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ドラマレビュー/29年と2ヶ月23日で再会した 「恋ノチカラ」 がくれたチカラ



 この世に生まれて30年と6ヶ月19日。
もう恋をすることなんて、
ないだろうと思っていた。



このメッセージを見ただけであぁ懐かしい、と思われる方も多いのではないだろうか。平成テレビドラマ史に輝き続ける不朽の名作ドラマがある。

2002年1月〜3月期にフジテレビ系で放送された「恋ノチカラ」だ。

主演は深津絵里さん、相手役に堤真一さん。

三十路を過ぎた独身彼氏ナシのヒロイン・雨宮籐子がある日突然引き抜きの誘いを受けたのは、社内でひそかに憧れを抱いていた売れっ子広告デザイナー・貫井が独立して立ち上げた新会社。意気揚々と加わったものの実は人違いだったということが判明してーーー、

というところから、恋愛模様だけではなく仕事、夢、挫折、友情など「日々をただ生きる」ことのリアルが描かれた物語が始まってゆく。


そもそも「恋ノチカラ」は単なるラブストーリーではない、と前々からわたしは思っている。この作品はこちらも言わずと知れた歴史的大作「やまとなでしこ」を生み出したチームが手掛けているのだが、全面的に華やかでラブに特化した所謂 “月9” 向けのやまとなでしことは違い、恋ノチカラにはもう少しだけ泥臭くて普通のありふれた日常が溢れている。(実際に放送枠も月9ではなく木曜22時枠での放送だった)



なんで、こんなにも好きなんだろう。

心に残るシーンや台詞を挙げればキリがないのだけれど、籐子さんになりたい、恋ノチカラを観るたびにとにかく強くわたしはそう願ってしまう。


満面の笑みで美味しそうにご飯を食べながら赤ワインを一晩で一本ガブガブと水のように飲み干してゆく、海外の不幸な人たちを集めた特集番組をVHS(!)に録画して夜な夜な繰り返し見る、通販番組で買ったら買いっぱなしの三日坊主、部屋にはいつもあちこちに散らばった洋服と雑誌、出勤は毎日遅刻寸前。

籐子さんは、いつもだらしない。


人違いですと言われて引き下がらない、堂々と自分の居場所と意思を主張する、自分の好きなひとや会社のことを素敵だとまっすぐ語れる、過去の決断や感情を否定しない、目上の上司であろうと見知らぬ人であろうと誰に対してもダメなことも嫌なこともハッキリ言える。

籐子さんは、いつも、かっこいい。


自分の弱さやだらしなさをただしく認めて、けれど決して必要以上に自らを卑下することはなく、一本しっかりと芯と筋の通った凛とした強さを持っている。人間らしくて、とてつもなくキュートな女性だと心底思う。


わたしはつい、格好つけてしまうのだ。

人からどう思われてるか。人がどう判断するか。
好かれたい、嫌われたくない、いい子でいたい。

他者からの目線と評価が自分の振る舞いを決める物差しになってしまったのはいつからだろう。ずっとそれに気づいているのに見て見ぬふりをしてきたことが、哀しくて痛い。だけどもう一方で、そうやってしか強く生きてこられなかった自分のことが途方もなく仕方なくてすこし誇らしい。


だから、強く願ってしまう。

よそ行きの綺麗だけじゃない真の自分を曝け出して愛して、だけど実はまだまだ怯えながらもそれでも自由に生きようとする籐子さんの姿に、近そうで遠い理想と尊敬を抱いて。


**


そんな大好きな作品であるにも関わらず、いつしか冬の恒例番組とも言えた夕方の再放送が無くなり、新しいドラマは次々と生まれて、記憶の片隅に追いやられてしまっていた。

だから今回、CSでの一挙再放送をきっかけに全話通して観たのは、恐らく10年以上振りだったように思う。


本放送されていた18年前の2002年当時。
わたしはまだ、11才だった。

今よりも世間の女性に対する「30歳」の目線が厳しかった頃。「結婚せずに働く」ことが珍しがられてしまっていた頃。

赤い横型のミッキーの型押しがされたランドセルを背負っていたわたしには、そんな現実はまるで見えていなかった。今日の晩ご飯と、宿題と、バレエの習い事と、初恋と。「働く」ことと「大人の恋愛」を知らないわたしが観ていた恋ノチカラは、きっと夢と憧れが詰まったキラキラのラブストーリーだったのだろう。


