見出し画像

提供され続ける論理ゲーム

洗濯槽クリーナー

最近、湿度が高い日が続いていた時期に洗濯槽が匂っているな、と思い洗濯槽クリーナーをポチって使用しました。(結構忘れてた・・・)
それで洗濯槽は無事復活したのですけれど、その時買った洗濯槽クリーナーが、
「発泡力〇倍!」
とか書いてあって、発泡すればするほど良いような勢いで発泡するものだったのです。それで、なんとなーくこういうものは「発泡した方が良いのか・・・」と思っていました。

後日、スーバーにて別の洗濯槽クリーナーをふと見たところ、
「発泡を抑え、ドラム式にも対応!!」

ん?

ドラム式では発泡しちゃいかんの?んでも買って使ったやつは、ドラム式用よ?

もひとつ別の話、、、

ランドセル

息子の小学校入学前、本人が特にランドセルに興味がない、との事だったので、デカくて重いし普通のバッグで良くない?と家庭内意見が一致していました。が、入学前説明会の時に、ランドセル前提の説明内容のものが多かった為、校長に普通のバッグでも良いんですよね?と聞いたところ、
すごく慌てた様子で前例がないのでもごもご・・・と言い出したので、
前例あるなしではなく、ランドセルが強制かどうかを聞いているのですが?
と言うと、確認するから待ってくれ、と。

え?そんなに一大事?

その後、先生二人を引き連れてきて、三人に囲まれ、何だか〇〇式の時とかは揃えてもらわないと困る、とかよくわからない理由でダメっぽいことを説かれ、

え?強制ですか?
いえ、強制ではないのですけれど。
じゃあどういうことですか?

みたいな最近よくあるw問答になってしまい、もう論理がめちゃめちゃだからそろそろ諦めるか、と思い始めたところに、教頭が

「ランドセルは、分厚いので後ろに転んだ時にクッションになり、児童の安全の為でもあります。」

と言い出したので、

「その説明は、ランドセルは分厚いので児童が何か勢いよく横を向いたりした時に隣の子にぶつかって危ない、というのと同じ理屈なので理由になっていません」

とは言わずww、「はい、わかりました。」と終了しました。

まさかそんなに拒否反応を示されるとは思わず、後で調べて知ったのですが、ランドセルは自治体によってはそもそも教育委員会が「強制してはならない」という指示を出しているところもあるけれど、賛否両論も結構あって、上記教頭の安全説はどうやら賛成派(強制派?)の定番文句であった模様。

なんか洗濯槽クリーナーを見ていて、このランドセルの時の教頭の事を思い出しました。
”分厚さ従来の〇倍!!”

てな感じでもう少しこの下らないネタが続きます・・・

ハンカチ

小さい頃から、学校や世の中に
「ハンカチ、ティッシュは忘れずに!」
とよく言われるではないですか。ティッシュは置いておきますが、ハンカチについて、手を洗った後はハンカチでしっかり拭きなさい、でないとせっかく洗っても不衛生です!と500回くらい言われた記憶があります。両方とも自分でちゃんと持ってたことほとんどないけれど・・・。

少し前に見た、とあるお医者さんのブログで
「ハンカチは使った後にポケットに入れる人も多い。そうすると皮脂や水分が付着したハンカチが体温で温められ、風通しも悪い為雑菌の温床になる。ハンカチの使用は非常に不衛生です。ズボン等でパンパンってやる方が余程衛生的です。」
てな感じのことが書いてあって、妙に説得力があーる。

マスク

マスクの繊維の隙間はウイルスの大きさよりも全然大きく、サッカーゴールにゴルフボールを投げつけているようなものだから意味がない、というのを500回くらい聞いたことがあります。
対して、今は見つけられないのですが、半年くらい前にたまたまとあるTV番組サイトで、
「確かにマスクの繊維の隙間はウイルスより全然大きいです。でも、静電気が発生して結果的にウイルスをシャットアウト出来るんです!」
てなことが書いてあるのを見たことがあります。説得力ある・・・かも知れない。

