見出し画像

バークレーの思い出#19 差別について

ネットの記事で様々な差別に関する記事を目にすると、モヤモヤとした感情が沸き上がってきます。大上段に正義感を振りかざして、「差別は絶対にダメだ」と言っているのではありません。大変残念なことですが、世の中には様々な差別が存在しています。私が1年間住んでいたアメリカでは、未だにアフリカ系アメリカ人やアジア系アメリカ人に対する差別があります。また、性的マイノリティに対する差別もあります。差別問題の難しさは、”差別の定義”の難しさにも起因しています。Wikipediaには、差別の定義に関して以下のようなことが書かれています。以下は引用です。

『ある事柄を差別と判定する場合、告発する者の伝達能力・表現力と受け手の感性に因るところが大きく、客観的事実として差別の存在を証明するのは実際にはそれほど簡単ではない。なぜなら、差別として疑われるとある待遇について、その待遇が正当か不当かについては、時と場合によって様々な解釈ができ、議論の余地があるためである。例えば、最終学歴が高卒程度の者に対して、大卒程度の者を優遇すること(学歴差別)は正当か不当かといった価値命題は、科学的に論定することができない。差別は普遍的な実体として存在するものの、その定義付けは困難であり、定義不能とする研究者も少なくない。』

アメリカでも、太平洋側のカリフォルニア州、特にサンフランシスコ周辺は革新的な考えの人が多く、あからさまな差別は無いように感じました。私が住んでいたバークレーも、たまたまかもしれませんが、差別意識が希薄な地域だったかもしれません。というのも、バークレーは大学を中心とした街で、学生も世界中から集まっていたからです。私が訪問研究員として所属していた研究室では、大学院生は全員が留学生でした。街中でも、中国や韓国などからの留学生をよく見ましたし、飲食店などで働く中国系や日系のアメリカ人も数多くいました。また、サンフランシスコには比較的大きなチャイナタウンやジャパンタウンがありました。

私が住んでいたのは今から30年近く前ですが、その当時から、サンフランシスコではゲイピープルと呼ばれる人達が数多く暮らしていました。ウインドウショッピングでGAPのお店に入った時も、その仕草や雰囲気から、明らかにそうとわかる店員さんが優しく接客してくれました。幸運なことに、私が住んでいた1年間には、不快だと思われるような差別体験は一度もありませんでした。ただし、アメリカでも州によってはアフリカ系やアジア系の住民が少ない地域があって、いまだに人種差別は無くなっていないようです。

バークレーでは身体障碍者に対する偏見も少なく、街で普通に生活している人を数多く見かけました。持続可能な開発目標であるSDGs(Sustainable Development Goals)の中でも、”様々な差別をなくそう!”という目標が掲げられています。偏見や思い込みで不当な差別をしない世の中になって欲しいと思いますが、目標の期限である2030年までに達成できるでしょうか?。もう7年しかありません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?