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Life Story Ⅸ 移住。そして大日向小学校へ。

2019年2月。
大日向小学校の開校、2ヶ月前。


イエナプラン教育
発祥の地
ドイツを訪れた。


2018年に
オランダからの持ち帰った大きな宿題。
“日本におけるイエナプラン教員研修”
研究、実践した。
(マニアックな話になるから、別で書く)


そのプロセスで、
ドイツに強い興味を持った。



日本のイエナプランが
コンセプトとする
“20の原則”が、
オランダ研修で一度も扱われなかったのは
なぜか?



オランダのイエナプラン教育の母と呼ばれる
スース・フロイデンタールが作った
”8つのミニマム”
これの根源となるリソースは
何か?



これまではオランダの先生たちが
教えてくれるものを
鵜呑みにしてきた。
でもその“原点”を辿りたくなった。


イエナプランの創始者。
ペーター・ペータセン。
彼の書籍で
ドイツ語から和訳されているのは
2冊だけ。


オランダを介さず
イエナプランの原型
触れることが
日本人には難しかった



代わりにドイツ教育関連の
論文を読み漁った。
それでも
分からないことだらけ。



いっそ
ペーターセンに直接聞ければ
どんだけいいかって思ってて



気づいたら
ペーターセンのお墓の前にいた。

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アニメの聖地を巡る人と
同じような気持ちだったと思う。
(この旅もマニアックだから、別で書く)



大日向小学校で頑張るよーって
伝えてみた。

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<長野県佐久市へ移住>


2019年3月。
息子は、東京へ。
私は、長野へ。
パートナーの転勤は叶わず、
家族3人、3拠点生活が始まった。



36年間。
ずっと暮らしてきた名古屋を離れて
初めての一人暮らし。



夜寝る時も一人。
朝起きる時も一人。
「ただいま」も「おかえり」も言わない。
いつも寂しかった。



でも幸い、
地域の人はみんな優しくて
いろんな友達もできた。



この地域は、
自由に働く人が多い。
生き方に柔軟性や幅がある。
そういう人たちとの出会いは
本当に楽しかった。



挨拶するだけで
立ち話が始まったり
野菜がもらえたり。

名前も知らない人と
人となりが分かる会話ができる度に
心があったかくなった。



道路は広くて、真っ直ぐ。
一方通行、一時停止とかほとんどなくて
目の前は、大きな空と壮大な山々だから
車の運転にストレスがない。


四季とともに
街の色が変わっていく。
季節を日常で感じることができる。



自然のある暮らしが
こんなにも優しい気持ちにしてくれるんだって
ここにきて初めて知った。


佐久市に来て、本当に良かった。




<大日向小学校へ>


日本のイエナプランと距離を置いた1年間。

それでも、
働くことを決めた理由は2つ。


1つは、
「教室のえんがわ」のように
自分のやりたいことをやったことで
自信を取り戻したから。


もう1つは、
一緒に働きたいと思う、
尊敬できる仲間たちがいたから。


4月1日から職員全員が学校に集まり
勤務がスタートした。



入学式までの準備期間は
たったの10日。



その中で、机の配置を考えたり、
子どもたちのスケジュール表を作ったり、
忙しかったけど
ものすごく楽しかった。



”夢が叶った”って
思う瞬間だった。



えんぴつもゴミ箱もないまま
迎えた大雪の入学式。

素敵な思い出になった。


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<働いて良かったこと>


1年目は、
4・5・6年生の上学年クラスを担任した。


上学年にもなると
本人の意思で大日向小を選んで
転校してきた子がほとんど。


上学年になってから
自ら転校を決めるって
勇気がいる



私が、公立を辞めてきたように
子どもたちもそれぞれの思いを抱えていた。



”全員が、学校に毎日通えること”
それを最優先にした。


この学校で働いて良かったと思うことは、
人としての当たり前ができたこと。



誰も「トイレ行っていいですか?」と聞かないし、
教室で上着を着るか、着ないか、
帽子を被るか、被らないか
本人が決める。



喉が渇いたら、何かを飲み、
本が読みたくなったら、本を読む。


発言したい時は、発言して
聞きたい時は、聞く。


休みたくなったら、休む。



言葉にするのもおかしいくらいだけど
これができるだけでも
教室の空気感は、かなり違う。


こういうことの積み重ねが
一人一人を尊重するってことなんだと思う。



ある子の言葉が、ずっと残ってる。


「ここに来て変わったことは
誰かと比べて、自分が嫌になることが減った。
あの子にはこれができるって分かっても、
じゃあ、自分には何ができるだろうって
考えるようになった。」



