愛ってなんだろう
人を愛することの喜びと悲しみ
私はまだ幼稚なのか、顔で女性が好きになります。
好きな女性のタイプは、女優の亡き夏目雅子さんに似た女性に恋してしまいます。
夏目雅子さんに似た女優さんの写真集を買います。
グラビアアイドルの愛称がオシリーナの秋山莉奈さんが好きでした。
石原さとみさんも好きでした。
私は基本的に面食いですが、私が実際に付き合う女性は不細工な人もいました。
私は、私を愛してくれる人は基本的には容姿は考えません。
だけれども、いい人に巡り会えなかったです。
私の性的なフエティシズムは女性の胸とお尻ですが、胸が小さくても顔で選んでしまうのです。
人を愛することは、容姿だけでは続きません。性格も合わなければ続かないし、俗に性的な相性が合わないとということもあります。
人を愛することは、別に恋愛関係を作らなくてもあります。
男同士の友情も愛の一部でしょう。私は同性愛者ではありませんが、友達を大切にしている。
最近は、アロマンスという、恋愛感情を抱かない人と出会いました。
ゲイの友人もいます。
別に差別をするわけではないのですが、旧約聖書の創世記に、同性愛者の街、ソドムとゴモラをヤハウェは滅ぼしたんですね。
同性愛は基本的には生殖に結びつかないためです。それはフェティシズムであって本当の愛と呼べるのかわかりません。同性愛者は一生、マスターベーション状態なのです。それに気づいていないですね。それに、異性に対するけがらわしいという観念により、同性愛者は、他の性への差別を含みます。特に、キリスト教カトリックに、ゲイが多いのは、キリスト教を作ったパウロが女性差別を公然と行なっていたからでした。私の友達だった、ゲイのクリスチャンは、女性をメス扱いしていました。
同性愛者というのは、基本的に人間性が深い人はいません。
心が深まれば、同性愛にはなりません。
しかし、哲学者のフーコーは同性愛者ではないかと言われるかもしれませんが、
フーコーは人間性が深いわけではなく、哲学の専門家としてすぐれていただけで、
聖書を書いた人のように深い人間ではありません。
弁護士には同性愛者がいるではないかと言われるかもしれませんが、
人間的に深くなくても弁護士にはなれます。
暗記能力が人間性を保証するわけではありません。
同性愛は、歴史的に国が滅びるときに増える傾向があります。
ゴモラは、実際にはアモラと発音します。これはアメリカを暗示しています。アメリカも同性愛者の街です。
愛とは何かわかりません。愛っていまだにわかりません。
愛という概念は抽象的なものです。
私は聖書の中心の真実の概念を<慈愛>と名づけるしかありませんでした。
愛というのは存在を賭けなければ本当のものにはなりません。
やしきたかじんの「東京」という歌に「あんたとなら いつ死んでも かまわへん 忘れないでいて そんなおんな いたことを」
これは、本当の愛です。世間という無情と愛の儚さを歌っています。この詞は及川眠子の作詞で、男性の願望ではなく女性の本音です。
愛と性について考えました。
愛することだけ語ってもそれは理想であって本物の愛ではありません。
性愛を含んで考えないと本質に届かないです。
今日はこの辺で終わります。
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