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ファシリテーターとして

 結論から言うと、僕は、鹿児島県日置市で、ファシリテーターとして仕事をつくりたいと思う。

1. ファシリテーターとは

 自分が立ち返るためにも、再度まとめておきたい。

もともと『容易にする、促進する』などの意味の "facilitate" から来ている言葉で、従来型の教育の『先生』に代わって、参加者主体の学びを促進し、容易にする役割である。単なる司会というよりも、『進行促進役』『引き出し役』『そそのかし役』だ。
(中略)
人と人が集う場で、お互いのコミュニケーションを円滑に促進し、それぞれの経験や知恵や意欲を上手に引き出しながら、学びや創造活動、時には紛争解決を容易にしていく役割なのだ。

『ワークショップ ー新しい学びと創造の場ー』中野民夫著 p146-147 

 最近、教育 (education) の本来の意味は、単なる知識のインプットではなく、引き出すことだと学んだ。ファシリテーターは、より教育 (education) の語源に近い意味を持つ存在なのかもしれないし、肩書きというよりは、その人自身の在り方に近いのかもしれない。


2. 向き合ってきた問い

 思い返せば、『自然と人が集まってくるひとになるには?』という問いにそのときどきで答えを表現していたのかもしれないと感じる。

 小学校や中学校の時に感じていた、人が自然と周りに集まってくるひとへの羨ましさ。僕はそんな人になりたかった。

 そう願うということは、自分はそうではなかった(と捉えていた)ということ。
 それを自覚したときの痛みは本当に強烈だった。深い孤独と人を信じる怖さ、そして、悲しみがあった。だから、そんな人になれるように色々頑張ってきた。

 最近、『ココカラカイギ』という2泊3日の対話を通した自己探求型合宿に参加した。その時の自分の中のテーマが、
『人にも場にも身を委ねる』ということだった。イメージでいうなら、水にぷかぷかと浮かんで流されているようなイメージ。

 以前と比べて、少しずつ、自分がコントロールしようという想いは薄らいで、人やその場に、そして、その流れを信じられるようになってきたと思う。

 話が逸れてしまったが、
『自然と人が集まってくるひとになるには?』という問いに向き合ってきたのが僕という人間なのだ。

3. 在り方の原点

 中学校のとき、バスケ部のキャプテンをさせてもらっていた。
結論から言うと、そのときの仲間の存在が、僕の在り方の原点だ。

 たくさん楽しかった、嬉しかったエピソードがあるが、
特に嬉しかったエピソードを一つ語らせてください。(笑)

 チームの中には、生徒会の役員が数人いて、本部の役員も2人いた。
僕がキャプテンに任命された後、その生徒会本部の2人が、
 『ゆうちゃんは生徒会には推薦しなかったよ。キャプテン大変だろうから、そっちを頑張ってほしい。』
 と言ってくれた。(多分、こんな感じだった)

 生徒会になれなかったショックもあったが、それ以上にキャプテンを務める責任と信頼されている嬉しさを感じる出来事だった。

 そんな仲間たちです。(笑)

 これが言いたかったことではなく、(笑)
このチームにいて、『自分がキャプテンとしてできることは何だろう?』と考え、動いたことが今の僕の在り方に繋がっていると確信している。

 僕は、幼稚園から小学校低学年までのゴールデンエイジをサッカーで過ごしていて、バスケはあまり上手ではなかったので、ゲームキャプテンではなく、チームのキャプテンを任せてもらった。周りには、才能あふれる仲間が沢山いた。

 段々と、試合中では、ベンチにいることも増えてきて、自分の役割を問わざるを得ない状況だったのだと思う。

 できることは、試合に出たメンバーが戻ってきたときに、その時間のいいところを一人ずつ伝えること、笑わせること。落ち込んでいたら声をかけて元気づけること、調子に乗らせること。盛り上げること。

 そんな風に、メンバー1人1人が前を向けるように、さらにはもっと可能性を引き出せるように関わることで、チームの勝利に貢献するということが僕の出した答えだった。

 ある日、試合に向かう途中の車の中で、仲間のお母さんが、
『ゆうちゃんのやっていることは誰にでもできることじゃないよ。』
というような言葉をかけてくれて、自分がチームの為にやってきたことを認めてもらえた気がしたし、自分に誇りが持てた瞬間でもあった。

 この経験が、僕の在り方の原点だ。

4. 日置市若者未来会議


会場の風景

 ちゃんとファシリテーターとして歩いていこうと思えたのは、
全4回の『日置市若者未来会議』があったから。
 名刺もつくった。

 見たい未来を考えるために、まずは自分の過去と向き合った。
対話を通して沢山の気づきをもらい、大事にしてきたことを再確認した。

 それから、そのキーワードをもとに見たい未来を想像した。

 僕は、日置市で、自然体験と対話の場づくりをしたい
ということにまとまった。

自分が見たい日置市の姿。色を塗った部分に関わっていきたい。

 そして、それを実現するための第一歩を考え、発表した。

 この『日置市若者未来会議』に協賛していただいていた企業の方に声をかけて、実際にイベントを開催することにした。

 内容は、簡単に言うと、自分の1か月間のお気に入りの写真を持ち寄って
対話やワークをしながら1か月間を振り返るというものです。
 興味のある方は声をかけてください!

 このような場が日置市にはあるし、この文化は来年もきっと続く。
そのときには関わろうと決めた。

 過去に、日置市長のながやんに直接話を聴いていただいたときに、
放たれた一言が僕にグサッと刺さったままになっている。
 その一言で、このnoteを締めようと思う。

一緒に日置市を世界一の街にしよう!

 


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