この変化は、
この子の人生に
どれだけの豊かさを
生み出すだろう。



もちろん、
大日向小学校はユートピアじゃない。


喧嘩をしたり、意地悪をしたりすることもある。


でも、“違いが良さ”に変わることで
自分も相手も好きになれると思う。



<最初の失敗>


私の最初の失敗は、
子どもたちが扱えないほどの
大きな自由を与えてしまったこと。



オランダ人の先生たちが
4月下旬の開校式に来てくれた。
私が一番尊敬している先生
ヒュバートが言った。



「小さな小屋に押し込まれていた子たちが
勢いよく飛び出しているみたいだね」



”全員が、学校に毎日通えること”
を優先した私は、
自由にすることばかりを考えてた。


でも扱えないほどの大きな自由は、
結局、子どもたちを傷つけた


それに気づいた時、
やり直すチャンスをくれたのも
子どもたちだった。


私は
渡した自由を
もう一度、預かった。


子どもたちは
得られた自由を
もう一度、手放した。



これを納得し、
受け入れた子どもたちを
私は尊敬する。


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<働いて大変だったこと>


日本で初めてのイエナプランスクール。
何もかもが大変
で普通だと思う。



まずは、3学年分の学習どうするか。


あと1年で卒業する6年生と
あと3年間勉強する4年生が
一緒に学べるカリキュラム
作るにはたくさんの時間がいる。


開校して、学級を運営しながら
それを作るだけの体力が
私にはなかった。


だから、3学年の学習を
同時進行するしか方法はなく、
それも膨大な仕事量になった。



早朝から出勤して
土日も働いた。
それでも間に合わない。



クラスには25人の子どもたち。
多様な個に寄り添いすぎると
教員は潰れる



でも自分が満足できていない
クオリティのものを
子どもたちに提供し続けることが
何よりストレスだった。



良いお別れができなかった家族もいた。
私立に来て初めて、
自分に力がなければ、子どもはいなくなる
ということを学んだ。



気持ちが安定しなくて
教室で泣いてしまうことも
立ち尽くすこともあった。



それでもやってこれたのは
保護者の人たちの存在が大きかった


保護者の人たちだって、
いろんな思いを抱え、
仕事を変えたり、
お父さんと離れたりして、
この地に来た人ばかり。



子どもの幸せを願って
みんな、必死だった



それに応えられない私を
責めることなく、
いつも一緒に考えてくれた

上からでも下からでもなく
共に在ろうとしてくれた

感謝してもしきれない。
出会えてよかったと思える人ばかり。




<抱えた疑問>


大日向小学校は
人気の学校だと思う。



見学には多数の人が訪れ
入学希望者は増加。
すでに下学年は定員いっぱい



職員も
保護者も
子どもたちも
みんなで学校をつくろう
頑張ってる。



“学校セッション”という
理事、職員、保護者、子どもの4者が
話し合う場が生まれたのも
大日向だからこその素晴らしさだと思う。



移住をしてきたとしても
自然豊かな土地で
生き生きと暮らしている人たちも
たくさんいる。



きらきらして、眩しい世界。
でも光が強いと、
その分、影は濃くなる。



個の幸せより、
学校づくりが優先されていないだろうか。


子どものためなら
教員は疲弊してもいいのだろうか。


子どものためなら
お父さん、お母さんの安心感は
減ってもいいのだろうか。


イエナプランは、全ての子にとって
良い教育なのだろうか。




影があることが問題じゃない。
その影を
誰でも、どこからでも
触れることができる
っていうのが
私には必要だった。


日本で初めてのことをするのだから
仕方ない。

社会や子どものためだから
仕方ない。

そう思えたら
自分も楽だったと思う。

でもやっぱり考えてしまった。



私が求めた
“大人も子どもも幸せに生きる教育”って

最初は、何かを”我慢する”ことから始まるのだろうか?




道なき道を歩いたことで
そんな疑問が少しずつ大きくなった頃、
コロナによる緊急事態宣言。


そのまま学級は年度末を迎え、
初めての卒業生を無事、送り出した。


そんな1年目。

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