どうでもええわ

①大抵の人が欲しい結果
・洗濯槽の話は(泡が出ようが出まいが)洗濯槽がちゃんと綺麗になれば良い。
・ランドセルの話は”安全の為”で論じるならば、(デカかろうが小さかろうが)子供が怪我をしなければ良い。
・ハンカチの話は(いくら雑菌が手につこうがつくまいが)健康面に悪影響が出なければ良い。
・マスクは(ウイルスが通り抜けようが抜けまいが)病気が防げれば良い。

②途中経過
・泡が出ない方が良いのか出る方が良いのかは、洗濯槽クリーナーを研究、開発している人が突き詰めれば良い。
・鞄で子供の安全を考えるならば、鞄を研究、開発する人が形、構造を突き詰めれば良い。
・ハンカチの雑菌の増え具合は、菌について研究している人が突き詰めれば良い。
・ウイルスがマスクを通り抜けるのかは、ウイルスとか感染症とかを研究している人が突き詰めれば良い。


専門家でもない、何らか必要に迫られてモノを使う側は、①が欲しい結果。①だけはっきりわかれば良い。(ちょっと乱暴だけれど、、、)
でも、色々なことがあまりにも②の途中経過の話に入って積極的に議論されまくっているように思います。しかも「②途中経過」をいくら突き詰めてもそれは直接的に「①欲しい結果」を決定付けるものではない。説得力を付加するだけ。

いや、実際にはほとんどの人は「①欲しい結果」すらそんなに気にしておらず、適当な「②途中経過」を定説にされて、場合によっては小学生でもおかしいとわかるような理論で誰もホントかわからない「①欲しい結果」を満たしているような気になっていることも多い。
それでその異常さに気付いた人たちが一生懸命「②途中経過」で議論、翻弄されまくっている。

別の人への説得材料だったり、理解を深めるのには「②途中経過」は大事!っていうことなのかも知れないけれど、これまで見てきたように「②途中経過」をいい感じにいじくるといくらでも説得力のある「①欲しい結果」が生み出せます。事実が正反対だろうと何だろうが、です。(じゃあ事実ってなんだ??)

これ、どうでもええ~
どうでもよくなくなっちゃう時があるから自分に向けて言っているのだけれど。

民放はもう十年以上見ていないのですが、見なくなった理由は「とにかく気持ちが悪い」で、特に代表的なのはワイドショー系でした。大して興味のないものをさも大事なことのようにテーマにして、専門家といった看板の人達が「②途中経過」を延々議論しているやーつ。で、あらゆるものにワイドショー要素が増えてきて。
ワイドショーって言葉の意味、調べると芸能系メインの問題等様々なテーマについて議論する、とあり、言葉通りでした。
(ええと、問題なんて存在しないんですが・・・)

で、気持ち悪いとか言うくせに、この論理ゲームが結構好きな時もあったりして。いや好きというかなんというか・・・

論理無視への嫉妬

以前、こんなものを書いていました。

今思い出してもハラハラするのですが、親を敵にして全力で攻撃していたことがあるっていう・・・。結局わたしも押し付けられたものを我慢して頑張っていたわけで、その押し付けていた側に落ち度があると「怒る」ww
「おれはこんなに我慢してちゃんとしているのに、言い出しっぺのお前はなんでちゃんとしないんだ」
という、よくある嫉妬的な哀しみです。

先日、仲良くしてもらっていた隣人が亡くなる直前に、またわたしは怒っていたのですが、

terucchiteruteruさんのコメントを見ていたらこの怒り、親に対しての怒りと似ていたのだな、と気付きました。

小さな頃から、学校やら何やらで常に根底には”論理的であれ”という教えが世の中に蔓延している気がしていて、それで論理的に頑張っているとふと世の中が論理破綻している。それで
「おれはこんなに論理的に頑張っているのに、言い出しっぺのお前が論理破綻している!」
と論理を無視しているモノに対して嫉妬しているのかな、と。

ホントは論理したくないのかな。
論理ゲームは提供され続けていますよね・・・。

頼んでなくても提供される、ってことは必要ないっちゅうことです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?