月日が経って、わたしは29歳になった。

就職して、転職もして、幾度も出逢っては幾度も別れて、プロポーズされて、断って、また働いて、病気をして、退職して、結局独り身で、文字通り身体ひとつで生きている今。


そんな29歳と2ヶ月23日で再会した「恋ノチカラ」は、あまりにも辛くて切なくて苦しくて、

そしてあまりにも素晴らしかった。



(以下、本編に触れまくりますので
読み進めるかご判断ください。)



籐子と貫井の出逢いから密かな憧れの過去を軽やかなテンポで描きながら突然訪れる運命的な引き抜き、それがまさかの人違いというハプニングではじまった「確実に面白い」ことが痺れるほど伝わる抜群の初回

2話で一気にふたりの距離が縮まるのも堪らない。久々の女の子との食事を前に、一人ではうまくネクタイも締められずジャケットも着られない貫井の身支度を整えてやりながら、ファミレスでコーヒー13杯をお代わりした過去のデートの尊さを幸せそうに説く籐子。そして春菜と貫井の目があった瞬間に流れる主題歌・キラキラのイントロのタイミングたるや!

個人的に大大大好きなベストシーンといえば、3話の完徹明けに早朝のベーグル屋の開店を待ちながら寒さを紛らわすためにぴょんぴょんと飛び跳ねる3人の姿は外せない・・・(貫井さんが無表情のまま籐子に頭ごちんってするところが、もうほんっっとうに大好き)

5話で酔っ払いながら真冬に屋上で花火をぶち上げて馬鹿みたいにハシャぐのも、6話では大失敗を経て無事青空に飛ばせた数え切れないほどのカラフルな風船を見上げる4人の満足げな表情も。「働く」ことの歓びやたのしさ、ミスの怖さやチームの有り難さを知った後で目にしたそのシーンは、10年の間で信じられないほど変化した感情でグッと心に刻まれた。

そして10話。本気で恋をすることなんてもうないと思ってた、と人生の誤算を親友に打ち明ける籐子の姿。ぐずぐず泣かずに自分から失笑を込めたその顔が、30歳のリアルだと分かった。


そんな胸いっぱいの共感で迎えた最終話
やっと最後に目にする、コーヒーを何杯もお代わりしてゲラゲラ笑い転げるふたりの幸せな顔といえばもう、、、、、

もはや持ちうる語彙力では到底表現できない完璧さ!!!!わたしのスタンディングオベーションが鳴り止まない!!!!!
(思い出すだけで興奮、泣く、完全に情緒行方不明)


貫井さんの告白が、この作品を通して「生きる」ことをしんどくも愛おしく思えるすべてじゃないかなと思うんですよね。


お前がいてくれて、その、あの……。なんでかな、お前とこういると、おもしろいものがよりおもしろく。おいしいものがよりおいしく。
2倍、にば……。ちがうちがう、そうじゃない。
……とにかく、お前といると楽しいんだ。


(2倍、にば………。のところ、好きすぎる。)


