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ムダに教養がつくかも知れない不定期な雑学講座の連載(講義中は寝ないこと)~世界宗教の基礎知識3「キリスト教」をひもとく 第1講「聖書」の世界 その4

イエスはどのような教えを説いたのか~山上の説教

  さて、イエスの伝道活動が始まると、
その評判を聞きつけた多くのユダヤの民が、
ユダヤ地方の各地からガラリアに集まってきていました。

 そこで、イエスは彼らを連れて山に登り、
そこで神の国に入るには、どのような心のあり方が必要なのかを
説きました。

 この教えは「山上の説教」とよばれ、
イエスの教えの中核になるものです。
これは、幸いの教えというもので、
神の国(天国)への道が開かれている人は、
このような人たちであると説きました。

心が貧しい人
悲しんでいる人
柔和な人
義に餓え、渇いてる人
憐れみ深い人
心の清い人
平和を実現する人
義のために迫害されている人

「心が貧しい人」とは、
神の前で自分の心の貧しさを、
素直に自覚できる人のことをいいます。
いわゆる「おのが罪を悔い改めようと思える人」のことです。

 ですから、そういう人は、神を信じ、
敬うことを意味しているわけです。
つまり、心が貧しいがゆえに、
神の愛を希求する心が大きくなる
のだ。
ということです。

また、生活の規範もあわせて教訓を示します。

人を殺してはならない、
兄妹に対して腹を立てることも同様だ

姦淫してはならない、
淫らな気持ちで女性を見るものは心の中で罪を犯している 

復讐してはならない、
右の頬をぶたれたら、左の頬も差し出すのだ

あなたの敵を愛しなさい。
自分を迫害するもののために祈れ

求めなさい、そうすれば与えられる。
探しなさい、そうすれば見つかるだろう、

門を叩きなさい、そうすれば開かれるだろう。
狭い門から神の国に入りなさい。

破滅の門は大きく、そして広いのだ。

 イエスの教示は、日常生活のささやかな規範でした。
ですから、貧しい人々や病人、差別や偏見に苦しむ
下層社会の人々にとって、まさに救いであったのです。

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イエスの奇跡

  イエスが評判になった理由には、
伝道活動の中において「奇跡」があったという事でしょう。

奇跡が起こることによって信仰心がより強くなるのは、
「宗教」としては当然の条件だからです。
いわゆる「共同幻想」ともいえることですが、
これが「哲学」と「宗教」の大きな違いでもあるのかも知れません。

 では、イエスの「奇跡」を いくつか紹介していきましょう。

「ヨハネの福音書」に描かれている一節です。

イエスが、ガラリヤ地方のカナという村で
結婚式に出席していたときのことです。
 
客に振る舞うぶどう酒が足りなくなったことを、
母マリアから聞いたイエスは、

それはあなたには関わりのないことではないのか?
と答えるも、マリアの意をくんで、
召使いたちに6つの水瓶をすべて水で満たすように指示しました。
すると、その水瓶の水が皆、上質のぶどう酒に変わったという、


「カナの婚礼」という逸話です。

 奇跡の中で一番多いのが「病を治す」というものでした。
そういう苦しみの中にいる人を救済していった。
旧約の預言者の奇跡に比べれば
ささやかなものではあったでしょうが、
苦しむ人々から見れば、大きな奇跡であったということです。

弟子たちの前でもイエスは奇跡を行っています。

 あるとき、イエスは集まった群衆の食事を用意するよう
弟子たちに指示しました。

しかし、弟子たちは困り果てます。
なぜなら、そこには5つのパンと2尾の魚しかなく、
集まった群衆は5000人を超えていたからです。

 すると、イエスは神に祈りを捧げ、
パンをちぎると弟子たちに渡しました。

するとパンと魚は次々と増えていき、
群衆は皆満腹になったというのです。

これは、すべての福音書に共通して書かれている内容です。

 弟子たちはこの奇跡の数々で、
イエスは「神の子」であると実感したのです。

「ヨハネによる福音書」では、「ラザロの復活」という逸話があります。

イエスがベタニアの村に住む姉妹から、
弟のラザロが病気で死にかけているという知らせを受けました。

しかし、イエスが村に着いたときには、
すでにラザロが息絶えて4日も経っていました。
それでもイエスが「ラザロよ出てきなさい」と
ラザロの墓の前で叫ぶと
ラザロはなんと墓穴から外に這い出してきたという奇跡です。

 これを見た人々は、イエスこそ神の子=キリストである
心から信じたわけです。

 しかしこのようにイエスの評判が高まると、
やはり面白くないのは祭司や律法学者たちです。

イエスはこれらの人々から
やがて反感を抱かれるようになったのです。

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