもう120,000字も書ける気がしないし、僕のしょぼい旅や片想いの話など他人が読んでも面白いものではないだろうし。

これを書いていて、僕が彼女と同じ「PRODUCE 200」を買ったのは、彼女を助けるためだったのかもしれない。返してもらったワープロが起動しなくなっていても、彼女に連絡する気になれなかったのは、彼女を助ける目的を果たしたからではないかとふと思った。

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