この告白をする前に、前話で元彼からのプロポーズを受けるか悩む籐子に対して貫井さんが告げた

「お前の好きなようにすればいいんだよ。好きな場所で、好きなやつと、好きなように生きればいい。俺はそれを……、俺たちは、それを望んでるから。」

を鑑みて聴いてみると、もうにば……どころじゃない。何倍も何十倍沁みる。最高やないか。


社会で働いて揉まれて、出逢いと別れを経て、そうして毎日を懸命に生きてゆくうえで

「ひとりでも面白いものは面白いし、美味しいものは美味しいけれど、それを一緒に共有できる誰かがそばにいることはやっぱり楽しい。」

というメッセージが、なんだかしずかに、でもスーッと奥まで深く刺さって抜けなくて。

それは決して恋人だけに言えることではなくて、家族や友人や職場の仲間や、たとえば顔の見えないSNSでの繋がりでも全然いいと思う。現にわたしもこの一年、noteで知り合った方々と共有して倍増した、好きとか面白いとか最高!がいつのまにか心の支えになっていたり、知らず知らずのうちに救われた大きなキッカケだったりしたから。

自分も誰かにとっての「誰か」で、そしてそばにいるその「誰か」を大事にしたいな、となんだか改めて思うのです。


**


29歳と2ヶ月23日で再会した「恋ノチカラ」は、明日をこれからを「また生きる」チカラをわたしにくれた最っっ高の作品でした。

皆様にも是非、久々に再会してほしい!!


そうそう、最後に。

あくまでもわたし個人的になのですが、名作ドラマを名作たらしめるひとつの条件として、

観ていてお腹が空いてしまうほど美味しそうにご飯を食べるドラマは、絶対に良いドラマ

だと思っているんですね。

たとえば、

「アンナチュラル」でミコトが更衣室で黙々と口に運ぶ天丼。母とワイン片手につつく火鍋。「カルテット」でレモンの物議を醸しながら食べる唐揚げ。義母の小言を交わしてつまみ食いする賑やかな食卓。バカうま!を思わず言いたくなるといえば当麻が食べるあの餃子を思い出す「SPEC」。最近だと「いいね光源氏くん」でたびたび登場したモンブランや抹茶フラペチーノ、スイーツなんて完全にダイエット妨害の飯テロ………!


などなど、食と作品がリンクするほど記憶に残るドラマはいつも素晴らしいものが多い気がする。

なぜかというと、食べることは本能的に生きるに直結する行為だから、ではないかと。

わたしは特に昔から食にあまり興味がない上に胃腸がとても弱いので、人生において食べることに対する優先順位がすこぶる低いんですね。何を食べてもお腹をくだしてしまう日が続くと、ならばいっそ3食うどんか雑炊で、みたいな思考になってきて、これが結構やばい。マジで生きる気力が無くなるし当たり前ですが動けなくなります。

そんな中、へろへろに伏せながらも意地でドラマを観ていて(やや間違ってる気もするけどエネルギー補給だと思ってる)ふと気づくとお腹が空く瞬間がやってきた時は、なんというか、ほんとうにじんわりとうれしいもので。


恋ノチカラは、お腹が空くドラマでもあります。

からっきし飲めないけれど赤ワインをガブガブ飲んでみたくなるし、シュークリームを口いっぱい頬張りたくなるし、夜中に鼻歌混じりでピザを焼きたくなるし、イカ墨パスタを食べた後イーーッて笑いたくなる。

そんなところも含めて、今までもこれからも愛してやまない大切な作品になりました。


こんな風に、昔から何度も飽きることなく観返して、その度にいつだって幸せな気持ちになって、お腹が空いて、あぁ生きなければ、と思えるドラマが人生に存在することが、身体ひとつで生きてるわたしがちゃんと誇れる財産だと思う。


また来年も、面白いものを観て、美味しいものを食べて、好きとか最高をいっぱいいっぱい分かち合って、皆さんと共に生きられたらいいな!
出逢ってくださって、心から心からありがとう。

そう願って祈って、(熱烈なドラマレビューの最後に無理矢理グイッとねじ込んで)、本年のご挨拶とさせていただきます。

皆様どうぞ体調や環境に気をつけて、健やかでしあわせ溢れる佳き新年をお迎えくださいね。

すこし早いですが、2021年も何卒よろしくお願いします!^^


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