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聖書、その可能性の中心 #2

キリスト教の正体


キリスト教は人間の罪の道を行く。善悪の木の道。

ここではパウロにスポットを当てることによってキリスト教思想がどういうものかを書いていきたいと思います。

パウロは元の名前はサウロ(שןל(シェオール) 地獄)で、元の名前が悪いので改名したが、今日のアメリカを中心としたキリスト教国による支配は地獄の様です。

パウロは論理が怪しい人で、聖書の引用も勝手でした。幻想的、観念的な人でした。

パウロの生涯
パウロが子供の頃、ユダヤ教パリサイ派(イエスと敵対関係でした)のガマリエルさんにスコラ哲学を学び、その後、ステファノの殺害に参加(石を投げて殺した)、その後、幻のイエス(悪魔です)に出会い回心してキリスト教を作った。

キリスト教(パウロの思想)
パウロはギリシャ思想でギリシャ的な教養(ヘレニズム)を持っていました。
ヒエラルキー精神で、権力志向でローマ皇帝よりも強い力としてのイエスを信じた。

パウロはすべての人には罪がある、と説きます。これはヨブ記のサタンの言葉です。
サタン(שטן 告発する)サタンはすべての人が罪にあると告発するのです。

パウロの原罪の観念
アダムの物語から原罪の観念を作り、罪のない人を罪とした。(悪魔的なパウロ)
原罪の観念は、ギリシャ哲学で、悪とは何か?悪の根源とは何か?と問うときに、それは祖先から来たものだと答える。(原因をもとに辿っていく)

イエスからの引用は一切ありません。聖書で一番金持ちだったソロモン王からの言葉や箴言を引用して弟子たちに説いた。御利益信仰だった。金と権力を求めた。

そして殺人を肯定しました。

性を禁止にした。女性は汚らわしいと差別心から禁止にした。聖書的なところから来たわけではないです。

パウロの思想はイエスの思想が発展したものだとキリスト教は信じている。

神への犠牲を求める人々ー宗教
キリスト教もユダヤ教も賛美の犠牲を行う。
パウロは聖なるということは清いことと説いた。
パウロにおいては聖なる女は処女マリアのみに限る。

アダムとイブは知恵の木の実を食べたのはルール違反であって罪ではない。無慈悲が罪なので、アダムはそれは犯していない。

パウロはアダムが犯した違反と同じ罪と言っている。ここにパウロの間違いがある。アダムが犯した違反と同じ違反、なら論理的に整合するが、どうしてもアダムに罪を被せたいパウロの言葉が立ち現れる。

キリスト教はもともとイエスの取り巻きで、アンティオキアを中心に活動して、自らクリスチアノイと言っていた、ユダヤ教パリサイ派(当時のエリートで、日本の東大生にあたる)の思想を受け継いだ宗教でした。

パウロの思想は、悪魔の思想が実現したものです。今までキリスト教徒による犠牲者、死者は、数千万人以上だと言われています。

ここまでで一旦書き終わります。旧約聖書と新約聖書は精神が異なり、新約聖書はマタイ伝以外はキリスト教思想でできています。つまり暗黒の世界です。キリスト教がもたらしたものは地獄の世界でした。色々意見はあるかと思いますが、感想をお寄せください。また私と聖書研究会をしませんか。募集しています。

西川英行
〒567-0897 大阪府茨木市主原町7−8−218
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