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さよなら、歌舞伎町

午後13時
新宿駅東口
こんな時間に待ち合わせたのは初めてかもしれない

人の波に紛れて
追いつけないスピードでのろのろと階段を昇る

11センチヒールは封印した
歩きやすくて疲れない
ピンクの靴紐
スニーカーを履いて


あの人と会う時はハイヒール
そんな私でなければ
相応しくないと思っていた
きっとあの人も
それが当然と思っていただろう

肩で風を切る
いつもそんな風に
あの人はスピードを緩めない
私は時々小走りに
少し後ろをついて行く
踵が痛い
あの人は気づかない
私は黙ってついて行く
そんなふたり

会わないままに季節がひとつ、通りすぎた
ぼんやりとアルタVISIONを眺めながら
ポケットのスマートフォンを取り出す
LINEの通知音
「着いた。淳子、どこにいる?」
素っ気なく
だけど近い
あの人は変わらない

「もしかしたら」
そんな期待なのか不安なのか
よくわからない感情
池袋から山手線に乗り換えた時の急いた気持ち
歌舞伎町へ向かって歩き出す私達は
何も変わっていないように思えた

私はハイヒールを脱いで
あの人はそれに気づきもしていないけれど

あの人はもう
腹減ってないか?って聞かない
目的地へただ歩く

区役所とミスドの角を曲がる
昼間なのにこっそり客を待つ女と男の視線を抜けて
目的地へただ歩く

歌舞伎町には場違いな、南国ムードのカラオケ屋を越えて
すぐに着いちゃうね
そうだこれは
デートじゃないんだもの

あの人はね
私を抱きたい時は
「セックスするぞ」って言うの
まわりくどく誘われたことなんて1回もなかった
そしてホテル行って
トイレ行って
シャワー浴びて
時間までに私を2回抱く
眠る時
私のあしに足を乗せる
窮屈だったな
ああ、窮屈で幸せだった

香りはカルバンクライン
肌の質感
いい香り
ずっとくっついていたい
叶わないって知っていたようで
ずっとくっついていたい
今だけでいいって思っていたようで
ずっと自分に言い聞かせて

あの人の香り
私のbabydollと融け合って
甘くて苦い、蜜の、味

やさしいところ
不器用さ
口が悪くてね
私の名を呼ぶ声
関西弁のリズム

歌声とか
ベースの低い音
指先

何でもない日の
何でもない言葉のひとつひとつ
笑えるくらい覚えてる

だけど
全部を美化できるほど
やさしい思い出ばかりでもないから
嫌なところもたくさんあって
別れた方がいいって
やめとけって
どれだけ言われたんだろう


好きだったのは
あなたと一緒にいることで
自惚れた私自身だったような気もする

ねえ、今思えば
わたしたちって
なんだったんだろうね

だけどあの人の言葉にも
私の気持ちにも
多分あの時には
例え一瞬だとしても
真実はあったんだろう

愛しい、と
何もかも捨てる覚悟
言えない秘密
想う分だけ苦しかった

あの人に送った最後のメッセージ
あの人が嫌いな長い文
わざとだって
最初の頃のあの人ならば
きっと気がついてくれたでしょう

わかりきった返信を
読んでさめざめ泣いた日は
ほんの数日前の出来事なのに
晴れだったのか
雨だったのか
そんな事さえも
もう思い出せないから

さようなら
だけどその言葉だけは
言えたこと
よかったんだと
よかったんだって

そう思っているのです

さようなら
あの街で
恋をした日々を

午後19時35分
私は歌舞伎町に別れを告げて
泣いたのは
あの日の電車が最後で

私は私の街に戻って
何事もなかったかのように
贖罪の日々を
生きて
こうして生きていくのです



煙草の香りが嫌いな私に戻って
さようなら
さようなら
あの街に
恋した私に

#詩 #うた #歌 #恋愛 #短篇 #cakesコンテスト

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